その他
樋口 佑樹 ディレクター

『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』という個人理念を掲げて、クリエイティブとコーチングをテーマに活動中。2022年には現在は、原チャリで日本を縦断しながら、地域を盛り上げる人たちに出会う「ひぐの出会い旅」を敢行中。 旅中のトラブルなど、鉄板のエピソードトークがあることに憧れ続けて早7年。好きなものは珈琲と旅とカメラ。

半年ほどで日本縦断しようと思っていたものの、鹿児島県にどっぷりハマり込んで3週間ほど滞在していたひぐです。

6月、鹿児島県をようやく脱出してやってきたのはチキン南蛮発祥の地、宮崎県!チキン南蛮が好きすぎて、宮崎に滞在していた5日中の5日間すべてチキン南蛮を食べていました。(個人的にはクレイトンハウスがイチオシです。)


変わり種のタルタルソースが楽しめますphoto by Yuki Higuchi

宮崎の中でも今回ご紹介するのは宮崎市内から北へ車で1時間ほどの場所にある、都農町。人口はおよそ10,000人。

photo by Yuki Higuchi
生まれ故郷でもなかったこの場所に、東京でのキャリアを飛び出して新しい挑戦に向き合っている方がいます。

今回インタビューさせていただくのは、まちづくり界隈で有名なUDS代表を歴任したことのある、中川敬文さんです。

安定した東京でのキャリアを辞めて、都農に来るという選択をしたワケや、これからの都農でのチャレンジを伺いました。


photo by Yuki Higuchi

中川 敬文(Nakagawa Keibun)
東京都文京区出身。関西に興味があり関西学院大学に進学。新卒で株式会社ポーラ、1年9ヶ月でコンサルティング会社に転職。3〜40代は全国のまちづくりをお手伝いするUDS株式会社を経営。2020年3月UDSの社長を退任し、宮崎県都農町に単身移住。株式会社イツノマを起業後、都農町のまちづくりをはじめる。

関西へ進学、就職で東京へ…都農に至るまでのキャリア

photo by Yuki Higuchi

これまでのキャリアを簡単に教えていただけますでしょうか。

ひぐ

中川さん

まずは大学で関西に出たことはひとつ大きな選択でしたね。当時、漫才が流行り出したタイミングで、まったく違う文化圏があるということに興味を抱きました。
大学を卒業してからは株式会社ポーラに就職、その後はコンサルティング会社へと転職しました。その経験を経て、UDS株式会社では最終的に社長として経営もしました。
色々な経験をしている中川さんですが、都農に来ることになったきっかけは何だったんですか?

ひぐ

中川さん

都農に来る前はUDS株式会社という、まちづくりにつながる事業企画・建築設計・店舗運営を実践する会社で代表を務めていて。そこで「コーポラティブハウス」や「キッザニア東京」などを企画・運営しました。
まちづくり支援の文脈で都農とも出会ったんですね。

ひぐ


photo by イツノマ

中川さん

そうです。UDSを若い世代に引き継ごうと代表を退任した当時、関わりがあったのが都農町だったんです。町長をはじめとして、おもしろい人たちがいたことが移住の決め手でした。

煌びやかな東京、豊かな暮らしの上越市


photo by Yuki Higuchi

移住そのものに不安や恐れはなかったんですか?

ひぐ

中川さん

都農への移住前にも、移住と言える経験は何度かしていたんです。もともと東京生まれ東京育ちで、大学のときに関西に行ったのが1番最初の移住。その後、東京に就職したのですが、26歳のときに妻をほのめかして新潟に移住しました(笑)
新潟に!なんでまた新潟だったのですか?

ひぐ

中川さん

当時、東京のコンサルティング会社で働いていた僕の身の回りには、それなりにオシャレを楽しんで、街に繰り出して遊ぶ人が多くいました。
でも、新潟の上越市に商業施設をつくるというプロジェクトで行ってみると、その感覚はまったく当たり前じゃないわけです。そこに惹かれまして。
惹かれてしまったんですね(笑)

ひぐ


photo by Yuki Higuchi

中川さん

そうですね。東京からの新潟、さらには13万人しかいない上越市に移住というと、当時東京で働いていた人たちの感覚としては都落ちの二乗くらいなわけです(笑)
ところが、上越市に行くと、そこでは東京の話をする人はいっさいいなくて、でも豊かだなって思ったんです。
豊か、ですか?

ひぐ

中川さん

はい。東京のコンサルティング会社というとブラック全盛期。表参道のオシャレなオフィスにいても、深夜まで働いて会社で寝るというのが当たり前でした。
でも、上越市では定時であがり、作業着を着たまま飲みに行く。給料は少ないけど、みんな楽しそうでしたね。
価値観の違う世界に触れたわけですね。

ひぐ

中川さん

そうなんです。東京に出てこれなかった地方の人に対して、悪気なくかわいそうと勝手に思っていましたが、そこには違った現実がありました。

自分のワクワクに従うだけ


photo by Yuki Higuchi

新潟に引っ越すとき、周りの反応はいかがでしたか?

