まだ何者でもなく、けれど何者かになりたかった大学1年生の5月。
「何か新しいことを始めたい」という気持ちだけが空回りする日々が過ぎていく。
そんなある日、学内の掲示板を眺めていると、ある日1枚のポスターに出会う。
それは大学生向けの「ベトナム・カンボジアスタディツアー」だった。
海外に行ったこともなく、1人でツアーに申し込むのも初めて。人見知りで慎重な性格も相まって、親や友だちからは、「ほんとに大丈夫?」と言われる始末。それでも、「新しいこと」に一歩踏み出したい自分の気持ちは抑えられなかった。久々に自分の中に湧き上がる「わくわく」という感情を素直に受け入れたいと思った。
そして、一歩挑戦したその先には、今までにない世界が広がっていた。
旅の準備
航前のカンボジアのイメージと言えばやっぱり、アンコール・ワット
勢いで申し込んだ説明会。
緊張しながら向かったビルのドアを開けると、同世代の学生が既に数人集まっていた。少人数の場に感謝しつつも、こういった場は初めてでそわそわ。とはいえ、スタッフの学生の方が気さくに話しかけてくださり、徐々に緊張が解けてきた。
説明が始まると、小さな、しかし響くような衝撃を受ける。なんと今回の旅、企画からアポイント、さらには旅の引率まで、学生が中心となって作り上げていたのだ。自信たっぷりに話すその姿は、堂々としていて、大人びていて、そして輝いて見えた。
また、内容に関しても過去、経験してきた「旅」とは大きく異なるものであることに衝撃を受けた。これまでに経験した「旅」は、家族旅行や友だちとの旅行であり、それは観光地を巡り、温泉に入り、という物見遊山のようなものだった。今回の旅は「スタディツアー」。現地の文化や歴史を感じる場所はもちろんのこと、現地で起業した日本人の方やカンボジア観光省の方などとの交流など、普段の「旅行」ではできない「学び」「経験」が散りばめられていた。
そして何より特徴的だったのは、ツアー中に学んだことの「アウトプット」に力を入れていたということ。1日の終わりには必ず、ホテルで「学びの振り返り」の時間があった。参加者15名が4人程度のグループに分かれ、その日感じたことをアウトプットし合い、対話する時間。旅に行って終わりではなく、この旅を始まりとして、その後の気づきを次に繋げるような工夫が多くなされていた。
海外は初めてだし、正直わからないことだらけ。人見知りでも「初めまして」の参加者と仲良くなれるかな。
考えようと思えば考えるほど「不安」は出てきた。しかし、僕の中では既に答えが出ていた。
「わくわくする」「なんか面白そう」持ち前の好奇心に導かれ、説明会の帰り道、家に帰る電車の中でスタディツアーに申し込んだ。
いざ、ベトナム・カンボジアへ
関西国際空港で集合し、ベトナム・ホーチミンへ。説明会や事前研修で会っているとはいえ、メンバーの顔にはまだ緊張している様子が漂う、どこかよそよそしい雰囲気だった。
ホーチミンの空港で成田・福岡からの参加者と合流し、本格的に旅が始まる。引率の学生のあたたかな雰囲気づくりもあり、バスの中で「はじめまして」の仲間たちと徐々に打ち解けていく。
さて、12日間の行程のうち、最初の3日間はベトナム、後半の9日間はカンボジア。全行程を通して、「平和」「教育」「社会」「医療」「文化」「産業」の6分野を学ぶという、まさに盛りだくさんな旅だ。
ベトナムではかつての「ベトナム戦争」の遺構を中心に、平和の尊さを学ぶ。
「戦争証跡博物館」で戦争の全体観について復習した後、「クチトンネル」の訪問を通して実戦の舞台へ。全長200kmという長さ。至る場所に仕掛けられた侵入者を防ぐためのトラップ。「敵を惑わせた」ともいわれる所以は、現地で実際にトンネルを歩き、見て、体験するからこそ改めて実感できるものだった。道中では射撃を体験できる場所もあり、その実弾の重さは、6年が経過した今でも手にしっかりと感覚が残っている。
初の陸路での国境越え、乗ってきたバスがそのまま走っていくのは不思議な感じ
徐々に旅慣れてきた3日目には、陸路での国境超えを経てカンボジアへ入国。
「地方」から「都市」へと入っていくなかで、考えさせられる場面も多かった。
例えば都市部。ビルが立ち並び、日本でも比較的見慣れた光景が広がっている。渡航前の「カンボジア」の知識は、「発展途上であり、内戦からの復興を遂げつつある国」という印象。しかしながら、都市部にはもはやその面影はほとんどなく、先進国にも劣らない、間違いなく「都市」が存在していた。
