編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

彼「ハッサンだよ!ここのスープ美味しいでしょ!」

 

どうやら前妻が日本人だったようで、日本にも3年ほど住んでいたとのこと。無職だったハッサンは、 その日から僕の下でアルバイトとして働くことになった。翌日から、さらに広場には人が集まり、商売繁盛! 稼いだお金でハッサンと晩ごはんを食べる毎日。

だんだんと旅が日常になっていき、マラケシュに来てからとうとう1ヵ月が経とうとしていた。しかし、余りにも目立ち過ぎた僕は警察に目を付けられ、周りのみんなに惜しまれつつ、輪投げ屋にピリオドを打った。もちろん、輪投げセットは、ハッサンにプレゼントして。

 

ハッサンからは、厳格な一神教のイスラム国で あってはならない感謝の言葉を受けた。

「たけちゃん ( 僕 )、仕事くれたからハッサンの神様だった」

大嫌いだったはずなのに、離れることが寂しくて、なんだか日本を離れる時に感じたのと同じ気持ちになった。

 

得たものは、根拠のない自信

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photo by pixta

挑戦する時に必ず感じる「ヤバいな」って感情。その怖さで、たとえ足が竦んだとしても、震える足をおさえながら一歩を踏み出すことを、僕は旅中に何度も繰り返した。

そうして得た、どこからともなく湧いてくる「できる」という根拠のない自信は、何かを始める時に必ず必要なものだと思っている。

 

世界一周の後、僕は何がしたいんだろう?

(自分は何もできない平凡な人間なんだ)

なんて思っていた自分は姿を潜めて、

(世界一周をした後、俺は何をしていこうか?)

と、 僕の足は、しっかりと「旅の先」に向かうようになっていた。

 

ある旅人に言われて心に残った言葉があった。「いつでも帰ってこれる場所があるから、たけしくんは、そんな無茶な旅ができるんだよ」

その言葉に、自分が支えられていることを知った。今度は自分が、周りの人たちの背中を押せるような 存在になりたいと思った。スポットライトを浴びたかっただけの旅が、変わり始めた。

 

おぼろげな気持ちを夢という形にしてくれたのは、南米の世界最南端の街、ウシュアイアでの出会いだった。そこには、上野綾子さんというおばあちゃんが営む、世界最南端の日本人宿「上野山荘」があった。長年旅人を迎え入れてきた、世界一周者の中では有名な宿。旅人は、おばあちゃんに話を聞きにやってくる。

 

世界最南端の日本人宿、 上野山荘

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photo by pixta

アラスカから自転車で、ここを目指して来た人もいるそうだ。僕も、彼女に会いたい一心で最果ての街へやってきた。しかし、宿に到着した時は運悪く、おばあちゃんは足を滑らせて、入院していた。

1 週間の滞在予定も6日が過ぎ、半ば諦めかけた最終日。幸いにも退院して、彼女は宿へ戻ってきた。 部屋へ入ると、おばあちゃんは背筋を伸ばして待っていて、87 歳とは思えない溌剌な言葉で僕らを迎えてくれた。

 

「本当、病院のごはんは美味しくなかったわ。私は日本人なんだから、醤油で味付けしてくれないとねー」

 

彼女は、旅人の話を聞くのが楽しいと話していた。

「私自身は旅はしてないけれど、いろんな人の話を聞いて、私も冒険した気になれるの。ここに住んだことで、数えきれない素晴らしい人と出会えたのが、幸せなことだわ」その言葉が、とても嬉しかった。写真を撮って、握手。手のひらがとても温かくて、優しかった。

 

おばあちゃんは、僕の夢になった

僕は思わず、こんなことを口走っていた。

「30 歳になったら、ゲストハウスをやりたいんです。だから宿やる前に、絶対ここに帰ってきます!」

おばあちゃんは嬉しそうに答えてくれた。

「あらそう!それなら私あと 10 年生きなきゃならないわね。じゃあ、必ずまた来てちょうだいね。お祝いしなきゃ!」

「約束です。絶対に帰ってきますから!」

 

