命綱となった急ごしらえのトンネル
Photo by Nitta Hiroshi
大砲に囲まれ水源も押さえられた、サラエボに住むボスニア市民。彼ら、彼女らはどのようにして絶望的な状況を生き抜いたのでしょうか。人々の命綱になったのが空港と市内を結ぶ急ごしらえのトンネルです。
Photo by Nitta Hiroshi
トンネルがあった場所は博物館になっています。トンネルは一部が公開されています。
実際にトンネルに入ってみました。とにかく狭い!私でも狭く感じるのですから、現地の人はもっと大変だったでしょう。雨の日は水浸しになったことも。
それでもビデオを見ると人々は早歩きで食料や医薬品を運んでいました。「早く届けたい」という思いが人々を早歩きにさせたのでしょう。
なぜ私は涙が出たのか
Photo by Nitta Hiroshi
最後にサラエボにある紛争に関する資料館に寄りました。上の写真はデイトン合意の写真です。イゼトベゴヴィッチ大統領のセリフ「これは最良の解決策ではないが、戦いを続けるよりはいい策だ」このセリフは今でも頭に残っています。
現在、ボスニア・ヘルツェゴビナは2つの政体(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦/スルプスカ共和国)で構成される共和国です。ガイドは「ボスニアには資源がある。何とか人々が団結していい国にしたい」という思いを語りました。
ツアーを終え、私は涙が出てしまいました。そもそもボスニア紛争に興味を持ったのは中学生のとき。私は1995年に起きた阪神・淡路大震災で被災したわけですが、中学生のときに震災と同時期に苦しんでいる人々がいたことを知ったのです。それがボスニア紛争でした。
ツアーで中学生で味わったショックを思い出したのでしょう。号泣した理由をガイドに伝えると、一言「わかってくれて、ありがとう」と言いました。
ツアーに参加して4年
今回のツアーはボシュニャク人によるものでした。おそらく、クロアチア人やセルビア人が解説すると異なった側面が見られることでしょう。何事も一当事者に肩入れするのではなく、様々な意見を聞き考え、バランスよく判断する。このことをボスニア紛争ツアーを通じて学びました。
ボスニア紛争に関するツアーはさまざまな会社が行っています。以下のリンクはボスニア紛争ツアーの一例です。
https://sarajevofunkytours.com/tour/sarajevo-siege-tour