うっさん 世界を旅するノマド農民研修生

みなさんこんにちは!2014年1月から旅を始め、世界各国に住んだり旅をしたりと海外放浪中の旅人5年目です。学生時代に行ったタイでの孤児院でのボランティア活動がきっかけで、旅好きになり現在に至ります。学生時代には東南アジアを中心にインド、ネパール、トルコなどを個人旅行。大学卒業後は貿易商社に3年間勤務。良い経験でしたが、自分のしたい事と仕事内容やリズムが合わずに退社し、これからは自分の心からやりたい事を楽しみながら生きることを決意。「人生は実験だ」との覚悟のもと、現在は夢の一つであった世界旅行を楽しんでいます。現在はヒッチハイクで移動し、民家にタダで泊めてもらい、主には世界各国のオーガニックファームやホテルで住み込みで働きながら世界を旅してまわっています。将来的にはその経験をベースに、母の育った日本の里山での自給自足生活とゲストハウス経営を目指しています。これまでの旅の経験をもとに面白く役に立つ情報を発信していきます。

箱型の伝統的なラダックの家

photo by Tomoya Yamauchi

人々はその土地にある材料でそれぞれ異なる家を建てます。木材の乏しいラダックでは、主に日干しレンガを積み上げ、伝統的な家が建てられます。ちなみに伝統的な家はこんな感じ。

家を建てるためのレンガは、土と水と混ぜて成型し天日で乾かして作ります。家を建てるには、まず石や日乾しレンガを積んで1階部分の外壁を作り、積み上げてできた隙間を泥で埋めて固定していきます。

1階部分ができるとその上に木材で梁と桁、根太を架けていきます。それらを支えるための柱も立ち上げます。そして2階部分の外壁を1階部分と同じように積み上げていき、最後に木材で屋根部分を作ります。

 

木材は主にポプラの木であったと思います。乏しい木材を確保するために村で木を植林している一帯があり、村人が協力して管理していました。しかし最近では木材の豊富なカシミール地方から運んできていることもあるようです。

屋根の形は真っすぐ平たい形。雨がほとんど降らないので、防水の必要はあまりありません。床や天井、屋根部分には細かい木材を敷き詰めて、その上を土で固めているような感じでした。


photo by Tomoya Yamauchi

そのため2階で子どもたちが走り回ったり、跳びまわったりすると土ぼこりが天井から降ってきたりするのは欠点ですが……。よくお赤さんの料理中に子どもたちが2階部分で走り回って、「ほこりがパラパラ落ちてくるから走るのやめなさい!」とお母さんに怒られていました。

しかし分厚い土の層で固められているおかげで、暑い夏の日でも建物の中はひんやりとしていました。きっと冬の保温にも良いでしょう。

ここでは誰もが大工であり農家であり配管工です。少しぐらいの問題なら誰にも頼らず自分たちで解決してしまいます。配管に問題があっても、車に問題があっても、家を修理する場合も自分でやっちゃいます。

 

ラダックの食べ物

ラダックの主食は主に小麦と大麦でした。私のホームステイ先での朝食は、ラダックパンやインドから伝わってきたチャパティーを自家製バターや自家製ヨーグルトにつけて一緒に食べていました。

お母さんのツォモが下の写真のように朝パンを焼いてくれました。燃料には牛の糞を乾燥させたものを使い、熱々にした薄い石の上でパンを焼きます。


photo by Tomoya Yamauchi

また私が滞在していた家庭ではあまり食しませんでしたが、他の家庭ではツァンパ(大麦を細かい粉にして炒ったもの)をバター茶で練って団子のようにして食べたりしました。

ランチや夕食には、小麦粉を水と混ぜて練って成型したものを野菜と一緒に煮込むスキューと呼ばれる料理もよく食べました。他にはトゥクパ(ラダック風うどん)、モモ(ラダック風蒸し餃子)、ティモック(ラダック風蒸しパン)、米と野菜・豆カレーを食べていました。

定番の飲み物はチャイ(ミルクティー)とバター茶(チャイにバターを加えたもの)です。朝ごはんを作ると同時に大量に準備し、保温ボトルで保管。どちらも常に常備されています。

photo by Tomoya Yamauchi

村での食事はほとんどベジタリアン料理でした。仏教の教えが大切にされているので、肉や魚はめったに食べません。肉を食べたのはオオカミが村にやってきて、家畜の牛を殺してしまった時だけでした。

え?オオカミ?そうなんです。本当にやってきたんです。村人が「オオカミが出たぞー!」という感じで叫んで、村の若い人たちが追い払おうとしたのですが、時すでに遅く1頭の牛が犠牲に。

普段は肉をめったに食べない彼らですが、この時ばかりは牛の死を無駄にしたくはないということで、10日間連続で肉料理を食べました。最後の方は「また牛肉入りモモかー」とうんざりしながら。

 

おわりに

インターネットも携帯電話の電波もないけれど、リッキル村で過ごした日々は毎日すっきりと充実していました。家族や村人と毎日一緒に働いて、外には美しいヒマラヤ山脈があって、青い空がどこまでも広がっている。

こんな生活をしていると、人生を幸せに過ごすのに必要なものは思っているよりも少なく、もっとシンプルで良い人間関係と豊かな自然があれば、それで充分かもしれないなあと思ったりします。

ラダックを離れてからしばらく経った今も彼らの生活やリッキルの景色を時々思い出します。住むように旅をしたからこそできたリッキル村との絆。リッキル村とラダックはまた会いたい人々が住む、絶対に戻りたい大切な場所です。

うっさん 世界を旅するノマド農民研修生

みなさんこんにちは!2014年1月から旅を始め、世界各国に住んだり旅をしたりと海外放浪中の旅人5年目です。学生時代に行ったタイでの孤児院でのボランティア活動がきっかけで、旅好きになり現在に至ります。学生時代には東南アジアを中心にインド、ネパール、トルコなどを個人旅行。大学卒業後は貿易商社に3年間勤務。良い経験でしたが、自分のしたい事と仕事内容やリズムが合わずに退社し、これからは自分の心からやりたい事を楽しみながら生きることを決意。「人生は実験だ」との覚悟のもと、現在は夢の一つであった世界旅行を楽しんでいます。現在はヒッチハイクで移動し、民家にタダで泊めてもらい、主には世界各国のオーガニックファームやホテルで住み込みで働きながら世界を旅してまわっています。将来的にはその経験をベースに、母の育った日本の里山での自給自足生活とゲストハウス経営を目指しています。これまでの旅の経験をもとに面白く役に立つ情報を発信していきます。

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