現在、世界一周中のKEIです!先日、“1%以下の日本人”しか人生のうちに踏み入れることのないと言われるイスラエル・エルサレムに行ってきました!当初、世界一周の渡航スケジュールを組んでいて、訪れる予定のなかったイスラエル。
しかし、旅を進めるに連れ「絶対に行ってみたい!」と強く思うようになりました。今回は、全く興味のなかったイスラエルに行きたいと思った、「旅を通して変わった心の変化」をシェアしたいと思います。
リアルタイムな世界一周はブログやInstagramで更新中です!
無宗教の僕
photo by Kazuki Kiyosawa
日本にいた頃の僕は、多くの日本人と同じ無宗教でした。身内にも宗教を持っている人はおらず、そもそも「宗教」というものに関して何の関心を待たないごく普通の大学生でした。
周りの人と同じように、就職活動や受験の前、初詣のような大切な行事がある前にだけ神社に足を運び「どうか神様、よろしくお願いします。」と、今思えばどの神様なのか分かりませんが、都合のいいと言えば都合のいい祈り方をしていましたし、これがごく普通の一般的な感覚だと思っていました。
フィリピンで「宗教」に出会う
photo by Kazuki Kiyosawa
世界一周1カ国目で訪れたフィリピン・セブで語学留学をしている傍ら、フィリピンの文化や歴史を勉強していました。そんな中で、切っても切れないものが「宗教」でした。フィリピンはアジアで1番ローマカトリック(キリスト教徒)の色が濃かったからです。
実際に文化を触れるために、仲良くなったフィリピン人の友達と一緒にサントニーニョ教会や、シマラ教会といった有名な協会から、村の小さな教会に何度か足を運びました。特にサントニーニョ教会で行った人生初めての礼拝で見た光景は忘れません。
15m以上の廊下を膝を付きながらゆっくりと歩く人や、涙を流し跪く人、その眼差しは果てしない彼方を見るようでした。これまでも“祈る”。“感謝する”。“願う”。こういった感覚って、僕らにないものじゃないですか。
特に僕は、「運命には自分で立ち向かえ」と教え込まれてきたので、「宗教」や「神様の存在」がもたらす社会への影響にとても興味を持ちました。この光景を見てから、“運命”とは“真実”とはなんだろうと考えるようになりました。
「祈る」ということ
photo by Kazuki Kiyosawa
フィリピンを後にし、今日まで多くの旅人や現地の方に出会ってきました。みんなそれぞれ“当たり前のように”宗教を持っていますし、それぞれに神様が存在します。僕ら日本人のように「大切な行事の前だけ」祈るのではなく、日々感謝を忘れていません。
フィリピン留学中、聖書を読み、それを英語で先生に説明するという勉強方法を編み出した僕は、気付けば感覚がクリスチャンに近いものがありました。旅中に教会を見付けるとホッとするし、ついつい足を運んでしまう。
空港内にもある小さな礼拝堂にも訪れ、「祈る」自分がいました。おみやげもブレスレットやロザリオという宗教に関するものが多いです。
誰に、何を「祈る」のか?
photo by Kazuki Kiyosawa
しかし、僕はキリスト教徒ではありません。「無宗教」です。今まで様々な宗教を持つ人たちと、触れ合ってきたからこそ「無宗教」で良かったなと思います。僕は、すべての宗教肯定派だし、「信じる物」に優劣などなく、そこに存在するのは「価値観」だと感じます。
すべての神様を信じたいし、そこ国の、その地の神様には毎回お祈りをするように心がけています。では、何を祈るのか?…「それは、明日をです。」
世界を旅をしていて、「不安」というものは数えればきりがないほど出てきます。目に見える不安だと、テロや強盗、暴動や自然災害に巻き込まれるということ。僕自身、タイ・プーケットにいた時、そう遠くない場所で同時爆発テロが起こりました。サイレンの音で目を覚まし、街は騒然としていました。
「旅に出たのなら、必ず帰ってこなくてはいけません。」大袈裟かもしれませんが、生きて帰るのが絶対条件なのです。僕にとってこの旅は、初めてのひとり旅で、すべてが「見知らぬ土地」であり、「見知らぬ明日」なのです。