そして、「会社」から「個人」が解放される / 本田直之
固定されていた時間や場所が解放されると、次に何が起きるのか?会社が労働者を管理する、という概念自体が変わりはじめる。そして、個人が自由になる動きはさらに加速し、会社と個人の関係が見直される。会社は、これまでは1つのオフィスを構え、そこに従業員を集めて仕事をしていた。
しかし、日本でもようやくフリーアドレス制が導入されはじめ、世界を見てもシェアオフィスやコワーキングスペースはものすごい勢いで増えている。
アメリカには、「全州のコワーキングスペース使えますよ」というサービスもあるほどだ。固定された場所がない、ということは、固定されたチームもなくなっていく、ということ。
会社というあり方そのものが「固定的」から「流動的」になっていき、プロジェクトごとに集まって仕事をして、終わったら解散。そんなプロジェクト型の仕事も増えていくだろう。
いまや、別々の会社の人たちがインターネット上でつながって、プロジェクトが始まることもめずらしくない。iPhoneや「Skype」があれば、みながばらばらの場所にいても、仕事は進行していけるからだ。
つまり、そもそも経営者が社員を雇わなくていい時代がくるかもしれないのだ。会社のあり方自体が変われば、社員を自社に「固定」する必要がなくなるのだから。
ぼく自身、レバレッジコンサルティングという会社を経営し、10社のビジネスに関わっているが、社員はいない。1人でやっていて、秘書もいない。スケジュール管理はiPhoneがあればOKだし、経理などはすべてアウトソース(外部委託)している。
従業員を雇う必要がないということは、従業員のモチベーションを上げるということも不要。管理職といったポジションをわざわざ用意して、人件費を払う必要もない。
[Reminder] 会社が社員を雇わなくてもよくなる時代あなたには「自分にしかできない仕事」がありますか?
結果、あなたはもう「1つの収入源」に依存しなくてよくなる / 本田直之
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個人として自由に働く人が「異端」ではなく「スタンダード」になる時代へ / 四角大輔
こうして、場所、時間、会社からの解放によって、個人として自由なスタイルで働き、複数の収入源を得る人は、「異端」ではなく「スタンダード」になっていく。この章のタイトルである、「これからの時代はなぜモバイルボヘミアンなのか?」という理由の1つがここにある。
この生き方と働き方は、今でこそまだ未来的かもしれないが、少しずつ形を変えながらも、時代に適したスタイルになっていくと、ぼくたちは考えている。
いや、この考え方だけで言えば、すでにどんな職場においても必須な状況になっているはずだ。 ぼくが講演会で話をしたあとによく聞かれるのは、「モバイルボヘミアンって、要は完全なフリーランスとして生きることですよね。それって大変じゃないですか?」という言葉だ。
「経歴も経験もすごくて、選ばれた人にしかできない働き方なんじゃないか」といったイメージを持たれることが非常に多い。しかし、終身雇用制度が崩壊した今の時代は、だれもが「モバイルスピリット」、すなわち「精神的な独立性」を持って生きていくことがマストになる。
これは、会社員やフリーランスといったワークスタイルは関係なく、社会で働くすべての人に当てはまる。精神的な独立性を持てない社員は、雇い主や会社に完全に依存する体質に陥ってしまう。「言われたことしかやらない」、「業務時間をダラダラと非効率に過ごしてしまう」といった、つねに受け身で、モチベーションが低い人たちのことだ。
当然、仕事の生産性は低く、決して高いパフォーマンスを発揮することはできないし、大きな売上や業務改善につながるイノベーションを生み出す挑戦もしない。結果、組織においては「不要な人材」として追いやられる、ということになる。この本を書いている間にも、「Books&Apps」というメディアで、次のようなニュースを見かけた。
カルビーが、事実上「会社に来なくてもいい」という働き方に舵を切った。
在宅勤務、毎日でもOKカルビーが4月以降に新制度カルビーは4月以降に、自宅など社外で勤務する「テレワーク」の上限日数(週2日)を撤廃する。制度上は毎日テレワークが可能になる。多様な働き方を認めることで、優秀な人材を確保するねらいだ。(朝日新聞)
一見すると、自由に働け、通勤ラッシュに巻き込まれることもなく、理想の働き方ができるように見える。実際に肯定的意見も多いが、もちろんこれの裏は「仕事の評価は、成果でのみ行いますよ」ということに他ならない。上の記事中にもこうある。
対象はパートや工場勤務の人を除き、契約社員を含めた入社3年目以上の社員になる見通し。会社側が勤務時間をどう把握するかなど制度の詳細や実施時期は今後詰める。同社首脳は「会社が求めるのは成果。働き方改革をしないと会社はよくならない」と話す。
これによって何が起きるか、おそらくきちんと理解してない人が多いのではないかと思う。
昔訪れた、あるwebサービスを営む会社は、「会社に来なくても良く、仕事はどこでやっても良い」という制度を採用した。
