「かわいい子には旅をさせよ」という言葉が嫌いでした。
これは私の母も折につけて口にしていた言葉なのですが、彼女はいつも私を新しい人の輪に連れていき色々な体験をさせようとする人だったので、私は幼心に「本当にどこかへ預けられてしまうのではないか、勝手にサマーキャンプへ申し込まれてしまうのではないか」とハラハラしたものです。
そんな私が、1人で海外へ行き、旅することに目覚めたきっかけは、16歳の時に訪れたオーストラリアでした。
たった2週間の留学でしたが、そこで触れた非日常的な経験や出会いによってその後の進路・キャリアに対する考え方が大きく変わりました。そして、この経験は間違いなく人生の転機となりました。
「パパ、ママ、オーストラリアへ行かせてください!」
留学先のゴールドコースト
高校1年生の冬、学校で1枚のチラシが配られました。
そこには「2週間の交換留学 in Australia」の文字が。
中学生の頃から海外アーティストや海外ドラマにどハマりしていた私は、早いうちに海外に行きたい、もっと英語ができるようになりたい、と思っていました。
そのため案内のチラシを見たときに、これはチャンスかもしれないと感じ、大事にファイルの1番後ろへ入れました。
しかし、とても迷っていたのも事実です。
これまで私は、1人で2週間も出かけたことがないですし、ましてやそれが日本語の通じない、電波も届かないところとなると、不安で仕方ありません。
それに、決して安い金額ではなかったので、親に頼むことを躊躇う気持ちもありました。
それでも親というのは怖いもので、何気ない会話の中で、急に海外留学の話をしはじめました。
学生のうちに行ったらいいじゃないか、というような軽い話だったと記憶しているのですが、言うなら今しかない!と思った私は、気づけば「パパ、ママ、オーストラリア留学がしたい」と頼み込んで、学校で説明された話を口にしていました。
ありがたいことに、両親はその話を前向きに聞いてくれて、ついに行くことが決まりました。
私は、念願叶って実現した海外生活に心躍らせていました。
暑い冬、だってここは南半球
はじめての長時間フライト
ついに出発のときになりました。
賑やかな空港も大きな荷物も全部はじめて。
前夜までの緊張は嘘のよう。空港に着いてからはワクワクが勝っています。
送りに来てくれた両親とお別れをして、2週間の旅がスタートしました。
9時間のフライトののち、ブリスベン空港に到着です。
ゴールドコーストはサーファーに人気のエリア!
ん?暑い!!
3月初旬で、日本はまだまだ寒い季節でしたが、飛行機を降りるとボワっとした生ぬるい空気が身体を包みます。
そうです。オーストラリアは南半球なので、季節が逆転しているのです。
マーケットで見つけた特大のカボチャ!
晴れの日が多いオーストラリアでは、心なしか人の性格も穏やかで、スーパーに並ぶ食品の種類も豊富です。
天気や土地が人の性格や食事、お祭りなどの文化を作っているということをはじめて知り、肌で生の情報を感じることに高揚感を覚えたのはこの時かもしれません。
本気で望め。何者にだってなれるんだから
2週間のオーストラリア留学中の大半は現地の高校に通い、それ以外の時間はホストファミリーに色々と連れて行ってもらいました。
現地の高校と言っても、英語はビギナークラスなので、他国の生徒と出会う機会は少なかったのですが、先生が校内を案内してくれた際に、1人の日本人の女の子と出会いました。
お迎えを待つ待機場ですが、私にとっては思い出の場所。
それがカエデちゃんです。
彼女は、同い年の女の子。中学を卒業してすぐにオーストラリアに1人で来て、ホームステイをしながら現地の高校に入学したことを話してくれました。
中学を卒業したら、地元の高校に行くものだと思っていた私とは、雲泥の差。
私が高校受験をしていた時に、オーストラリアへ行く準備をしていた子が居たのかと思うと、なんだか自分にイライラしてきました。
ホームステイ先の近く。
カエデちゃんに出会ったその日の夜。
私はベッドの上で海外の大学に行く方法を調べまくっていました。
直接入学する方法、編入する方法、長期留学や一度社会人になってから進学する方法……、そのときビザの違いについてもはじめて知りました。
私は、カエデちゃんとの出会いから、「自分が本気で望みさえすれば、何者にだってなれる。」と言うことを学びました。
帰国までに決めた2つのこと
アボリジニの文化を体験中!
私は、オーストラリア滞在中に2つのことを決めました。
それは、①やりたくないことをやめるということと、②やりたいことをやるということでした。
何を今更そんな当たり前なことを言っているのだ、と思われるかもしれません。
しかし、当時の私の行動は矛盾だらけでした。
例えば、テスト勉強は3週間前からしっかりやりたいと思っていてもついつい後回しにしていましたし、友人に誘われれば断りきれずに乗り気がしなくても付いていっていました。
それから、本当は英語のスピーチコンテストやESS部に興味があるにもかかわらず、“運動部”で居たいがためにバドミントン部に所属していたし、海外に行きたいと思っていたのにそのための行動は何一つしていませんでした。
私が変わることができた理由は、オーストラリアの広大な大地に触れたからかもしれないし、なんでもはっきりと言うホストマザーのおかげかもしれません。理由がなんであれ、オーストラリアという異国で過ごしたことによって私の考え方は大きく変わり、帰国する頃には、「私は私なんだ」という覚悟のようなものが決まった感覚がありました。
不安なら。迷いがあるなら。旅をしよう
旅行気分で始まったオーストラリア旅でしたが、思わぬ出会いが私の人生を大きく変えました。
帰国後すぐに私は、バトミントン部を辞めて留学の資金集めのためにバイトを始め、やりたかった英語のスピーチコンテストに打ち込んで地区優勝・県2位という長年の夢を叶えることができました。
帰国後に見た日の出
私がここまで大きく変化できたのは、未知の世界へ飛び込んでまだ経験していない事に挑戦する「旅」だからこそです。
そして今、私は自分自身の変化だけでは飽き足らず、旅をしてみたいと思っている人、何かを変えたいと思っている人の背中をそっと押せる人になるべく、こうして旅の良さを発信し続けているのだと思うのです。
旅は、自分の好奇心に近い欲を満たしてくれます。
すると、満たされた人間は、自分の経験や学びを周りにいる他者のために使いたくなります。
こうやって、私の憧れる「強くて優しい人」は出来上がっていくのだと信じています。
そのちょうど5年後、3ヶ月1人旅をするほどに成長するなんて思ってもみなかった。
今なら母がよく言っていた「かわいい子には旅をさせよ」と言う言葉の意味がよくわかります。
きっと私も、自分の子どもには旅をさせるでしょうから。