ひぐ

中川さん

それはもう批判だらけで。「キャリアが台無しになるぞ」とか「人生ドブに捨てることになる」とか、そういった言葉を先輩や同僚からたくさん投げかけられました。
それでも、新潟へ。

ひぐ

中川さん

そうですね、それはワクワクしたので。どれだけメリットデメリットを考えても分からないことって多いですよね。最後は自分の中でワクワクするかどうか、それだけだと思います。
ワクワクしているかって本人にしか分からないことですが、強いていうなら鼓動が少し早くなる感覚でしょうか。最後にはそれを頼りにしています。

やりたいことを見つめるために

鼓動が少し早くなる感覚ありますね。ただ、それがなかなか出てこない時期もあってモヤモヤすることもあります。中川さんはやりたいことを見つめるための習慣ってありますか?

ひぐ

中川さん

定期的に自分の興味を発信することを習慣にしています。前職時代では、毎週自分の興味があるトピックを全社員にメールで送っていましたね。


今はnoteに発信の場所を移しています。photo by Yuki Higuchi

中川さん

発信するということを決めてしまえば、何かおもしろいことを探そうとします。でも、おもしろいことってそんなに多くないじゃないですか。
そうですよね、いつでもネタに溢れた人生とは限らないです。そんなときはどうするんですか?

ひぐ

中川さん

ないなら自分でつくろうという発想です。自分でおもしろいことを探そうとか、つくろうとすることで、良い循環が生まれます。
なるほど。僕自身、最近は自分がおもしろいと思っているのか、世の中のマーケティングによって、おもしろいと思わされているのかが分からないこともあって……
“自分がおもしろいと思うこと”はどのように見極めていますか?

ひぐ

中川さん

自分がこのテーマで何時間話せるか、これをひとつの指標にしています。自分の興味やそれに伴う知識がないと話せないじゃないですか。「今、ゼロカーボンタウンについては1時間話せるぞ」とか「まちづくりについては2時間話せるぞ」とか。
おもしろいですね、今はどんなトピックがアツいですか?

ひぐ

中川さん

各論にはなりますが、新卒の中卒を取ること。これがやりたいことですね。

多様な生き方を実現する町づくり

「新卒の中卒」ですか?

ひぐ

中川さん

「新卒の中卒」です。都農町では未来をつくるため、ゼロカーボンタウンを目指す方針を打ち出しています。国として2050年に照準を合わせているのですが、そのときの主役は今の小中学生。


今年は高卒で新卒の新入社員が入社photo by Yuki Higuchi

だから、小中学生向けのワークショップも積極的に行っているんですね。

ひぐ

中川さん

はい。そして、都農では唯一の高校も廃校になってしまいました。都農の未来は中学生が握っているので、新卒の中卒を採用することをひとつのチャレンジとして掲げています。
その一環として中卒でも自分で仕事をつくることができる、起動人の育成にも力を入れています。
前例もあまりないすごいチャレンジですね。色んなメディアで掲載もされていて、活躍されていらっしゃるのにまだ挑戦を続けられるのはどうしてなんですか?

ひぐ

中川さん

尺度が違いますよね。他人の評価なんてあてにならないですから。
私はいま55歳で、人生の折り返し地点だと思っています。同世代は今までの経験を活かしてコンサルをしていたり、取締役になっている人も少なくありません。でも、死ぬ時に人生のピークを迎えようと思った時に、今までの貯金の切り崩しではなく、もっと楽しさを更新していきたいんです。
だから、今までの肩書きも捨てて、都農に来られたんですね。

ひぐ


photo by yuki higuchi

中川さん

そうですね。都農では前職のことを知っている地元の人はほとんどいませんでした。難しいこともありながらも、今も自由にチャレンジできています。

チャレンジを続ける大人はカッコいい


photo by イツノマ
僕の”お父さん世代”である中川さん。前職での活躍に甘んじることなく、日々自分の可能性を信じながら、新しい挑戦をし続けている姿がとても印象的でした。
そんな中川さんやイツノマのメンバーが、これから挑む取り組みが「トレーラーホテルプロジェクト」です。

photo by イツノマ
使われなくなったトレーラーハウスを活用することで、都農をもっと盛り上げるキッカケとなるプライベートルームをつくろうというこの取り組み。クラウドファンディングも始まり、ホステルALAの宿泊券やBBQチケットのリターンも用意されているので、こちらをチェックしてみてください!

そして、中川さんが旅人に送ったメッセージは「Giveができる旅人であって欲しい」ということ。


photo by Yuki Higuchi
観光地に行って、現地を消費するのではなく、旅先で何を還元できるのか。そんな視点を持ちながら色んな土地を僕も巡っていきたいと思いました。

そしてこれからの時代、旅のスタイルとして”与えられる旅”から、”お互いに影響を与え合う旅”になっていく予感も肌で感じることができました。

さて、ひぐの出会い旅、引き続き色んな出会いを楽しみに巡ります!

その他
樋口 佑樹 ディレクター

『周りを幸せにする誰かのやりたいを実現する』という個人理念を掲げて、クリエイティブとコーチングをテーマに活動中。2022年には現在は、原チャリで日本を縦断しながら、地域を盛り上げる人たちに出会う「ひぐの出会い旅」を敢行中。 旅中のトラブルなど、鉄板のエピソードトークがあることに憧れ続けて早7年。好きなものは珈琲と旅とカメラ。

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