チェコ共和国の首都プラハは第二次世界大戦で甚大な被害を受けなかったということもあり、美しい歴史的建造物が残っていることで知られています。一方、プラハには別の顔もあることを知っていましたか?
今回はプラハが持つ「別の顔」を知るべく、プラハの共産主義ツアーを解説します。
ツアーを紹介する前に、軽くチェコの現代史を勉強しておこう
Photo by Nitta Hiroshi
共産主義ツアーを紹介する前に、チェコの現代史を軽く見ておきましょう。第一次世界大戦までチェコはオーストリア=ハンガリー帝国に統治されていました。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は「チェコスロバキア共和国」として独立を果たしました。
しかし、独立の時代は長くは続きませんでした。第二次世界大戦にてチェコはナチス=ドイツの攻撃を受け、併合されてしまいます。戦争中、多くのチェコ人がナチス=ドイツに立ち向かい、命を落としました。
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第二次世界大戦が終わり、再びチェコスロバキアとして独立を回復します。戦後すぐに選挙が行われ共産党が第一党に。1948年、クーデターによりチェコスロバキアはソビエト連邦の影響下にある共産党一党独裁の共産主義国家となりました。
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共産主義体制化のチェコスロバキアでは、政府批判は御法度。批判した人は秘密警察により連行されました。また国が経済を統制する計画経済が採用されたので経済成長は大幅に落ち込むことに。
「これではいけない」ということで1968年にドプチェク共産党第一書記による社会・経済改革「プラハの春」が行われました。
しかし「プラハの春」に対しては、変革を望まないソビエト連邦が激怒。結局、ソビエト連邦を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻し「プラハの春」は終わりを告げます。以降、チェコスロバキアは「正常化時代」と言われる抑圧的な時代が続きました。
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共産主義時代にピリオドが打たれたのは1989年のこと。共産主義体制崩壊後は日本と同じ民主主義、自由主義体制として歩んでいます。1993年にチェコとスロバキアが分離独立。2004年にEUに加盟し、今日に至っています。
共産主義ツアーに参加してみた!
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共産主義ツアーは11時に市民会館からスタート。参加者は私を入れて6名です。ガイドによると日本人の参加はかなり珍しいようです。
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話は脱線しますが、市民会館の周辺に可愛らしいビルディングを見つけました。よく見ると中央に装飾が施されています。
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アップにしてみました。隣国のポーランドでもドイツでもあまり見られないと思います。さて、チェコが持つ「可愛らしさ」と共産主義ツアーの「ティープ」、このギャップはいかほどでしょうか。
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最初に訪れたのは1970年代に建てられたショッピングセンターです。1968年「プラハの春」以降、共産党政府は人々を満足させるために消費生活に力を入れました。
しかし計画経済の社会では高品質の日常品は夢のまた夢でした。ところで、プラハの人々はこのショッピングセンターを「醜い建物」と呼んでいます。
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旧市街広場に着きました。ここでは第二次世界大戦後、チェコスロバキアの指導者となったゴットワルトが共産主義体制の樹立を宣言しました。
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演説をしているゴットワルトの周りには「人」がいます。
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しかし後の公式写真からは「都合の悪い人」が消されています。共産党政府はライバルを次々に粛清しました。粛清のやり方がよくわかる写真です。
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しばらく歩くと丘が見えてきました。丘からはプラハの街が一望できるようですが、とある秘密が隠されています。
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ソ連の指導者、スターリンが生きている間、丘の上には巨大なスターリン像が置かれていました。しかし、1953年にスターリンが死ぬとソ連やチェコスロバキアでは「スターリン批判」が起き、スターリン像を爆破。ちなみにゴットワルトもスターリンの後を追うように亡くなっています。
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こちらの殺風景なホテルも共産主義時代に建てられたもの。さすがに客室はリニューアルされていると思います。今日、ヨーロッパではこのような共産主義的建物が注目を集めているとか。なかなか興味深い事例です。