編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。

今回の主人公は、Yさん(当時29歳)です。

「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。

 

\この記事は、書籍化もされています/

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・Yさん(当時29歳) / 看護師 2010.1〜2011.1 / 365日間 / 33ヵ国

・世界一周の旅ルート
メキシコ→チリ→アルゼンチン→南極→アルゼンチン→パラグアイ→ボリビア→スペイン→モロッコ→ボルトガル→フィンランド→エストニア→チェコ→オーストリア→ドイツ→クロアチア→スロベニア→ハンガリー→ヨルダン→イスラエル→シリア→エジプト→イエメン→エチオピア→ケニア→ウガンダ→タンザニア→ザンビア→ナミビア→南アフリカ→香港→タイ→ネパール→インド

 

理想というレールに、走らせた現実

「理想というレールを敷いて、その上に、現実という名の列車を走らせる」

旅を終えた今の自分から、以前の自分を振り返ってみるとそんな人生だったのかもしれません。旅に出る前の私も十分幸せでしたが、今考えると、「世間一般の幸せ」=「自分の理想の人生」だと思い込み、ただ、それを追い求めていたように思います。

20代女子なら一度はやってみたいこと、手に入れたいもの。エステ付きのホテルランチ、ブランド物のショッピング、ボーナスをつぎ込む海外旅行は、ハワイ、アラスカでオーロラ鑑賞など、年に2回。お金と時間を使って、(行きたい場所に行き、したいことをするのって本当に幸せ!)と思っていました。

 

22歳で看護師という専門職に就き、好きなことをして、結婚して、家庭を持って、子どもを産む。責任のある仕事をまかされ、キャリアアップしていく。そういう人生を歩みたくて、知らず知らずに自分の人生にレールを敷いていたのでしょうね。

それでも描けずにいたのは、10年後20年後の自分の未来予想図でした。

 

他の生き方もあるのかも

看護師という、一生働いていける専門職。充実した人生を送りながらも、(本当にそれでいいのかな?)(他の生き方もあるのかも)自分の人生にもっと大きな可能性も感じていました。

そんな時、たまたま世界一周航空券なるものを目にし、それは私の心を掴んだのです。(行きたいところはいっぱいあるのに、年に2回じゃ、一生かかってもいけるかどうか分からない。でもこれなら、一遍に行けちゃう!)

 

満たされた毎日。現実から逃げたかったわけでも、人生を変えたかったわけでもないのですが、とにかく「行きたい場所に行って、見たいものを見たい!」という私の夢が一気に叶うかと思うと、準備期間すらもどかしくなるほど、ワクワクしました。

この先、大きく生活を変えることなんてないと思っていたのに、一大決心の大冒険へ、驚くほどあっさり飛び出していたのです。

こうして始まった私の365日の世界一周は、私を最高に幸せにしてくれました。

 

ボリビアのバスの中のハプニング

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photo by Craig Sunter

日本を出てから4ヵ月を中南米で過ごし、バックパッカーデビューした私もすっかり旅慣れてきて、必要なスペイン語を話せるようになってきた頃です。私は南米のボリビアという国で、首都のラパスに長距離バスで向かうところでした。

とてつもなく狭い車内で、膝の上に貴重品がすべて入ったバックパックを膝の上に抱えながら発車を待っていると、一人のおじさんがやってきました。

「その荷物は上の棚に置かなければいけないんだよ」

ボリビアのバスと言えば、南米の旅人で知らない人はいないほどの盗難頻発スポット。(・・・!これは言いなりになってはいけない)

 

「けっこうです。こうやって持っているので!」

きっぱり伝えましたが、おじさん、諦めない。どうやら、「規則だから」とかなんとか言っている様子でとにかく諦めずに同じことを言い続けてくるわけです。

(面倒くさいな。ま、すぐ降ろせばいいや)少し旅慣れてきた頃でもあって、最初は警戒していた私も、なぜだかおじさんにバックパックを渡してしまったのです。数分経って少し心配になり、棚を見ると…。「バッグがない !!」マンガのように、自分のバッグが点線になって見えました。一生忘れられないほどのショックと焦りと悲しみ、後悔の念。

 

「私の旅は、ここで終わりか…」

慌てて降りて追いかけてみたけれど、そこはバスターミナル。こんな人混みの中で見つかるわけのないバッグ。私は、カメラや財布、貴重品をすべて失ってしまいました。そして、絶対に失くしてはいけないパスポートも。いつもは入れてなかったのに、この時だけ、たまたま…。

後から考えれば防げた盗難。一瞬でも油断してしまった自分が情けなくて悔しくて、もう、涙も出ないほどに落ち込みました。旅をやめて、日本に帰ることも考えました。

(まだ半分も旅してないのに、私の旅はここで終わりか…)

(でも、しょげている場合じゃない)

(とりあえず、大使館に行かなきゃどうにもならない)

 

私は、靴底に忍ばせていた400$を現地通貨に両替して、チケットを買い直し、首都のラパスに向かうことにしました。15時間以上もバスに揺られ、ラパスに到着。凹んだまま宿にチェックインした私を迎えてくれたのは、なんと、今までの旅の途中で出逢った旅人たちでした。彼らとの再会は偶然でしたが、温かい言葉をかけてもらい、状況と気持ちを分かってくれる人たちがいてホッとしました。

 

差し伸べられた手に、温められた心

三つ葉のクローバー

photo by pixta.jp

何もない私に、通信のためにパソコンを貸してくれたり、必要な物を買い直すのを手伝ってくれたり…。差し伸べられた手は、私の心を慰め励ましてくれたのです。

家族も、本当に心配して助けてくれました。「帰ってくれば?」と言いつつも、戸籍抄本を大使館に送ってくれたり、パスポートの再発券を手伝ってくれた母。帰る家がある、待っていてくれる、支えてくれる、そんな家族を改めて大切に思いました。

日本を含め世界中にいる友達も、心配してメールをくれたり、ブログにコメントをくれたりして、また励まされました。

 

「大変でしたね」って言ってくれた大使館の人に、思わず、「はい、大変だったんです!」と言ってしまったのですが、彼の何気ないその一言も、なんだか温かかったなと思います。「なるべく早くパスポートを再発券できるようにしますね」という言葉がどれだけ頼もしく感じたことか知れません。

そういうすべての状況が温かくて、人が優しくて。その時、ふと思ったんです。(自分を支えているのは物でも何でもない、人なんだ)

 

身一つになっても、失わないもの

パソコンもカメラも、あんなに出発前に日本で準備して持ってきた物は、たった一度の出来事で全部失ってしまった。でも、身一つになっても失わないものがありました。それは、当たり前のようにそこにあった家族や友達、周りにいる人たちとの繋がりです。

編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

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