あの街には、また行かなければならない。旅をしていると、そんな思いを抱かせてくれる街に出会うことがある。そのなかのひとつで、とりわけその思いが強いのが、ダージリンだ。
━━━ダージリン。
インド北東部、標高2,000m、ヒマラヤの麓に位置する、別名「天空の街」。
賑やかで、街並みは美しく、どこか静けさを纏った不思議な街だった。そんなダージリンで見て、感じた景色や匂いや温度は、今も僕の記憶に強く残っていて、そして思い出すたびにまた、旅への思いを駆り立てられるのだった。
ダージリンの街並み
天空の街を目指して
2019年にインドを旅した時。
僕は旅の仲間とともにダージリンへ向かうことにした。
ダージリンへは「トイトレイン」の愛称で親しまれている「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」に乗って行くことができるとのこと。トイトレインはその名の通りおもちゃのような見た目をしており、世界遺産にも登録されている世界最古の山岳鉄道だ。
世界遺産、世界最古、山岳鉄道。標高2,000mの「天空の街」……。
なんと旅人の心をくすぐる響きだろうか。是非ともそのトイトレインに乗ってダージリンへ向かってみたい!
そう考え、ワクワクしていた僕らだったが、残念ながら予約が取れずに断念……。予定変更をし、麓の街のシリグリから乗り合いジープに乗って行くことに。
乗り合いジープ
これがまた過酷だった。窮屈な車内に押し込まれ、曲がりくねる山道にひたすら揺られる。
長時間移動の疲れに加え、標高が高くなるにつれて悪くなる体調。果たしてこのまま無事にダージリンへと着けるのだろうか……。
そんな中、不意にジープに若い女の子が乗り込んできた。彼女はインドというよりチベット系の顔立ちで、日本人にも近い雰囲気があった。
仲間の一人が話しかけると、彼女ははにかみながら、自分は地元の高校生であるということを話してくれた。その笑顔はとても純朴で、疲弊していた僕らの心を癒してくれた。
乗り合わせた少女
この出会いは、デリーやバラナシといった「これぞインド」という都市を巡ってきた僕らのイメージを覆すものだった。
ダージリンとは一体どんな街なのか。
ジープの車窓から見える山あいの景色を眺めながら、僕らは「天空の街」へと向かった。
整然と雑然の融合
街の喧騒
5時間程かけて、ようやくダージリンに到着。
ジープを降りた瞬間、冷たく、澄んだ空気に包まれた。思わず身体をすくめる程の寒さだった。
それまでは半袖短パンで旅をしていたが、ここではそうもいかないようだ。僕らは急いで防寒具を買いにマーケットへ繰り出した。
寒冷な気候に、乾いた空気。
街を行き交う人々は、先程乗り合わせた少女のようなチベット系の顔立ちが多い。強引な客引きもほとんど来ないし、店先に立つ人はどこかクールな雰囲気を漂わせている。
山岳地帯のダージリンはフルーツが豊富
そして何より目を引くのは、街並みの美しさだった。
ダージリンは、かつてイギリスの植民地時代に避暑地として開拓された街。そのために街並みは英国風の整然とした雰囲気が今も残っている。しかし同時に、インド特有の雑多な賑わいも随所に見られる。
イギリスの整然とインドの雑然が融合した街。
それがダージリンであり、僕はその融合に美しさを感じた。
これまで訪れた熱狂のインドとは、まるで別世界……。喧騒の中に静かに佇むクロックタワーを見つめ、僕はそう感じていた。
街のシンボル・クロックタワー
喧騒と静寂、そして美しさ
そんな魅力的な地・ダージリンの旅だったが、僕らはこれといって何をするでもなかった。
後から調べると、ダージリンティーの農場見学のツアーや動物園、自然公園など、観光スポットはいくつもあった。
しかし僕らは、そういった場所に訪れるでもなく、街を歩き、買い物や食事をしたり映画を見に行ったり、ホテルのルーフトップから街並みを眺めたりと、ただのんびりと過ごすばかりであった。
その理由のひとつとして、体調の問題があった。
ジープで標高2,000mまで一気に上がってきたために、仲間に高山病の症状が出てしまったのだ。僕もまた旅の疲れに加えて寒さもあって、活発に行動する気持ちになれなかったのだ。
ルーフトップからの景色①
しかし、それはそれでよかったと僕は思う。
賑やかな街並みは歩いているだけで楽しかったし、人々の雰囲気は柔らかくて優しい。レストランやカフェも綺麗なところが多くて落ち着ける。
小さな中華料理屋で飲んだワンタンスープの味は今も忘れられない。インドのスパイス料理続きだった中、久々に食べた優しいスープ料理。五臓六腑に染み渡るとはこれのことかと感動した。
一見するとダージリンらしい経験とは言い難いかもしれないが、高地での過酷な旅の中で、この街の優しさを味わった瞬間だったと思う。
僕らを救ったワンタンスープ
僕らが乗れなかったトイトレインが走る様子を、間近で見に行ったこともあった。
可愛いらしい見た目ながらも、煙をあげながら力強く街を駆け抜けていく汽車。世界最古の山岳鉄道の勇姿を見送りながら、次は絶対に乗るぞという決意を胸に抱いた。
街をゆくトイトレイン
出かけるのがしんどい日には、ホテルのルーフトップで街を眺めながらゆっくり過ごした。
街をゆくトイトレインの汽笛。学校のグラウンドに集う学生たちの声。マーケットの喧騒。澄んだ空気の中に少し混じる煙たさやスパイスの香り。それらすべてを包み込む、美しく、静けささえ感じる街並み。
整然と雑然。
喧騒と静寂。
ダージリンとは実に不思議で、美しい街だ。のんびりと過ごしているうちに、気が付けば僕はこの街にすっかりと魅了されていた。
ルーフトップからの景色②
あの街には、また行かなければならない
先ほど書いたように、ダージリンでの滞在は観光名所を訪れたわけでも、何か特別な体験をしたわけでもなかった。
ただ、街を歩き、眺める。それだけだった。でもそれだけで、僕の心はダージリンに強く惹かれていった。
冷たく澄んだ空気、温かいスープ、優しい人々、美しい街並み、喧騒と静寂の入り混じった不思議な空気感。そのすべてが素晴らしく、僕に新しい世界を見せてくれた。
とはいっても、当然ダージリンにはまだまだ知らないことがたくさんある。
トイトレインに次こそは絶対に乗りたいし、ダージリンティーの農園も見てみたい。
そしてまたあの空気に包まれながら、街のことをもっともっと知りたい。
……あの街には、また行かなければならない。ダージリンの旅を振り返るたびに、僕はそんな思いに駆られるのだった。
次に行く時には、一体どんな世界が待っているのだろうか。想像するだけで、胸が騒ぐ。
トイトレインの走る線路は、街の中に溶け込んでいる
All photos by Satofumi Kimura