こんにちは、トラベルライターの工藤綾香です。
今回は、わたしの大好きな画家の1人であるチェコ出身の「アルフォンス・ミュシャ」の人生や、ミュシャが作品に込めた思いをご紹介します。
彼の作品を見ていく中で、現在世界で起きている「文化の多様性」や「グローバリズム」といった考えに触れながら、わたしたちが自分たちの文化とどのように関わっていくべきなのか、考えていきたいと思います。
チェコ出身の芸術家アルフォンス・ミュシャ
チェコ共和国はヨーロッパの中心に位置し、「ヨーロッパの心臓」とも呼ばれ、地理的にその中心に位置します。
そのため古くから東西南北の文化の交流地点であり、美しい建築物や各種芸術、豊かな自然をたたえたチェコは、「ヨーロッパの良さがすべてつまっている」と表現されるほどです。
photo by Ayaka Kudo
そんなチェコ出身のアルフォンス・ミュシャは、今や日本で最も人気のある西洋画家のうちの1人。自然のモチーフと自由な曲線が特徴的なアールヌーヴォーを代表する芸術家です。
近年は日本でも、全国のどこかでミュシャの展示会が開催されない年はないほどの人気を誇っています。
今年2020年も全国をめぐる巡回展として「みんなのミュシャ」が開催されており、大盛況だということです。
また大阪府堺市も個別に、「堺市文化館 堺アルフォンス・ミュシャ館」としてミュシャの生誕160年を記念した展覧会を開催しています。
首都プラハで会えるミュシャ
photo by Ayaka Kudo
ミュシャの祖国であるチェコの首都プラハは、中世からの歴史ある街並みがまず見どころ。街全体が世界文化遺産に登録されてるのです。
そんなプラハには「ミュシャ美術館」があり、彼の作品やスケッチの数々を鑑賞でき、また映像作品で生涯を学ぶことなどができます。美術館自体はそれほど大きくなく、滞在時間は1時間弱といったところ。
館内にあるミュージアムショップではポストカード、ポスター、その他各種グッズなど買えますので、プラハを訪れた際にはミュシャファンにとって必見の場所と言えます。
プラハでミュシャの作品に出会うことができるのは美術館だけではありません。1番有名なのは、「世界一古く大きいお城」としても名高いプラハ城の敷地内、「聖ヴィート大聖堂」内の一角です。
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この巨大な大聖堂の中に入ると、壁一面には張り巡らされたステンドグラスの数々。その内の1つがミュシャの作品です。さすがにミュシャの作品ということもあって、ステンドグラスの前には人だかりが。
また、チェコを代表する作曲家スメタナの名を冠した市民会館「スメタナ・ホール」では、柱の彫刻からカーテンの刺繍まで、ミュシャが子細に内装をほどこした部屋を見学することができます(見学にはガイドツアー参加必須)。
アールヌーヴォーから歴史画へ
ミュシャと名前を聞けば真っ先に想像するのが、美しい女性や花・星などを中心とした、写実的というよりはイラストチックな、色使いが特徴的できらびやかな作品の数々。
通常、日本でのミュシャの展覧会のポスターなどに使われるのもこういった美しく洗練されたイラスト作品です。
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ミュシャが一躍有名になったのは、舞台「ジスモンダ」のポスターを偶然手がけたことがきっかけでした。
これで主演のフランス人女優に才能を見そめられ、5年契約で広告宣伝を担当することになり、イラストレーターとして成功したミュシャ。彼の描く女性の豊かな髪の渦は「ミュシャ様式」と呼ばれるようになり、アールヌーヴォーの象徴ともなりました。
アールヌーヴォーの代表格、華々しい経歴を歩んできた…そんなイメージとは裏腹に、ミュシャと切っても切り離せない関係にあるのが、祖国チェコの歩んできた苦難の歴史です。
ヨーロッパの中心にあって、歴史上常にドイツやロシアなどの強国から侵略され、支配されてきたチェコ。ミュシャは、オーストリア=ハンガリー帝国統治下のチェコにおいて、民族復興運動のさなかに生まれ育ったのです。
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キャリアを追求するために祖国を去らざるを得なかったミュシャですが、チェコ人として、またスラヴ民族としてのアイデンティティと祖国愛は生涯変わらず彼の精神的支柱でした。
画家として、特にデザイナーとして知名度が上がり、多忙を極めたミュシャでしたが、ウィーンやミュンヘン、パリ、どこへ住もうともチェコ人などのスラヴ人の同胞とのつながりを大切にし続けていたといいます。
オーストリアの支配下にあったチェコで、国民一人ひとりが希望を持ち続けるために、自分たちの歴史と向き合うための絵画作品が必要だと、長きにわたって国外にいたミュシャは痛感していたといいます。
アールヌーヴォーからの脱却
そして50歳になったことをきっかけにチェコに戻り、そこから約16年間にわたり「スラヴ叙事詩」と呼ばれる、20作品の巨大な大連作に自身をつぎ込みました。
ミュシャの祖国愛の結晶であり、また自身の代表スタイルともいえるアールヌーヴォーからの脱却です。
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当時のチェコは多くの人がスラヴ民族でした。彼の残した「スラヴ叙事詩」は、そのスラヴ民族に伝承される神話を含めた壮大な歴史画で、第一次世界大戦後の1918年にチェコが(当時はチェコスロバキアとして)独立を勝ち取るまでに至るプロセスが描かれています。