1ヵ月後、綾子おばあちゃんが亡くなったと、聞いた。もう彼女はいなくて、あの街に旅人を迎え入れてくれる場所はなくなってしまったんだと思うと、とても寂しくて、悲しくて、そして信じられなかった。

けど、亡くなる前に出会えたことに感謝するしかない。約束は守ってもらえそうにないけど、僕は夢を叶えて、必ずウシュアイアへ行こうと思っている。待つ人はもういないけれど、一方的に約束を果たしに。綾子おばあちゃんのように、いつでも帰ってきたいと思ってもらえる人間になって。

 

人生という物語、 世界一周より素敵なものにしてみせる

世界を一周した。ただそれだけの事実がくれた自信は、自分の中の不可能の幅を狭めてくれた。挑戦する痛みも喜びも知れた僕は、たとえそれが大きな壁でも、怪しげな扉だったとしても、その先の景色が見たいと思ったら、足が竦んだって、壁を乗り越えて、扉を開いていくと思う。

 

だってその先には必ず、たまんない刺激とドラマがあるって知ってしまったから。

 

人生という物語、世界一周より素敵なものにしてみせる。(世界一周の日々は、いつか見た、太陽に照りつけられ光るカリブ海のように、キラキラした一生の宝なんだ)

僕は旅を振り返る度にそう思うし、もし明日、自分が死ぬ、ってなったとしても、僕はきっと、この1年の軌跡を辿って笑える気がします。

 

人生、立ち向かってなんぼのもんや

adventure, travel, tourism, hike and people concept - man with red backpack and binocular over alpine mountains background

photo by pixta

もしも、世界一周に出なかったら。過去の挫折に引きずられて、居酒屋でビールを飲みながら、思い出話を繰り返してばかりであっただろう人生。それが、世界一周をした後には、新しい景色を見るために挑戦し続ける人生に変わったんだ。(人生って、立ち向かってこそなんぼのもんや)

350日間の旅の最後の1日、マイアミで成田行の便を待つ。出会った人たちの表情や街の景色が脳裏を駆け巡る。あの人と出会ってなければ、あの人があの場にいなければ、死んでいたかもしれないことだってあった。

 

日本に帰りたくなったことも、一度や二度ではなかった。それでも前に足を進めて、日本を西へ飛び出した僕は、これから日本へ東から向かおうとしている。

実は、旅中に別れてしまった彼女が迎えにきてくれていた。一緒にバスに乗り込む。家までの道のり、僕の長い長い旅は残り 30 分。残りの30分で、僕は 1 年間の旅の話を彼女にするんだろう。

 

世界一周で得た夢を背負って

とてつもなく寂しかった夜の話はしないでおこう。世界中で出会った仲間と酒の話をしよう。絶景の話をしよう。世界中で受けた優しさについて語ろう。

(バックパックの代わりに、世界一周で得た夢を背負って、俺の人生こっからだ)自分に言い聞かせて、止まらない涙ふいて。彼女に過去の旅の話をしながら、僕は長い夢からゆっくり、ゆっくり、覚めていった。

 

世界一周に出たい!でも勇気が出せない。そんなあなたへ

いかがでしたか?

今回の世界一周ストーリーを掲載している書籍では、15名の感動ストーリーだけではなく、一緒に本を作成した世界一周者50名のお土産話やアンケート、世界の瞬間PHOTOなど世界一周経験者の想いが詰めこまれています。

「世界一周して人生が変わる?」

これは、あなたが本当に実感できるかどうか分からないかもしれません。ただ、少なからず私たち50名の人生は、世界一周がきっかけで変わりました。

この想いをあなたにも感じて欲しい。そしてこの本をきっかけに、旅に出てくれたらもっと嬉しいです。

 

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