懐かしい未来の風景を残す島の守人〜鹿児島県・甑島|山下賢太さん〜
キャリアと人生 ・2022年6月30日(2022年7月21日 更新)
日本縦断をはじめてから早1ヶ月。まだ鹿児島から出れずにいるのは島のせい。だって、飽きずに過ごしていけるほど、居心地が良いんだもの。
屋久島のあと、続いて訪れた島は鹿児島県の甑島(こしきじま)。本土からフェリーでおよそ1時間ほどの場所に位置しています。
漠然とした将来への不安に「モヤモヤするな〜」という方にはぜひ行ってほしい場所。甑島には何にもないからこそ感じられる懐かしい風景があなたを待っています。
そんな温かい気持ちにさせてくれる島の風景を、壊さず育てているひとりが山下賢太さんです。
山下 賢太(やました けんた)
1985年、鹿児島県甑島生まれ。東シナ海の小さな島ブランド株式会社創業者。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退後、16歳で無職。きびなご漁船の乗組員を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科・地域デザインコース卒業。「山下商店甑島本店」「FUJIYA HOSTEL」「コシキテラス」「miraistudioしまとりえ」等、地域固有の建築空間や公共施設などの小さな拠点の再生に取り組みながら、あらゆる地域資源が循環するしあわせなもの・コトづくりを通じて「世界一暮らしたい集落づくり」を実践し、国内外の様々な地域や業界を横断したプロジェクトに尽力している。
Twitter:
https://twitter.com/Yamaken1205
朝は豆腐屋さん、夜はバーの営業もしている「山下商店」にはじまり……
甑島の日常に溶け込んだ小さな宿「FUJIYA HOSTEL」
ふっくら美味しいパンが楽しめる、地域に根付いた「オソノベーカリー」
ほかにもお土産屋さんやコワーキングスペースなど、色々なお店をオープンしてきた”島のお兄ちゃん”的存在。
これだけ多くのお店を出してきたモチベーションはなんなのか?そして、甑島の魅力とはなんなのか。「懐かしい、未来の風景」をつくってきた賢太さんにお話を伺いました。
そのもの本来が持つ輝きを活かすために
賢太さんは甑島で色んなお店を運営していますが、どうしてこれだけアクティブに活動できるんですか?
力強さを背中で語る賢太さん
いきなりですけど、死ぬときに「自分が幸せだ」って感じられる状態から逆算しています。自分の歴史や文脈を考えた時に、自分はこの甑島で生まれ育ってきたからこそ、最後はここで死ねたら良いなと思って。
あはは。歳を重ねて足腰も弱くなって、いよいよこの世界からいなくなるとき、家から400mくらいの範囲の中に自分が幸せだなって思える時間と空間と仲間がいれば、安心して死んでいけるし、次の世代にも繋げていけますよね。
だから、自分が残したい風景をつくろうと思って、色んな活動に取り組んでいるだけなんです。
それは素敵ですね。死ぬ時のことを考え出したのはいつなんですか?
特別これってタイミングがあるわけではないけど、人生の節目で生きる目的は考えてきたかもしれません。「なんで生きてるのか」とか「何が楽しくて生きているのか」とか。
しみじみと語る賢太さん
もともとジョッキーを目指していた時期があったんですけど、競馬学校を辞めて無職になった時期があって。
夢に向かってる時はみんな応援してくれてたけど、夢がなくなった途端に「なんで辞めたの?」「あいつは言ってることとやってることが違う」って多くの人が否定的になりました。
まあね。でも「夢、持ってないのかよ」って言われても、「夢ってなんですか」ってなるじゃないですか。
なります!まさに今、そうなってるから旅に出てるようなものです(笑)
僕も挫折したときに、誰もが夢を追いかけることができるわけじゃないってことを感じて、すべての人を認めたいって思いました。それはボロボロの町とか、ボロボロの家にも当てはまることで。
みんなが「こんな家壊せ」って言うけど、僕はこの柱が生きてるように見えるから、この1本の柱を活かすためにどうしたら良いのかなって考えて、お店もつくりました。
そのものがもつ「らしさ」を活かす
今のお話でいくと、柱らしさに光を当てているのだと思いますが、その”もの”や”人”の「らしさ」は、どうすれば活かすことができるんですか?
