ライター

北海道出身、関西在住。読書と珈琲と文筆と旅を愛する31歳。インドとネパールが大好き。2025年、珈琲屋をオープンし、自家焙煎豆を人々に届けている。夢は旅する珈琲屋兼作家。

ネパールでの出会い

その翌年、僕は再びネパールを訪れた。

二度目の旅となると、国民性や街の空気感などにもすっかり慣れ、どことなくこの国のことがわかってきたような気がしていた。

旅の終盤、カトマンズのタメル地区に滞在していた僕は、賑やかな通りを我が物顔してぶらぶら歩いていた。

そんなとき、不意に一人の青年に声を掛けられた。

彼はトレッキング用品の店で働いている若者で、歳は当時でおそらく二十歳そこそこに見えた。

日本の文化、とくにアニメや漫画の文化が好きで、日本人である僕を見つけて思わず声を掛けたのだという。

彼は僕に興味津々でたくさん質問をし、日本への憧れを語ってくれた。僕もネパールが好きだと返し、互いに楽しい時間を過ごした。

Katmandu賑やかなカトマンズの通り
ふと、僕は彼に夢はあるかと尋ねてみた。すると彼は真剣な顔つきになって話し始めた。

僕は、ネパールの飲酒文化を変えたいと思っている。

この国には、まだ10代にもなっていない子どもにお酒を飲ませるという伝統が根付いているが、それはどう考えても悪影響だ。子どもの未来のために、そんな風習はなくすべきだと思う。

だから僕はいつかヨーロッパに行き、アルコールについて学びたい。そしてネパールの飲酒文化を変えたい。

そんな話をしてくれた。

僕は彼の情熱に心からの激励と敬意の言葉を伝えてから、「ネパールのことは好きだけど、そんな風習があったなんて知らなかった」と言った。

すると彼は頷いて、

「ネパールのことを知るなら、横に長く伸びるこの国土の東から西まで、自分の足で歩くことだ。そのとき初めて、ネパールという国の姿が見えてくると、僕は思う」

そう語ってくれた。

僕はその言葉に、がーんと頭に衝撃を受けたような感覚を覚えた。

ネパールを二度訪れただけでなんとなくこの国のことをわかった気になって、我が物顔して通りを歩いていた自分が恥ずかしくなった。

僕はこの国どころか、このタメルという小さな地区のことすら、何も知らないことに気がついた。

そして、日本のことだって何も知らないと思った。自分の暮らす街のことを何も知らずに、のほほんと生きてきた。

旅に出掛けても、目を向けるのは楽しいこと、もしくは自分の内面ばかりで、その国や土地の姿をしっかり見つめようとはしてこなかった。

しかしこの青年は、自分もネパールを東から西へ歩いたわけではないとは言っていたが、それでも自分の国の文化や伝統について学び、疑問を抱き、未来のために行動しようとしている。

彼と僕の差を感じたその瞬間、先生が言ったあの「大きな世界」という言葉が浮かんできた。

大きな世界を見るとは。

それはきっと遠くへ行き、いろんなものを見ることではない。

すぐそばにあるものを見つめ、考えること。そしてその視野を少しずつ広げていくこと。

それが、やがて大きな世界へと繋がっていく。そういうことなのではないだろうか。

先生の言葉と青年の言葉がリンクし、僕はそんな気付きを得ることができた。

僕は彼に感謝を伝え、また会いに来ると約束してネパールを発った。

次に会うときには、僕は彼に自分の見てきた世界の話をしたいと思った。

Katmandu2真ん中がカトマンズで出会った青年

地元を歩いて見えたもの

帰国後のとある時期、僕は少しのあいだ実家で過ごしていた。

暇な日には、高校時代を過ごした北海道の旭川へ出かけ、街をぶらぶら歩いた。

旭川は山々に囲まれた盆地で、冬は厳しく長い。どことなくどんよりとしていて、当時の僕にとっては息苦しい場所だった。

高校時代、部活にも入らず、遊びにも行かず、ひたすら受験勉強に明け暮れていた僕は、そんな毎日に疲弊していた。早くこの街を出て、すべてから解放されたかった。

旭川は、あの頃の僕にとって嫌いな街だった。

だが、久しぶりに街を歩いてみると、いろんな知らない景色が見えてきた。

いつも素通りしていた路地。そこを曲がってみれば、素敵な喫茶店や公園、街並みがあった。そんな風景はどこか新鮮で、見知らぬ街を歩いているような気持ちになった。

あの頃、僕はこの街のことを何も知らなかったのかもしれない。

息苦しさや疲弊した心をこの街のせいにして、目の前の風景に背を向け、見ようともしなかった。

けれど、少し視野を広げてみれば、そこには美しい景色があった。そのとき初めて、この街のことがほんの少しだけわかった気がしたのだった。

Asahikawaいつも素通りしていた公園に寄ってみると、美しい桜の木と夕陽の景色があった

Asahikawa

大きな世界とは

先生が僕に言ってくれた「大きな世界を見る」とは。

それは、ここではないどこか遠くの景色を見に行くことではなく、いま自分が立っている場所に広がる世界を見つめるということなのかもしれない。

インドを旅し、ネパールで青年に出会い、話し、地元に帰り、旭川を歩いた僕は、そんな解釈にたどり着いた。

それからというもの、僕は旅をするときも、見慣れたいつもの街を歩くときも、そこにある風景を丁寧に、しっかりと見つめるようになった。

そして、そこで見えたものに思いを馳せ、ときに考えをめぐらせ、わかろうと努力をするようになった。それがやがて、他者や異文化への理解につながっていくような気もした。

自分のことばかりだった僕が、そんなふうに少しずつ世界を知り、成長できたのは、先生の言葉とネパールの青年の言葉があったから。

ふたりが僕に、大きな世界とは何かを探させ、見つけさせてくれたのだ。

これからも僕は、ふたりの言葉を胸に大きな世界を探し、見つめるために、いま立っているこの場所から始まる旅を続けていきたい。

Katmandu②タメルの通りで、人々の営みを眺める

All photos by Satofumi Kimura

ライター

北海道出身、関西在住。読書と珈琲と文筆と旅を愛する31歳。インドとネパールが大好き。2025年、珈琲屋をオープンし、自家焙煎豆を人々に届けている。夢は旅する珈琲屋兼作家。

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