ライター
小泉 翔 TABIPPO / 創業メンバー・マーケター

20歳でアメリカ留学、世界一周の旅に出発し、旅先で出会った仲間と2011年にTABIPPOを創設。新卒では株式会社サイバーエージェントに入社しWEB広告全般の事業に従事し、2014年にTABIPPOを法人化し独立。2020年に渋谷区からJリーグ参入を目指すサッカーくらぶSHIBUYA CITY FCを運営する株式会社PLAYNEWに取締役として参画。

TABIPPOの翔(@ShoKoizumi)です。大学3年次に1年大学を休学し、アメリカ留学→世界一周の旅に出ました。

留学が終わり、日本に帰らずそのまま世界一周に旅立たったわけですが、「全てを詰め込んだバックパックを、その初日に無くす」という、世界一周の旅最大のハプニングが僕を襲いました。今でこそネタのようになっており、「あ、バックパック紛失された方ですよね?」って声をかけて頂くことすらあります。

今日はそんな僕のバックパック紛失物語を、詳細に書き記してみたいと思います。

 

記念すべきバックパッカーデビューのはずだった

記念すべきバックパッカーデビューのはずだった

アメリカのオハイオ州に、僕は大学3年の8月から12月まで留学していた。立教大学の交換留学。この留学は、後に控える世界一周をより楽しむためのもの。でも言語だけでなく、大学のサッカー部に所属して練習に明け暮れたり、アメリカ人と一緒にルームシェアしたり、台湾人に恋をしたり。もうこれでもかってくらい充実した4ヶ月だった。

2009年12月24日。オハイオから世界一の盛り上がりを見せるクリスマスイブのNYに飛び、僕の世界一周がついに始まろうとしていた。留学に持って行った荷物はスーツケースごと全て日本に送り返し、小さく折り畳んであったバックパックを広げ、そこにこれから始まる世界一周に必要な荷物を詰め替えた。

 

バックパックはグレゴリーでもノースフェイスでもなく、昔バックパッカーだった父親から譲り受けた、色の痩けた型の古いバックパック。両親に留学から世界一周に行く、と告白したときに、なにも反対せず「これ持ってけ」と押し入れから出してくれた大切なバックだ。

僕はそれまでに修学旅行で海外に行ったり、カナダに住む親戚に会いに行ったりと、何回か海外旅行は経験していた。でも「バックパック旅行」は初めてで、これから始まる冒険への期待で胸はいっぱい。NYのホテルで何度もバックパックを背負っている自分の姿を鏡に映した。

 

クリスマスのせい?バックパックが出てこない

クリスマスのせい?バックパックが出てこない

12月25日。NYのJFK空港からペルーのリマ国際空港行き。出発ロビーはスペイン語で溢れ帰り、英語はそこそこ話せるようになってた僕もなかなか不安になってきていた。南米には約1ヶ月。でも夢にまで見たマチュピチュ遺跡やウユニ塩湖、イースター島を訪れる自分の姿を思い描くと、不安も忘れ飛行機が出発するこをには爆睡していた。

リマの国際空港へ到着。クリスマスのために故郷へ帰国したペルー人たちか、空港はかなり混雑していた。

 

ライター
小泉 翔 TABIPPO / 創業メンバー・マーケター

20歳でアメリカ留学、世界一周の旅に出発し、旅先で出会った仲間と2011年にTABIPPOを創設。新卒では株式会社サイバーエージェントに入社しWEB広告全般の事業に従事し、2014年にTABIPPOを法人化し独立。2020年に渋谷区からJリーグ参入を目指すサッカーくらぶSHIBUYA CITY FCを運営する株式会社PLAYNEWに取締役として参画。

RELATED

関連記事