明治維新の原動力となった松下村塾
東萩駅を越えて、歩くこと30分。松陰神社に到着した。
松陰神社は、幕末の萩で生まれ、動乱の時代を駆け抜けた吉田松陰を祭神として1907年に創建された。
松陰神社内にある松下村塾が、世界遺産の構成資産となっている。松下村塾は、吉田松陰が主宰した私塾。松陰は身分や階級に関係なく誰もが学べる環境をつくり、若者の指導にあたった。
松陰は29歳で亡くなったが、教え子の高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋などが明治維新を牽引。この場所で、日本の近代産業化を担う多くの人材を育て上げたのだ。
松陰神社の敷地内には「学びの道」があり、松陰の言葉が句碑に刻まれている。
自身は黒船に乗り込んだり、幕府を批判したりして囚われの身にありながら、門下生を指導した吉田松陰。信念を持って幕末を生き、明治維新の原動力となる逸材を育てた熱き男に思いを馳せながら、松陰神社を後にした。
・名称:松陰神社
・住所:山口県萩市椿東1537
・地図:
・アクセス:JR東萩駅から徒歩20分
・営業時間:拝観自由
・定休日:なし
・電話番号:0838-22-4643
・料金:無料
・公式サイトURL:https://showin-jinja.or.jp/
近代化の先駆けとなった日本初の工場群・集成館
今回の旅、ラストは鹿児島へ。鹿児島県鹿児島市には旧集成館、寺山炭窯跡、関吉の疎水溝と3つの資産がある。
鹿児島市中心部の繁華街・天文館から徒歩で約60分(バスで行けるので、ご安心を)。仙巌園や尚古集成館などが含まれる旧集成館エリアにやってきた。
集成館は、薩摩藩の藩主・島津斉彬(なりあきら)が富国強兵・殖産興業の政策として、製鉄や鉄製大砲の鋳造、活版印刷などを行うためにつくった日本初の工場群。西洋の技術を導入し、日本の近代化事業の先駆けとなった。
これは、重要文化財に指定されている旧集成館機械工場。現存する日本最古(1865年に竣工)の西洋式機械工場で、現在は島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館・尚古集成館として使用されている。
しかし、残念ながら耐震工事により現在は休館中(工事期間は2024年9月までを予定)。また来る理由ができた。そう思うことにしよう。
続いて、島津家の別邸である「名勝 仙巌園(せんがんえん)」へ。
入ってすぐに見えるのが「鹿児島 世界文化遺産オリエンテーションセンター」。『明治日本の産業革命遺産』や集成館事業、島津斉彬について学ぶことができる。
江戸末期から明治時代にかけての約半世紀。日本は、すでに産業革命を成し遂げた西洋の技術をいち早く取り入れ、50年という短い期間で急速な近代化、経済的発展を達成した。
そこに、世界でも例のない顕著な価値がある。そして、その歴史を物語るのが、旧集成館であり、松下村塾であり、韮山反射炉なのだ。
仙巌園には、島津斉彬がオランダの本を参考に1857年に建設した反射炉跡がある。現在残っているのは基礎部分のみだが、かつては約20mの高さの煙突がそびえていたという。
今回の旅で訪れることができたのは、23資産のうち、わずか4資産。
各地に点在する構成資産を網羅することは簡単ではない。それでも、複数の資産が1つの世界遺産としてまとめて登録されているシリアル・ノミネーション・サイトの魅力を感じることができた。
建築物そのものではなく、その裏にあるストーリーにこそ価値がある。そんなことを教えてくれた旅だった。
・名称:仙巌園・尚古集成館
・住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
・地図:
・アクセス:まち巡りバスなど「仙巌園前」下車すぐ
・営業時間:9時〜17時
・定休日:なし
・電話番号:099-247-1551
・料金:1000円、小中学生500円(島津家御殿の見学は別途500円、小中学生250円)
・公式サイトURL:https://www.senganen.jp
All photos by Koji Okamura
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