ホーチミンの街を走るバイク
ライター

2002年長野県生まれ。大学1年生のときにTABIPPO学生支部と出会い旅にハマる。陸路での移動が好きで、海外を旅するときは陸路で越えられる国境を常に探している。ネパールでネパール人に、「ネパール人に似ている」と言われた実績あり。帰りの航空券を予約するのが苦手。

旅に出たら、帰りたくなくなる。旅から帰ったばかりなのに、すぐにまた旅に出たくなる。

一度でも旅をしたことがある人なら、思い当たる節があるだろう。

「帰りたくない。でも帰らなければいけない。」そんな感情を抱くほどに旅に惹き込まれるきっかけとなった、初の海外一人旅。

最初の行き先は、東南アジアのベトナムだった。ベトナムに決めた理由は、「最終目的地であるタイまで陸路で行けるから」「一番航空券が安かったから」という、いたって単純なものだった。

「向こうでスマホ使えるんだっけ? 」

「どこに泊まったらいいんだろう? 」

今となっては考えられないが、そんなことにドキドキしていた。

もう2度と、あの人生初の海外一人旅をした時の感情は味わえないだろう。それが少し寂しくもあり、成長の証として嬉しくもある。

片道切符で降り立ったベトナム

ベトナム行き航空券「それっぽい写真」を撮っていたあの頃
「ベトナムに入国するのに、出国の航空券が必要かもしれない」

僕がその事実を知ったのは、フライトの約1時間前だった。

旅好きの皆さんなら、多くの国で出国のチケットの提示を求められることをご存知だろう。しかし初の海外一人旅である僕はその事実を知らなかった。

フライト直前に入国のことを調べていた時に、出国のチケットが求められる可能性を知った。

そこからは大焦りだった。その日泊まる予定のゲストハウスのオーナーに連絡してみたり、陸路で出国する場合どう伝えたら良いのかを調べたり。でも、人やサイトによって情報が違いすぎて、何が正確な情報なのかがわからなかった。

結果、出国の予定を証明するものは何も持たずに出発。

「とりあえず出発したは良いものの、不安はなくならず、飛行機の中で震えていた。」

……なんてことはなく、フライト中の6時間ほぼ爆睡。

もし震えていたとしたら、冷房が効きすぎていたからだろう。とはいえ、一抹の不安は抱えながら、いざ、ベトナム入国へ。

何を聞かれたかは覚えていないが、出国のチケットは求められなかった。

「なんとかなるじゃないか」

旅を楽しむ根幹となるマインドが、この時自分の中に芽生えたような気がする。

ほっと胸を撫で下ろし、空港から一歩出ると、異国の匂いが鼻を貫いた。

コロナ禍で、画面上でしか見ることのできなかった風景に、音が、匂いが、感触が乗っかって、ダイレクトに伝わってきた。

その衝撃は、僕を旅に引き摺り込むには十分だった。

必要なのは「自己主張」

ホーチミンの街を走るバイク日本での1年分のクラクションが1日で聞ける街ホーチミン
ベトナム、ホーチミンで最も目につくものといえばなんだろう。

フォーの屋台?ホーチミンの銅像?

否、バイクである。誰がなんと言おうと、バイクである。

それもホンダのバイクがほとんどで、現地ではバイク全般を「ホンダ」と呼ぶことさえあるのだとか。

その大量のバイク(ホンダ)が、所狭しと道路を走り、クラクションを鳴らしまくり、誰一人として道を譲らない。横断歩道停車率一位の長野県で生まれ育った僕からすればあり得ない光景だ。

「クラクションはできるだけ鳴らさないようにしましょう」

日本の教習所ではそう教わる。

そもそも、全員がちゃんと免許を持っているのかどうかすら怪しいベトナムだが“クラクションを鳴らして自分の場所を知らせる”というのが、彼らに染みついた安全確保の方法なのだろう。

そのような状況であるから、当然“歩行者優先”なんて概念はない。たとえ青信号であっても、自ら一歩前に踏み出さないとバイクは止まってなんかくれない。(なんなら歩道を歩いていても、たまにバイクにクラクションを鳴らされる。)

ただ、一歩踏み出して、立ち止まるでも急ぐでもなく、ゆっくり歩いて行けば、勝手にバイクが避けていってくれる。これが慣れるとちょっと楽しい。

ベトナムでは、道は「譲られる」ものではなく、「譲らせる」ものである。

文化の違いに驚きながらも、もしかしたらこんな自己主張が、日本人に必要なものなのかもしれないと、心の中でぼんやりと思っていた。

旅先では、日本での「当たり前」は意味をなさない。逆に言えば、日本での「当たり前」から解放されているのかもしれない。

日本と違うから生きにくいのではなく、違うから心地よいのだ。違うから楽しいのだ。旅に出る度に、「異なる」ということの魅力に気付かされる。

そして旅は続く〜カンボジアへ〜

バスの車窓から見たベトナム・カンボジア国境
ホーチミンからカンボジアへ向かう。バスに揺られること……何時間だっただろう。もう忘れてしまった。

国境まではスムーズだった。車窓を眺めていれば連れて行ってくれる。

だけど、国境でアライバルビザを取ろうとしたら、40ドルって聞いていたのに、50ドル要求された。抗議したけど受け入れてもらえず、結局諦めて50ドルを支払う。

結局その差額は添乗員(?)の懐に入ったのか、はたまた正規の料金だったのか。10ドルの行方は誰も知らない。

それでも僕は陸路の国境越えが好きだ。

日本ではできないからかもしれないし、自分の足で歩いて超える感覚が好きなのかもしれない。とにかく、飛行機で飛び越える国境よりも、自分で跨いでいく国境の方が好きだ。

人生初の陸路での国境越えを無事に終えたあと、途中の休憩所のATMでお金を下ろしていたら、乗っていたバスに置いていかれかけた。

ホーチミンの宿で出会って一緒にバスに乗ってた子が気づいてくれて、なんとか再び乗車。

そのまま置いて行かれてたらどうしていただろうか。スマホと財布以外、荷物はすべてバスの中。

あれ、スマホと財布あったら、他に必要なもの大してなくないか?当時は「やばかった〜」と思っていたけれど、今思えば置いていかれても余裕な気がする。

こうして人は、旅に慣れていくのか。

道中さまざまありながら、無事カンボジアの首都、プノンペンに到着。

さて、これからの予定はどうしようか。いつまでいるかも、どこにいくかも決まっていない。

ただ一つだけわかっていることがあった。

「まだ帰りたくない。」

そうして旅は続いていく。

おわりに

旅に出た瞬間、世界は広がり、逆に近くもなる。

一度旅に出たら、旅を知らない生活にはもう戻れない。

だから僕は、大学の授業中にSkyscannerを開き、「すべての行き先」を選択するのだ。

どこだっていい。誰とだっていい。

ここではないどこかへ行ってみたい。

私たちはやめられないのだ。「旅」という魔法にかかっているから。

ただそこに旅という選択肢がある限り。

All photos by Ryusuke Shirakura

ライター

2002年長野県生まれ。大学1年生のときにTABIPPO学生支部と出会い旅にハマる。陸路での移動が好きで、海外を旅するときは陸路で越えられる国境を常に探している。ネパールでネパール人に、「ネパール人に似ている」と言われた実績あり。帰りの航空券を予約するのが苦手。

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