編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

海が好き、ヨットが好きという人はたくさんいますが、ヨットで世界一周となると簡単ではありません。資力、体力、持久力、そして猛烈な世界への探究心です。

実際に世界一周をやり遂げた猛者の紀行文は新鮮です。一般の人が経験したことのない未知の世界の話が実におもしろい。そこで今回はヨットで世界一周した日本人を5人紹介します。

 

1、渡辺起世 / ボヘミアン2

本人が創業した渡辺商会の代表取締役を辞して、1988年からヨットによる長距離航海の準備に入り、1990年6月単独世界一周航海のためヨット「ヨットボヘミアン2」で愛知県西浦港を出発、24カ国30港を経由して1992年5月 2年間に亘る航海を終わり、母港西浦港に帰港しました。ボヘミアン2は現在愛知県碧南市海浜公園内の水族館のすぐ前に展示してあります。

世界一周の行程は西浦港から、アメリカ、ハワイ、ロスアンジェルス、メキシコ、パナマ、パナマ運河を経て、ジャマイカ、ドミニカ、イギリス、ポルトガル、スペイン、フランス、イタリア、ギリシャ、エジプト、スエズ運河を通過して、スーダン、エリトリア、イエメン、スリランカ、シンガポール、フィリピン、台湾を経て西浦港に帰港しました。

 

全航海日数は298日、全航海距離は約52,850kmです。徹底的にヨットを遊びと考え、世界一周もその延長線上にあるとし、寄港した港で様々な人達とふれあい、観光もし、飲んで、食べた、誠に贅沢な世界一周です。

航海は自然との闘いのため、とても厳しい局面もあったでしょうが、見事にそれを乗り越えて敢行しました。地球は小さいが、世界は広い、が彼の感想です。

 

2、野村輝之 / シーガル号

野村さんは1941年生まれで旭川市出身、札幌市役所勤務 1981年に太平洋横断に成功。1984年に札幌市役所を退職して、その年、奥さん、子供2人を連れて4人で世界一周航海に出発。出発して4年後ブラジルのリオネジャネイロ沖でヨットが座礁、航海を断念して帰国しました。

その後も数度に亘る航海を経て、1997年6月に世界一周に再挑戦し、2000年7月に母港の室蘭港に帰港しました。世界一周は西周り航路でインド洋、大西洋、オーストラリアを廻って室蘭港に戻り3年に亘る航海を終えました。

 

航海を通じて、これからもっと多くの人たちと航海の素晴らしさを伝えたい、美しい自然出会いたい、と話しています。因みにヨットシーガル号は全長11.9m幅3.4mマスト長さ15m重量15トン、エンジンはヤンマー33馬力が搭載されています。

 

3、青木洋 / 信天翁(あほうどり)二世号

青木さんは自ら手作りしたヨットで1971年に大阪石津港から一人で世界一周に出航しました。22歳の時です。3年2ヶ月後の1974年に帰港し、我が国で初めての世界一周に成功した。全長わずか6.4mの小型ヨットで北米、ガラバコス群島、イースター島、ホーン岬、南米、アフリカ、オーストラリアを経由して帰港。前例のない快挙でした。

信天翁二世号は世界最小艇としてギネスに登録されています。現在は大阪万博記念公園に保存されています。青木さんは高校時代からヨットでの航海に強いあこがれを持ち、一途にその気持ちを育んできました。その気持ちがヨットを自分で作る、という行動に現れ、そのヨットで大阪湾を走りまくったといいます。

 

そして2隻目も自分で作り、ついに世界一周に旅立ました。途中、ヨットの損傷で一度は挫折を考えたが、父親の説得を受けて、再び航海を続行。難関のホーン岬で大波にあいヨットが横転、しかし次の大波で奇跡的にヨットが立ち直り、航海が続けられた。そして大阪に帰り着いたと記述しています。桁外れの精神力の持ち主です。

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