一方で地方部。バスで通る道は未舗装な箇所も多く、水溜まりにはまった際などには大きく車体が揺れることもしばしば。また、場所によっては衛生環境が整っていない地域もあり、粉塵が舞う最終処分場でウェイスト・ピッカーの方々が有価物を拾う姿には、事前に聞いていたとはいえ言葉が出なくなった。
ウェイスト・ピッカーの方々 向き合う問題は一朝一夕で解決できるものではない
それはただ「やめましょう」と言えば解決する単純な問題ではなく、雇用の観点、生活の観点、その他複数の問題が複雑に絡み合ってできていることを実感する。「魚ではなく魚の釣り方を教える」とはよく言われる表現だが、それには時間がかかってしまうもの。「支援」のあり方について改めて考えるきっかけとなった。
ホテルに着くと、毎日その日のテーマに沿って、答えのない「問い」に向き合った。「支援」の在り方について。「豊かさ」について。当日に訪問した研修先で見て、聞いたことをもとに、各々の中で鮮度高い意見が研ぎ澄まされていく。参加した学生は日本各地から、学部や興味関心もバラバラ。だからこそ、多様な意見が混じり合い、より問いが深まっていくのが心地よかった。
ほかにも、現地の伝統産業の復活を試み起業した日本人の方のお話を伺ったり、現地の孤児院を視察したり、「アンコール・ワット」を通して歴史や文化を学んだり。毎日刺激を受け続けるうちに、気づけばすぐに帰国の日となっていた。
12日間で多様な情報が洪水のようになだれ込んできた僕の頭は、終わった頃には十分に憔悴していた。しかしながら、これまでにどちらかといえば関心の少なかった「海外」、それも国際協力の文脈で学べた経験は何事にも代えがたいものとなっていた。
何より、一緒に参加した「仲間」との出会い。これまでの人生では、クラス、部活、それを含めた学校というコミュニティの他に自ら出ていくことはなかった。人見知りだと思っていた自分だが、「はじめまして」の人と話すのが意外にも苦になることはなく、むしろ考えをともに深めていくのが楽しかった。「また会おうね!」と声を掛け合いながら、地域別に分かれて帰路についた。
旅の余韻、そして次の一歩へ
その後数日間、旅の余韻に浸っていた。学びを整理することはもちろんだが、自分のなかで、これまでに気づけていなかった自分に気づけたように思えた。
正直、お金の問題や初海外という重さなど、普段なら尻込みする場面も多かった。「検討中」といったまま、いつの間にか申込締切を過ぎているなんてざらで、その度に小さな悔しさを繰り返してきた。しかし、今振り返ってもあのとき参加を決めた自分は間違いなく正解だったと思う。
確かに、現地に行かなくても、頭では理解できるだろう。しかし現地に行くからこそ、身体が覚えていく。考えが深まっていく。
そこで感じたことでまた一歩踏み出せば、また新たな出会いや気づきが待っている。
ここで得た経験や仲間は、決してお金では買うことができないものであり、次への一歩を踏み出すきっかけになった。
「答えのない問い」にここまで向き合った経験も初めてだった。高校までに経験してきた「答えのある問い」とはまた違う、善悪だけでは判断できない「問い」に向き合う中で、考え続けること自体の重要性を実感する場面が多々あった。
興味を持ったことにはまずチャレンジしてみること。自分で見て、関わって、考えること。こうした一歩一歩が、「行動力」のトレーニングのひとつであり、「フットワークの軽さ」へと繋がっていった。この経験がなければ、自分1人で知らない環境に飛び込んでいくなんて、そんな一歩は踏み出せなかったかもしれない。
現地のローカルなマーケットが好きなのは、海外でも日本でも変わらない
その後、僕はこの旅をに関わり続けたい思いが強くなり、「運営側」として2年間関わった。研修先の選定、説明会の企画、大学への広報依頼などなど、関われる範囲ではとにかく動いた。すべてがうまく行ったわけではなかったけれど、「ツアー参加者」という共通体験と興味関心を持つ全国の仲間と出会い、旅を作り上げるその時間は、非常に楽しく刺激的なものだった。
また、フットワークが軽い仲間に刺激を受け、自らも関心のある分野に対して積極的に行動をするようになった。前回の記事で書いた海士町に行ったのも、仲間たちの後押しがきっかけだった。
世界的な感染症の拡大によってツアーは「休業中」状態。運営メンバーも社会人になり、事実上解散ともいえる。
しかし、いつか自分も再び、このような学びや気づきを与えられるツアーを再び作る側になりたいと思う。
この挑戦があったから今がある。そうした機会を、あの頃の自分のような人に届けたいと思うから。
All photos by Nakashin