この作品を制作するにあたってミュシャは、誰から依頼を受けたわけでもなく、また資金を得るために何度もアメリカにわたったということです。
長きにわたって強国からの制圧に苦しめられ続け、それでも民族としての誇りを持ち続けてきた先人たちへの思いが彼を突き動かしたのでしょうか。
チェコの変遷とミュシャの死
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「スラヴ叙事詩」は、描かれた当時こそ国民への強いメッセージ性を含んでおり、オーストリア=ハンガリー帝国という強国からの支配下でもチェコはそれに打ち勝ち「スラヴ民族の連帯と統一を目指す」という希望のもとに描かれた作品でした。
しかし、16年後の完成時にはすでに、チェコスロバキアとして独立を果たしてから10年が経っていたのです。チェコは史上最も幸せな時期でもあり、ミュシャのメッセージは時代遅れと見なされました。
その結果、有名画家の作品にもかかわらず、しばらくの間はその価値が理解されないままでした。
それでもミュシャは幸せだったかもしれません。祖国に帰ってきた彼は自民族の独立という歴史的瞬間を経験しました。
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そして新国家のために紙幣や切手のデザインや、冒頭でご紹介した市民会館「スメタナ・ホール」の装飾など、ついに念願叶って祖国のために働くことができるようになったからです。
悲しいことにそんなチェコの幸せな時代は長く続かず、独立からわずか20年でナチスドイツによって解体されてしまいました。ミュシャはこのとき、チェコ国民の愛国心を促す絵を描いているという理由でドイツ軍から目をつけられ、逮捕されてしまいました。
そして彼は数日間にわたる尋問を受けたといいます。それが体の負担となってか、釈放から数ヶ月後に亡くなってしまいました。ミュシャの祖国が再びの独立を果たしたときには、すでに彼の没後でした。
民族のアイデンティティとは?
「スラヴ叙事詩」という作品を通して、ミュシャはわたしたちに「民族のアイデンティティとは何か」ということを問いかけてきます。
ヨーロッパの中心に位置し、周囲から征服され、文化を抑圧され、変化を強いられてきた人々が自民族に対して抱く思いは、ひょっとしたら復讐に近い心情かもしれません。
そのような被支配の歴史をもたない日本のわたしたちには、なかなか理解しがたいことにも思えます。
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しかしわたしたちも、誰からも強制も抑圧もされていないものの、文化の変容に立ち会っているという意味では他人事ではありません。わたしたちの生活も、経済も文化も、今や世界との関わりなしには語れないのが事実です。
食文化ひとつ取ってみても、わたしたちは諸外国からの影響をたくさん受けています。ハンバーグ、ラーメン、ピザにカレー、これらはどれも、過去の日本にはなかったものです。
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戦後わたしたちは他国に日本文化を強いてはいませんし、他の文化を奪い取ってもいません。平和的に他文化の良いところを取り入れ、お互いの文化を平等に尊重する考え方は、ミュシャの時代からすれば革新的とも言えましょう。
しかし同時に、他の文化を受け入れることは、元々その土地に根付いていた文化を変容させること、また破壊することに繋がるという考え方もあります。
このことを「グローバリズム」や「文化の多様性」のデメリットだと唱える人は決して少なくありません。
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たとえば現在、日本の国技である相撲という競技を考えてみます。力士のトップである「横綱」の地位にいるのがモンゴル出身の力士のみで、日本人がいないという事実を、よく思わない人たちも一定数います。
他の例では、輸入品の増加に伴い、元々日本にあった工芸品や着物などの伝統品はなくなりつつあるとも言われています。
お互いの文化を尊重し認めあう
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外から文化を受け入れることで起きるこうした変化を、わたしたちは嘆くべきなのでしょうか。わたしは必ずしもそうではないと思います。
国内においては「日本の文化が失われていく」と嘆く声もある一方で、日本の文化が世界に広がりつつあるのも事実です。今や世界のいろいろな国で日本食レストランを見つけられますし、盆栽などの日本文化も海外で大人気です。
変化は変化として受け入れ、わたしたちが互いの文化を理解し尊重し、また自分の文化を守りつつもそれを他者に押しつけ強制することなく、共存を目指すことが一番大事なのではないでしょうか。
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ミュシャが目指した「自分たちの民族・文化を守る」という理想は、現代日本で生きるわたしたちにも理解できるものです。
彼らの時代にはそれは、他者に強制したり、奪われたら奪い返したり、といった形で実現するしかありませんでした。ヨーロッパという陸続きの土地ではなおさらです。
わたしたちのこの時代にあっては、自分の文化を守ることによって他の文化と衝突したり、他の文化を排斥したりするのではなく、お互いを認め合い尊重しあう形で、自他の文化を守っていきたいですね。