ライター

中学2年生の時、渋谷のファーストキッチンで外国人留学生と友達になったことを機に彼らの「心がオープンな在り方」に魅了され、漠然と「海外で暮らしてみたい!」と興味を持つ。その半年後、初めての海外ニュージーランドへ。大学卒業後は青年海外協力隊で念願の異文化の中で暮らしながら働く。中米グアテマラの小さな町の小学校教育の分野で活動する。市内ワーストだった僻地校が2年で市内トップに。帰国後は、さまざまな困難に直面する子どもやその保護者と関わる。好きなことは、お散歩。

こんにちは、鎌倉在住ライターNATSUKIです。「グアテマラ」と聞くと、みなさんはどんな印象を抱くでしょうか?

私自身は、グアテマラへ行く前、「治安が悪くて」「コーヒーが有名な国」という印象を抱いていました。その印象は裏切られることなく、首都付近を中心に、公共バスでは拳銃強盗が日常茶飯事で、確かに日本より格段に治安が悪い国でした。

また、町の友人やその家族の多くはコーヒー農園を持っており、世界有数のコーヒーを産出国であることも肌で感じました。

それでも、帰国してからも私の心に深く印象づけられているのは、治安やコーヒーのことではなく「彼らの暮らしって豊かだなぁ。幸せな国だなぁ。」ということです。

彼らの暮らしには、日々の何気ない「1日の幸福度がちょっと上がるヒント」が散りばめられていたのです。そのいくつかをご紹介します。

大人も大好き!「おやつの時間」


日本でいう「15時のおやつ」のように、グアテマラにもその時間が存在します。グアテマラでは「10時のおやつ」。

日本との違いは、グアテマラでは公的に「おやつの時間」が組み込まれているということです。全国の公立小学校・中学校にも「10時のおやつの時間(refacción:レファクシオン) 」があるほど。

子どもの頃から、グアテマラ人の生活に「10時のおやつの時間」という文化が根付いています。

驚くのは子どもだけでなく、大人にとってもこの時間は欠かせない時間となっていることです。

この時間には、一度仕事の話からは離れて、日常の他愛もない話をします。家族の話や、昨日会った出来事や朝食の話など。本当に他愛もないことから、人生観についての話など話題は多岐にわたります。


初めて、この「10時のおやつの時間」を経験した時は、「仕事中なのに、いいの?」「早く切り上げて仕事しようよ!」という気持ちになりました。

しかし、2年間振り返るとこの時間の積み重ねが、所長や同僚とコミュニケーションを取る大きな機会となっていました。(そのおかげか、仕事の交渉等もスムーズに進んでいました。)

日常的に職場の人とコミュニケーションを取ることで、職場の一人ひとりを知る機会となり、知るとその人のことが好きになり一緒に働くことが楽しくなり、職場を離れても付き合いたいと思える世代を超えた友人ができました。

勤務時間の中の30分間の「おやつの時間」が、何気ない日常を振り返ってみると、「ちょっと幸福度が上がる時間」になっていたのです。

あいさつが与える、ほっと心温まる一瞬の積み重ね


グアテマラでは、挨拶+αの会話が日常的です。

「おはよう。」や「こんにちは。」の二言目に、「¿Cómo estás?(今日の調子はどう?)」という言葉が続くことも珍しくありません。自然と会話が生まれ、思いがけず、お友達ができていきます。

そして、日常的な挨拶に加えて道ですれちがう知らない人に、「Que le vaya bien!(いい1日になりますように。)「Feliz día!(幸せな1日を送ってね。)」と声を掛けられることもあります。

こんな言葉をすれ違った人に言われると、「いい日になるなぁ。」と思わずにいられません。そんなちょっとした「挨拶+αの言葉」が、1日の幸福度をちょっと上げてくれる気がしました。


また、グアテマラでの挨拶の仕方は握手かハグかほっぺとほっぺを合わせる挨拶(orキス)が主流です。肌と肌が触れ合うことで、不思議なことに、相手から「言葉にはならないけれど伝わる感情」を感じることがあります。

私がグアテマラへ来て初めて、1人で村から治安がいちばん悪いとされる首都へ出かける時のことです。

同僚に別れ際に「行ってくるね。」と挨拶をすると、いつもは握手だった挨拶が珍しくハグになりました。言葉にはしないけれどなんとなく「心配して見送ってくれてるんだな。」という相手の気持ちを感じとれたのです。

言葉にならない相手の想いを感じ取ったような気がする時、ストレートに心から心へ伝わるだけになんだかじんわりとあたたかい気持ちになります。

家族との時間は、たっぷりと。


グアテマラで暮らして初めての衝撃が、「お父さんと過ごす時間ってこんなにあるんだ。」ということでした。

グアテマラの職場でお昼休憩の時間になると、一人残らず同僚は一度家に帰宅し家族と食事をとっていました。(公立学校は、午前か午後の半日制のため子どもも家にいます。)

そして印象的なのは、お昼の時間に町から人が消えることです。都市部のお昼に人が町に溢れることと対象的に、お昼の時間は町がシーンと静まる時間でした。ただし、グアテマラでも首都や都市部はまた状況が異なります。

私は2歳くらいの時に、会社に出かけていく父を見送る時に「また、遊びに来てね~。」と父に言ったそうです。そんな私にとっては、なんだか「うらやましいなぁ」とふと思ってしまう時間の過ごし方でした。

「異なること」を知って、自分の価値観に出会う。


以上が、私がグアテマラという異国の土地で感じた、「日々の何気ない1日の幸福度がちょっと上がるヒント」です。

グアテマラには日本と「異なること」が溢れていました。自分と「異なること」と出会うことで、「私は違うと思う。」と批判に繋がることがあるかもしれません。

「異なること」を受け入れようとするとしんどくなるので、「へぇー。面白いなぁー。」「良いヒントもらい!」くらいでちょうど良い、と感じます。

それでも、間違いなく言えることは、「異なること」に出会う時は、自分にとって「大事にしたい価値観」があぶりだされる時だということ。

「異なること」との出会いを通して、「何を心地よく感じるのか」「何を嫌だと感じるのか」そんな自分の価値観と出会うことも、旅の醍醐味だと感じています。

All photos by Natsuki Ishibashi

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中学2年生の時、渋谷のファーストキッチンで外国人留学生と友達になったことを機に彼らの「心がオープンな在り方」に魅了され、漠然と「海外で暮らしてみたい!」と興味を持つ。その半年後、初めての海外ニュージーランドへ。大学卒業後は青年海外協力隊で念願の異文化の中で暮らしながら働く。中米グアテマラの小さな町の小学校教育の分野で活動する。市内ワーストだった僻地校が2年で市内トップに。帰国後は、さまざまな困難に直面する子どもやその保護者と関わる。好きなことは、お散歩。

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