僕は世界一周をしながら「海外の暮らし方・働き方」について調べて記事を書いたりしながら、旅をしているのですが、このテーマを掲げる以上、
「社会主義国のキューバは絶対に外せない!」
そう思いキューバに行った時に、人生の「幸せ」について考えさせられたお話です。(ちなみに、2018年現在も社会主義国をしているのは、中国、ベトナム、ラオス、北朝鮮、キューバだそうです)
僕がキューバに滞在していた頃、バックパッカー仲間の女の子が海外の貧しさについてインスタに書き込みをしていました。
彼女は、僕より先にキューバに入り、次のグアテマラでスペイン語の勉強をしていたそうです。学校の授業で、グアテマラの孤児院に行き、そこで暮らす子ども達に出会いました。
彼女は、貧しい暮らしを送りながらも、明るく楽しそうに暮らす子供達の姿を見て「貧しさってなんだろう?」と考えていました。
そして、それは私たちが勝手に「自分たちより収入が少ないから、貧しい暮らしだ」と思い込んでいたことに、気づいたようです。その彼女の考えに触発されて、僕も「貧しさ」について考えてみました。
「貧しい」とは?
僕の無い頭だけで考えるのは大変なので、さっそくググります。
まずしい【貧しい】
① 収入が少なくて、毎日の生活が苦しい。貧乏である。② 十分に金をかけていない。粗末だ。貧弱だ。③ 乏しい。足りない。十分に満たされていない。(※コトバンク 大辞林 第三版の解説より引用。https://kotobank.jp/word/貧しい-634288)
ふむふむ。
どうやら僕らが、貧しい国と思い込んでしまう原因は、「先進国の生活水準」と「途上国の水準」を比較した時に、2. 3.が当てはまってしまうからなのでしょう。
・建物、バス、電車がボロボロなこと。
・水道水が飲めない、安全に飲める水が少ないこと。
・よく停電になること。(オーストラリアの田舎でもよくあるが)
・インターネットが特定の場所でしか使えないこと。
こういったことにお金をかけていない、足りていないから、僕らは貧しい国と思ってしまうのですね。
比較から「貧しさ」が生まれる
途上国の人々は足りない生活でも楽しく幸せに生活をしているのですが、先進国が途上国の生活を見て、「貧しい国なんだなぁ」と思ってしまい、さらに途上国も先進国の人々や生活を知って「もっといい暮らしをしたい!」と思ってしまうのでしょう。
そう、私たちは比較するから『貧しい』と思ってしまうのです。
そのことに気がついた僕は、キューバに住む人達の暮らしぶりや、社会主義国には本当に格差がないかを、調べて歩くようになりました。
キューバは社会主義国なので真面目にちゃんと働いていれば、老後も不自由なく、病院も無料で通える程しっかり守ってくれるそうです。そして明るく人懐っこい国民性なので、みんな幸せな生活しているだろう!
そう思いたいのですが、キューバの実態はどうなのか?
疑問に思った僕は、それから毎日に街を出歩き、海沿いの旧市街〜内陸部の新市街地まで、住居やお店、住民の服装、持ちものなど観察してまわりました。
ローカルなキューバで見たもの
そこで一番特徴的だったのが、資本主義に憧れている若者が多いことでした。彼らはインターネットなどで、アメリカなどカルチャーを知っており、アメリカの生活や、資本主義に憧れている人が多いのです。
そのため自分でお金を稼ごうと、外国人向けに個人でWi-Fiカードの転売をしている人や、タクシーのキャッチや、道端で観光案内など、様々な商売をしている人がたくさんいました。
そういう人はまれに、必死に商売をし過ぎているためか、ツンとした態度の人もたまにいるし、見るからに良い服を着て気を張ってる感じがしました。
みんな平等な社会なのに、「自分たちは違うぞ!貧しくないぞ!」と必死になっている様に、僕には見えてしまいました。