ライター

普段はひとりで家にこもっていられるくらいインドア派だけど、旅に出る。シェアハウスで3歳の子どもがいる家族と一緒に暮らしたことをきっかけに、血縁関係に縛られない“家族のあり方“などに問いをもちながら暮らす。海、散歩、バレエ、本を愛でながら、最近は山登りにもちょっとずつハマり中。

人生のなかで、大変なときって誰にでもあると思う。
受験とか、就活とか、引っ越しとか。

自分のそのときの人生において重大事項なんだけど、必死すぎて目の前がいっぱいになっちゃって、あとから振り返ってみると、すべてがギュッと凝縮して一瞬で過ぎ去っちゃったような、逆に途方もなく長い時間だったような、そんな不思議な気持ちになるとき。

私の人生にも幾つかあるけど、そのうちのおっきな一つは、間違いなく、小学校を卒業したあとの3年半。ドイツに住んでいたときのことだ。

ドイツへ行くか、日本に残るか

「みんなと一緒にドイツへ行くか、日本でおばあちゃん家に残るか選んでいいよ」

と言われたのは、小学校5年生の頃だったか、6年生の途中だったか。もう20年(!)くらい前のことだから、すっかり記憶もおぼろげだけど、母からそんなふうに言われたのを覚えている。

父の転勤でドイツへ引っ越すと最初に言われたのは、小学校1年生の頃。でも、その頃に9.11が起こり、しばらく延期になっていた。「転勤がなくなったわけじゃないから、いつかドイツへ行くよ」と言われていたけど、そのときがついにやってきた。

ドイツの街並み引っ越し先は、ドレスデン。東ドイツに位置する小さな田舎町。
世界大戦の空爆の影響で、昔の街並みが残るAltstadtと近代的な街並みが広がるNeustadtに分かれている。

当時は、まだ一度も日本を出たことがなく、ドイツなんて想像もつかない遠い国。駐在の子どもたちは、インターナショナルスクールへ通うのが定番だったので、いつかのために週1で英語を習っていたけど、それだって、自分の自己紹介ができる程度。あとは、 “This is my head. This is my nose.” とか、なんか身体の部位がやたらと言えたくらい。

それでも、もちろん漠然とした不安もあったけど、同時に、未知の世界へのワクワクとした期待もあった。

日本に残ることもチラリと考えたけど、うちで飼っていた犬たちもみんなドイツへ行っちゃうのに、一人で残されるのもさみしい。

中学校に上がって問答無用で制服を着るのもイヤだし、先輩後輩とか絶対にめんどくさい。

お城の景色ドイツで散歩したときの一枚。
6歳の頃から、ずっとパグたちと暮らしている。

それに、そのときの私は無知ゆえに、ずいぶんと楽観的だった。「英語も習っているし、わからなかったら辞書で調べたらわかるでしょ」と。

だから結局、ドイツへ行くことにした。

ドイツの家ドイツで住んでいた家。下階が幼稚園で、屋根裏が住居になっている面白い造りだった。

暗黒の時代

でも当然、そんな簡単にはコトは進まない。なにがしんどいって、まず言語がわからない。

もともと人見知りが強く、知らない場や初対面の人とのコミュニケーションは、まったくもって得意じゃない。そんな私の能力では当然ながら、言葉がしゃべれないのに、周りの同級生とがんがんコミュニケーションが取れるなんて夢みたいなことは、一切なかった。

しかも、中学校1年生の女子が休憩時間にやることなんて、もっぱらおしゃべりしかない。

ボール遊びや鬼ごっこで、いつのまにか友達をつくっていく弟や妹を横目に、仲良くしようと声をかけてくれる子たちの輪の中で、宇宙の言葉が飛び交っていくのを聞くふりをしながら、ときどき愛想笑いをするのが精一杯だった。

集合写真当時入っていた水泳部のみんなとの一枚
そのうえ、授業にもさっぱりついていけない。右から左へと声が抜けていくばかりで、理解ができないからすぐに眠くなる。大量に出される課題も、夜中までかけてやらないと終わらない。

それだけ必死にやっていても、成績は赤点ギリギリ、もしくは赤点。

勉強にあまり苦労したことがなかった小学生時代を思うと、憂鬱なんてものじゃ済まなかった。

だけど、どんなことにも終わりがある。2年が過ぎた頃には、暗号の羅列でしかなかった言葉が少しずつ読解できるようになり、耳をすり抜けるばかりだった音の連なりも、意味として聞き取れるようになっていった。

比較的、英語を介さなくても理解できる数学や化学、物理などの理数系科目が得意になり、帰国をする年には、成績優秀者として表彰されるくらいまでになった。

数学の先生当時お世話になった数学の先生
“努力は報われる”なんて言うけど、このときほど頑張ったことは、あとにも先にもこの3年半以外にない。

第二の故郷

こうして振り返ってみると、何をどう頑張ったのか、楽しかったのか、たいして語れることがないくらい、この頃の記憶はギュッとしている。でも私の性格では、間違いなく、このときの経験がなければ、一人で海外に行くこともなかったし、大学で留学してドイツへ行くこともなかったと思う。

市役所留学していたベルリンのRathaus(市役所みたいなところ)
ドイツは留学でも住民登録が必須。
何時間も待たされるうえ、ドイツ語での手続きに四苦八苦した。

思えば、ひとり旅を始めたのも、ドイツへ留学したことがきっかけだった。自由で気ままなひとり旅に憧れていた大学生の自分。でも、なかなか踏み出すことができず、足踏みばかりしていたところに、「海外なんて滅多に来れないんだから!今じゃなきゃいつするの!?」と内なる私に後押しされた。

スペインの市場柑橘系のフルーツがところ狭しと並ぶスペインの市場

オックスフォードの建築物イギリスのオックスフォード。ハリーポッター好きならわかるあそこ!

ドバイのモスクドイツ留学へ向かう途中、トランジットで訪れたドバイ
そして何より、インターナショナルスクールに通い、ドイツへ留学して、ひとり旅をするようになったことで、自らの行きたい道を生きている人たちに出会う機会が、圧倒的に多くなった。

「彼氏がドイツ人だから、ドイツへ来た」と軽やかに話すスペイン人だか、イタリア人だかの同級生。

「やっぱり先生になりたいと思ったから、教職課程に編入した」と言いながら、6年も7年も大学にいるドイツ人の友達。

ガラス職人の見習いとして、30歳でワーキングホリデーに来たという、旅先のフランスで出会った日本人。

人生初の海外はしんどいことも多かったし、今振り返ってみても、人生で一番大変な経験だった。その後に挑戦したひとり旅も、まあまあ散々なこともあった。でもだからこそ、今の私にとって欠かせない転換点になっている。

フランスの海ドイツ→スペイン→フランスへの電車旅の途中で、貴重品以外の荷物をすべて失くしたのも、
旅先で出会った台湾人の方と観光スポットを巡ったのも、
全部ひっくるめて今ではいい思い出。

もう10年くらい帰っていないけど、折に触れて思い出す。
ドイツが、私の第二の故郷。
忘れられないあの場所。

近いうちに、また旅先として戻りたい。

All photos by Atsumi Mizuno

ライター

普段はひとりで家にこもっていられるくらいインドア派だけど、旅に出る。シェアハウスで3歳の子どもがいる家族と一緒に暮らしたことをきっかけに、血縁関係に縛られない“家族のあり方“などに問いをもちながら暮らす。海、散歩、バレエ、本を愛でながら、最近は山登りにもちょっとずつハマり中。

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