まずはそのものの「らしさ」を見極められるようにならないといけないですよね。
見極められたら良いんですけど、簡単ではない気が……
そうですね。一歩目として始められるのは、そのものを活かすしかない状況に身を置くことかもしれません。甑島はホームセンターもないから、木材を調達しようと思っても難しい。
選択肢がないからこそ、そこにあるものをどのように活かすと良いのかじっくり考えます。例えば、そこに机がありますよね。
もともと何に使われてたと思います?
なんだと思いますか?
あれは、着物などを裁縫するときに使っていた和裁の古道具。今、その用途では使うことが難しいけど、机にしたらまた活きるんです。椅子も捨てられる予定だったものですし。
全然ゴミには見えませんね。お店の雰囲気とマッチして、活かされれてる。
そうなんです。選択肢がないということが、そのもの本来が持っている価値に気づく気持ちを進めてくれるんです。
都会の人たちにとって非日常の甑島
今や、ものも情報も溢れている中で、「選択肢がない」ってこと自体が少なくなったのかもしれないですね。
そう、だから何もないことの良さも甑島では感じてもらえたら嬉しいなと思っています。海や橋や断崖など、見て楽しめる場所がありますし、魚も美味しいので、分かりやすい楽しみ方もたくさんあります。
でも、そういった分かりやすいものを楽しんでもらうのも良いけど、それはネットで調べれば出てくること。
夜萩円山公園(鹿島断崖)は八千万年前の地層が現れているんだとか?
令和2年に開通した甑大橋
甑島は1,533mと鹿児島県内で一番の長さ!
でも、自分たちの日常は山がちな島の中に生まれた、奇跡的な平地の集落にあります。変えられない自然環境のリズムの上に、自分たちの生活がある。
道や家のつくり方にも、ひとつひとつ意味があって、派手な演出はないけど、島の日常がつくられています。
中甑島には漁師さんも多い
何気ない日常を追った地域密着タブロイド誌も
なんてことのない島の日常が好きなんです。でも、観光客にとってはきっと非日常。都会で生きる人にとっては自分の当たり前とは違う世界が広がっていると思います。
だって、看板とかもないでしょ?
実はこの道のどこかに「FUJIYA hostel」があります
看板って商売にとっては当たり前のようにあるけれど、そもそもなんのために必要なのか?ということを考えてみます。自分がここに暮らしていると、地域の顔と名前だけでなく何をしている人かもわかるので、自分が何物かを伝える必要がありません。そんなコミュニティの世界に、看板は必要ないですよね。
そう言われてみるとそうですね……その視点で東京を思い返すと、いかに商売に溢れた場所かということを実感します。
うん、他にも島ならではのエピソードとしては、島の人と出会ったら「せっかく来たならきゅうり、持って帰らんね」と言われて、フェリーに乗る前にたくさんのきゅうりが渡されるなんてこともあります(笑)
そんなことが当たり前になっている場所に観光客が来ることが良いんです。自分が知らない当たり前が、この甑島で繰り広げられているから。そんな島の日常に浸ってほしいですね。
「ない」なかでも自分で楽しみを見つけ出せる人は甑島を楽しめると思います。去年なんか、鹿児島にある大学生の女の子たちが1年で6回も来ましたから(笑)
そんなに!でも、また来たくなる気持ちはとても分かります。
うん、海外に行ったときのような、違う当たり前を感じたいときは甑島にぜひ来てみたら良いかもしれませんね。
ひとりになることを恐れないでほしい
最後に若い世代に向けて伝えたいことを伺ったところ、
「ひとりになることを恐れないでほしい」
そんな言葉も贈ってくれました。賢太さんは今はいろんな仲間と協力して、次なるプロジェクトに向けて動いています。でも仲間が集まってくるのは、たったひとりの存在であることを認めるからこそ。
自分らしい生き方をしていくためにも、自分の欲求を素直に認めて、行動に移していけば、少しずつ世界の見え方は変わるかもしれません。
賢太さんがつくった数々のお店には、自分を見つめさせてくれるような懐かしさがありました。ぜひ甑島に行って、非日常を感じながら、ゆっくりのんびりする時間をつくってみてはいかがでしょうか?
それでは、次はどこへやら。やりたいことにまっすぐに突き走る人を巡る旅、まだまだ続きます!
はい、きゅうり!
All photos by Yuki Higuchi