(中略)さて、この制度を精緻に運用した結果、この会社はどうなったか。結論としては、予想通り(というか狙い通り)30代後半から40代にかけての「実力のない社員」のかなりが、給与の大幅減を経験した。逆に20代後半から、30代半ばの「本当に仕事をしていた層」の給与が大幅にアップした。つまり、社内は「極化」したのである。(中略)そして経営陣は発見した。「リモートワークにしても、会社の業績は落ちないどころか、利益が大幅に増える。会社はもっと少ない人数で十分回る」と。
(中略)つまり今後、世の中には2つの働き方がある。「自由裁量、成果報酬」か、「監視つき、時間給」かだ。今後の企業が欲しがるのは、前者に対応できる人材だ。(中略)「会社に来なくても良く、仕事はどこでやっても良い」と、成功する人と落ちぶれる人がはっきり別れる。今、そう言う世界に、我々は生きている。
名刺や組織力に依存する形ではなく、会社員が「個人」でコツコツと積み上げてきた経験や能力、社会的信頼を武器に仕事をしていく機会は間違いなく増えていく。
だからこそ、たとえ会社員であってもフリーランスのような覚悟を持って仕事をすること、独力で生きるために必要な、どこでも通用するスキルを身につけようと意識しながら働くことが重要になってくるのだ。
リスペクトできる会社に一生を捧げるという働き方もある。しかし、記事にあるように、「会社に100%よりかかって生きる」という考え方の社員が必要とされなくなっていくのは明白だし、もうすでにそういう時代に入ってきているのだ。
また、たとえ形態はフリーランスであっても、1つの大きなプロジェクトやクライアントに「おんぶに抱っこ」で、そこに契約を切られてしまったり、業績が下がると一緒に落ちていくような依存状態のままだと無意味であることは言うまでもない。
ぼくとナオさんの、今の「複業」というワークスタイルは、「好きなことが1つずつ、自然な流れでマネタイズされていった」という経緯もあるが、ぼくたちが会社員時代から持ち続けた、強い「モバイルスピリット」の結果でもあるのだ。
[Reminder] あなたが目指したい働き方は「自由裁量、成果報酬」ですか?「監視つき、時間給」ですか?
モバイルテクノロジーを使えない人が「損」する格差社会へ / 四角大輔
あらゆる働き方は「固定」から「流動」、つまり「解放」へと変化し続け、それを歓迎する人もいれば、不安な気持ちになったり、否定したがる人もいるかもしれない。だが、「モバイルスピリットを持って働く人ほど、より多くのメリットを享受できる」という社会の変化は決して止まらないだろう。
ただ、いくら時代がより「個人」として働きやすい方向へ進んでも、そのアドバンテージを活かす能力がなければ、その恩恵は受けられない。それどころか、時代に、社会にどんどん置いていかれてしまうようになる。
個人が、場所や時間、お金や組織に縛られずに、自由自在に働くためには、「デジタルデバイス × インターネット(=モバイルテクノロジー)」を乗りこなす技術が不可欠だ。
わずか5〜6年前には、大きな会社にしかできなかったプロジェクトや、大きな資金を必要としたビジネスを、モバイルテクノロジーを使いこなすことで、今や無料に近い形でいとも簡単に、個人で展開できる時代が到来したのだ。
たとえば、多額の広告費を代理店に払わなくても、SNSをうまく使えばだれでも無料で自分のコンテンツを数千人から数万人に広めることは可能だし、個人で簡単にECサイトを構築できる「BASE」のようなプラットフォームも複数存在する。
ウェブサイトだって、プログラミングという特殊技術がなくても、ドラッグ&ドロップでだれでも質の高いページを構築できる「Weebly」や「wix」といったサービスがある。お金や資産の管理も「MoneyForward」や「Moneytree」といったクラウド家計簿を使うことで、あっさりと解決するようになった。
それでもできないことがあれば、ナオさんも書いていた「Lancers」などのクラウドソーシングで外部発注すればいい。「得意」でも「好き」でもないことを自分でやってみるとよくわかるだろう。要領を得ないからムダに手間も時間もかかってしまううえに、極端に疲れてしまう。
多くの人がそういった「苦手な作業」に、一日の、いや人生の大半の時間を費やしてしまっている。「そんな人生はもったいない。すべての時間を好きなことに費やして『アーティスト』のように生きてみない?」と、ぼくは問いかけたいのだ。
もちろん、ぼくやナオさんも20代のころは、そういった苦手な作業を「社会で生きるために必要なトレーニング」と捉え、必死にやった。たしかにその経験は、ぼくたちの土台をつくった。しかし、それを何十年もやり続ける必要はない。
その「トレーニング期間」を経たあとは、自分の時間をできるかぎり「得意なこと」に投資すべきなのだ。たとえちょっとした作業だとしても、「お金がもったいない」と、なんでもかんでもすべて自分でやるのは、自分で自分の時間を奪いとってしまうことと同じ。
金銭的にわずかな節約ができるかもしれないが、時間に換算すれば、のちにそれが大きなロスになっていくことは明らかだ。寿命ある人間にとって時間は「命」であり「もっとも貴重な資源」。少しのお金をケチるためにこの「命」をムダにするということは、決してやってはいけないと気づくはずだ。
