いつしか僕らは遠くなった
その後も僕らはやり取りを続け、お互いの近況を報告し合っていた。
メッセージ上でもブンちゃんは、何度も「がんばれ!」と書いてくれた。
いよいよ旅の日程が決まり、成田空港から飛び立つことになった僕は、彼に連絡をし、出発前に東京で会うことになった。久々に会えるのが楽しみだった。
そして迎えた2018年9月6日、出発当日。
北海道胆振地方で地震が起きた。
北海道全域がブラックアウトし、僕の地元も地震の被害こそなかったが、数日間の停電に見舞われた。
新千歳から成田へ行く予定だったが、当然空港もストップ。僕は旅程の変更を余儀なくされた。
ブンちゃんとの約束も残念ながらキャンセル。また日程が決まったら連絡をすることに。
彼は「ケガはない?無理しないでね。」と気を遣ってくれた。
停電が明け、日程を調整して僕は再び成田からのチケットを取った。
もちろん彼にも連絡をした。
しかし、返事は返ってこなかった。
きっと忙しいのだろう。仕方がない。
結局返事は来ないまま、僕はインドへ飛び立った。
旅の間も時々Facebookをチェックしていたが、やはり返事はないまま。やがて目まぐるしい旅の中で、僕は次第に彼のことを思い出さなくなっていた。
停電中は水を入れたペットボトルを
懐中電灯の上に置くというライフハックを実践
帰国し、数ヶ月が経った頃、僕はふとブンちゃんのことを思い出した。
そうだ、もう一度彼に連絡しよう。
そう思ってFacebookを開くと、「この人はmessengerを利用していません」の文言が。プロフィールを確認しようとしても、見つからず。
彼はFacebookを退会していたのだ。
Facebookしか知らなかった僕は、もう彼に連絡する手段はなかった。
他のSNSも、LINEも知らない。一緒にいた先輩の連絡先も知らない。
残っているのは、退会前にやり取りしていたメッセージだけ。
それだけは消えずにFacebook上に残っていた。
そのやり取りを読み返し、僕は彼が何度も自分を応援してくれたことを思い出した。
僕がインドに行く勇気を持てたのは、彼が何度も「大丈夫」と言ってくれたおかげだった。
だけど、彼はもう遠くなってしまった。もっと早く思い出していれば……。
そう思った途端に、僕は無性にブンちゃんに会いたくなった。
でも、もうどうすることもできない。
読まれることのなかった、僕の最後のメッセージ
遠く離れた人を思うということ
この話を妻にした時、こんなことを言われた。
「旅先で仲良くなった人がいると、世界が広がるよね」
「その人がいる国や地域のニュースが流れてきた時、大丈夫かなって考える。そうすると、他人事じゃなくなって、その場所のことを知ろうとしたくなる」
「遠く離れた人を思うことは、世界平和に繋がると思うんだ」
ブンちゃんは北海道で地震が起きた時、僕を心配してくれた。停電や震源地のことなども調べた上でメッセージをくれた。
北海道という、自分とは無縁の地域のことを知ろうとしてくれた。
本人の自覚はきっとないだろうが、ブンちゃんが僕にしてくれたことは、妻の言うように世界平和に繋がる気がする。
僕はそのことを忘れてはいけないと思った。
そして旅先で出会った人のことを覚えて、たとえ疎遠になったとしても、折にふれて思いを馳せるようにしていこうと思った。
直接会えたり連絡できる人には、何かあったら心配して、励まして、背中を押してあげようと思った。
ブンちゃんのように。
じつは僕は、ブンちゃんの顔をもう覚えていない。
一緒に写真を撮ったりもしなかったし、ゲストハウスの暗闇の中で喋っていた僕らは、顔がほとんど見えていなかったからだ。
だけど、彼に出会ったあの旅と、彼がくれた言葉は今も覚えている。
ギター1本のためにわざわざ長旅をし、後から考えれば宿代や食費で結局飛行機より高くついていた、あの帰省の旅。
その選択が、僕にとって忘れられない大事な出会いをもたらした。
出会いとは本当にいつ訪れるかわからないものだ。
僕は、もう一度彼に会えたら、と思う。
「あの時たくさん励ましてくれてありがとう」
「地震の時、心配してくれてありがとう」
そう直接伝えたい。
そして、次は僕がブンちゃんの背中を押してあげたい。
でもたぶん、僕はブンちゃんにはもう会えないような気がしている。
会えるとすれば、それは僕の方から彼を探す時だ。
彼の手がかりはほとんどない。
だけど、一生懸命探せばきっと見つかるはず。
その時はきっと「ブンちゃんに会いに行く旅」として、僕の忘れられない旅のひとつになるのだと思う。
それでも見つからなければ、探偵ナイトスクープにでも依頼してみようかな。
これは結構本気だったりする。
東京タワーからの夕景。東京に来ると彼を思い出す
All photos by Satofumi