瀬戸内海をみつめて
翌日、僕は宣言通り、尾道へ向かった。
駅に着き改札を抜けると、初めて来る場所なのにどこか懐かしい空気が流れていた。
商店街を練り歩き、喫茶でコーヒーを飲む。
それだけで心が弾んだ。
尾道はいい街だった。来てよかったと心から思った。
「坂の街」としても知られている尾道。商店街の次は、坂道をひたすらゆく。
尾道は他にも「◯◯の街」という呼び名がいろいろある。
文学、映画、そして猫!
この坂道にはそのすべてが詰まっていて、どれも僕の好きなものだった。
志賀直哉先生の旧居はここです
志賀直哉が『暗夜行路』を執筆したという旧居跡。
『時をかける少女』(1983年)のロケ地に使われた艮神社
映画『時をかける少女』で、ヒロインの和子がタイムスリップして出てきた艮(うしとら)神社。
坂道の至るところに可愛いにゃんこが寝ていて、「猫の細道」では猫にまつわるものがところどころに。
坂の途中は猫だらけ
猫の細道
そんな好きなものへの寄り道を堪能しながら、どんどん坂道を登る。そして息を切らしながら辿り着いた、千光寺公園。
そこから見えたのは、素晴らしく美しい景色だった。
尾道の街並みと桜。広がる瀬戸内海。
雲ひとつない青い空。
海をゆっくり進む船と、水面にきらきらと光る春の陽射し。
向こうに浮かぶ島に見える、緑の山々。
その絶景に、思わず「おお……」と声が漏れた。
千光寺公園から望む瀬戸内海
瀬戸内海には尾道から今治まで続く6つの島があり、それらをしまなみ海道が繋ぐ。
僕はふと、『星宿海への道』という小説のワンシーンを思い出した。この小説は、僕を旅に駆り立ててくれたあのエッセイを書いた、宮本輝の作品だった。
中国の黄河源流にあるという「星宿海」。そこは無数の湖がある土地で、夜になるとその湖面に星が映るという。
無数の湖に輝く、無数の星々の光。
それはまるで星が生まれるかのような光景で、それゆえに人々はここを「星宿海」と呼ぶー
その星宿海をキーワードとして物語は進み、主人公はやがて瀬戸内海に辿り着く。
しまなみ海道から夜の瀬戸内海を望んだ時、無数の星々が海に映る光景が見え、主人公はそれを星宿海と重ね合わせるー
そんなシーンがある。
僕が瀬戸内海を見つめたのは昼間だったが、この海に確かに星が宿るんだろうなと想像するだけで、心が震えた。
『星宿海への道』は、前年ネパールを旅した時にカトマンズの本屋で見つけ、異国で宮本さんに出会えるなんて!と感動して買ったもの。
旅の中で出会った宮本輝の小説に出てきた場所と、宮本輝のエッセイに導かれて旅した場所が重なった。
こんなことってあるんだなぁ。
僕はこの海を見るために、旅に出たのかもしれない。
そういうことにしてもいい、と思った。
宮本輝『星宿海への道』
悩むのもまたよし
帰りの電車に揺られながら旅を振り返る。
当日まで悩み続け、何も決まらないまま出発した尾道旅。
途中で列車が止まるトラブルもあり、不安な気持ちにもなった。それでも、来てよかったと思える素晴らしい景色に出会えた。
今までの自分は、時間やお金、環境などのせいにして、やりたいことを見送ってきた。
悩んだ末に、決まりかけていたことをやめることも多かった。それがどんなにもったいないことだったか……。
「いつか」や「そのうち」は、自分から動かなければ来ない。でも、自分から動けば「いつか」が「いま」にだってなる。
やってみたいことは、うまくいかなくてもやったほうがいい。だって人はいつ死ぬか、世界はいつどんな状況になるか、わからないから。
うまくいかなければそれも思い出になるし、学びもある。だから、行動に無駄なんてない。
あの日、宮本輝のエッセイを読んで旅に出た僕は、そういう気持ちを持って生きるようになった。
コロナ禍を経た今、その思いはより強まっている。
千光寺公園の桜
そしてもうひとつ。
悩むこともまた、よしということ。
悩む時間がもったいないと言う人もたくさんいる。もちろん、できるなら悩まずに決めたほうがいい。
それでも、悩んでしまう人は多いだろう。
そんな人に僕は「悩んでもいいんだよ」と伝えたい。
悩むということは、いろんなことを考えること。
思慮を深め、物事にじっくり向き合うこと。
そこに無駄なんて絶対ない。最終的に行動を起こせれば。
だから僕は今日も悩みながら、行きたい道を歩き続けている。
ころがりにゃんこ
All photos by Satofumi