ぼくのレコード会社プロデューサー時代のことと、昨今の音楽業界でのムーブメントを例にしてみよう。デビュー前の音楽アーティストはライブのブッキングから物販、レコーディングまですべて自分でやるが、デビューが決まると、音楽クリエイティブ以外の業務はすべてレコード会社と所属事務所が引き受ける。
彼らが音楽だけに集中したその瞬間から、アーティストの創造性は飛躍的に伸び、より多くの曲を書けるようになり、ライヴパフォーマンスはレベルアップしていくのだ。
最近では、「DIYアーティスト」と呼ばれる、インディーズよりも小規模で、独力で生きる、どこにも所属しない若い音楽アーティストたちが台頭してきた。
レコード会社などの大きな組織に頼らないとできなかったことを、デジタルテクノロジーをフル活用することで解決し、個人で自由自在に音楽活動する人たちのことだ。
こういった、個人の「アーティスト性」と「パフォーマンス」を圧倒的に高めてくれる、テクノロジーの使い方を知らないのと知っているのとでは、生活と仕事の効率も、そのアウトプットも大きく違ってくる。
使いようによっては収入自体にも大きく影響する。生まれ持った才能や家柄、学歴といったものよりも、モバイルテクノロジーを使いこなす力(=モバイル・リテラシー)の有無が、大きな格差を生み出す社会。
実際にぼくの会社で活躍するインターン学生はみな、このテクノロジーを使いこなせる人たちばかりだ。学歴などはまったく関係がない。つまり、モバイルテクノロジーを使えない人は、間違いなく損をする世界へのドアが、今まさに開けられようとしているのだ。
あなたが会社でスマートフォンを触っていて、隣の席にいた20歳のインターン学生から「そのやり方、もう古いですよ」と言われたとき、「え、そうなんだ。教えてくれてありがとう。どうやればいいの?」と素直に教えを請うことができるだろうか?
「若いミレニアル世代の言うことは理解できないから」、「新しいことを覚えることがめんどうだから」といって受け入れられない、という人は少なくないはずだ。彼らは、パソコンを飛び越えて、スマートフォンのフリック入力をフル活用し、下手なおじさんがキーボードを打つよりも早く文字を打ち込むことができる。
さらには、指さえ使わずにiPhoneの音声入力システム「Siri」を完全に駆使する、という世代。そんな次世代の行動や意見を受容できなくなったら、ぼくたちの進化は完全にストップしてしまうことになる。
より実感してもらうために、乗り物にたとえてみよう。もっとも古い人類の移動手段は「歩くか走る」のみだった。つまり、ぼくらのモビリティの起源は「両脚」ということになる。
「人類の移動抜きに文明の進化はあり得なかった」というような言葉をフランスの経済学者ジャック・アタリは残しているが、海洋民族はカヤックやカヌーに乗り「両腕」でオールを漕いで海を渡り、大陸民族は馬やラクダに乗ってその移動距離を伸ばしてゆく。
そして人類の乗り物は、「風や動物」を使った帆船や馬車へと発展し、「石炭」を活用する汽船や汽車へと進化を遂げる。「ガソリンエンジン」が発明されると、陸や海、そして空でも、さらなる高速移動が可能となった。
テクノロジーの進化によって、移動距離は長くなりながらも、移動時間は年々短くなってきた。結果、人間の自由度と能力は、驚異的なほど拡張されてきたのである。
ただ、遠い昔においては、それに乗れるのは運転技術を持った人だけだった。近代に入って「旅客」というシステムができたが、当初は、庶民には到底まかなえないほど高い運賃を払わなければいけなかった。
つまり、過去において「高いモビリティ」を手にすることは、ほんの一部の選ばれた人たちの特権であったのだ。しかし、現代のモバイルテクノロジーに関して言えば、特権も大金も一切必要ない。
カヤックで大海を渡るスキルも、ジェット機を操縦するための高度な知識もいらない。だれでも、いつでも、どこにいても乗りこなすことができるという、まさに「個人のための革命的な乗り物」なのだ。ぼくが移動生活の間に訪れた、タイ北部の山奥に暮らす民族の若者は、すでにスマートフォンを手にしていた。フィリピンの貧困街では、androidを片手に路上で物を売っている人を多く見かけた。
こういった発展途上のエリアでは、モバイルテクノロジーを使いこなす人たちの中から、驚くようなビジネスチャンスを手にする人が現れているという。
このように、日本にかぎらず世界でも、モバイルテクノロジーはまさに今、人類の生き方をつくる重要な存在になりつつあるのだ。その乗り物に勇気を持って乗るか、乗らないか。他人の完全な管理下で低いパフォーマンスを続けるか、自由なワークスタイルを手にして高い生産性を手にするか。
目の前に迫るその2本の分かれ道を、あなたはどちらに進みたいと思うだろうか。ここまでが、「これからの時代はなぜモバイルボヘミアンなのか?」という質問に対する答えだ。次章では、いよいよ、テクノロジーに支えられることによって可能になったモバイルボヘミアンという新しい働き方と生き方の具体的なメソッドと事例を紹介したい。
[Reminder] 生まれもった才能よりも、テクノロジーを使いこなす力の時代はあなたにとって損ですか?得ですか?
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