何者かになっていた自分
photo by Kazuki Kiyosawa
振り返ってみると、僕の旅のテーマは「自分探し」だったのかなと思っています。
「自分は何者で、何が好きで、どんな人生を描いていきたいか」ということを考えるいい時間だったし、間違いなく「旅」が今の僕を形成してくれています。
photo by Kazuki Kiyosawa
東南アジアを旅していると、若いヨーロピアンをよく見かけます。彼らは大学卒業後1、2年世界を旅してから、「自分が何が好きで」「何が向いていて」「どんな人生を描きたいか」を考えてから社会に出ていくのです。
大学や高校を卒業してから社会に出るまでの1,2年を、向こうでは「ギャップイヤー」と言うそうですが、日本の就職活動で卒業後1,2年の時間が空いていたら…「ダメ人間扱い」になってしまう現実は、なんとなく悲しいですよね。
ヨーロッパの「世界を旅すること」を肯定する文化も、空白の1,2年を受け入れる「社会の仕組み」も、とても魅力的で刺激を受けます。
僕自身、このタビイクの引率をするまで、「自分はまだ何者でもなく、だから何にでもなれる」ということを掲げて色んなことに挑戦してきました。
photo by Kazuki Kiyosawa
そして僕は、こんなことを考えています。いつだって、新しい時代を切り開くパイオニア達は「1」か「0」の瀬戸際で「1」を掴み取るんだなと。
最初は周りと違うことをしているのだから「変人」扱いされますが、みんな“何かを掴むこと”で「天才」と評されます。これが、「天才」と「変人」の違いであり、「All or Nothing」を生むのだなと。
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僕はまだ自分自身を何者でもないと思い込んでいるので、まだ「0」だと考えていました。…サメット島の夕日が見える崖で参加者のひとりにこんなことを言われました。
『その「0」か「1」かの瀬戸際を本気で越えていこうとしているKeiさんが生み出す力は、100にも、1000にもなってますよ』と。
その言葉は波の音と共に、「“自分”という人間は、世の中では既に何者かに位置づけられている」ということを気付かせてくれました。
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自分自身を探す「旅」
photo by Kazuki Kiyosawa
旅での出会いは「偶然」のように思えて「必然」で、将来みんながお金持ちになったり、体を壊したりして、今みたいな“バックパッカー”の旅のスタイルが出来なくなってしまったら、出会う人から、食べるもの、感じることまでまるっきり違っていて、そう考えると「旅」は、「今の自分」を映してくれる“映し鏡”のように思えます。
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”映し鏡”…つまり、自分自身を見つめなおせる。だから旅は「自分探し」が出来るんです。自分は何が好きで、何者で、なにが出来て、どこへ向かうのか。
別に海外にこだわる必要なんてないと思います。“感じれる人”ならどこでも。人の口から学ぶことなんかより、自分で感じたことで人は成長していきます。若いうちの「旅」って本当に素晴らしい。
photo by Kazuki Kiyosawa
そして最後に、世界を旅してて思うことは、結局「人」だということです。その国で出会った人や一緒に旅をした人の、楽しかった思い出が「その国」の印象に繋がるんです。
だから、世界一周経験者が聞かれる定番の「どの国が良かった?」という質問はちょっと難しくて、その国の良さというよりは、「その国で出会った人の良さ」だったりします。
今回のタビイクとのコラボ企画のお陰で、また一段と大好きだったタイが好きになりました。参加者全員にとって、この旅がキッカケに世界中に旅立てる「一歩」になればいいなと思っています。
今年の夏も、僕にとってかけがえのない特別な夏になりました。世界のどこかで“また”会いましょう!