旅をしていると、心が持っていかれたような感覚になる瞬間がある。
それは、楽しいとか綺麗とか、そんな単純な一言では表現できないけれど「とにかく1秒たりとも忘れたくない」と感じる瞬間である。
私は、新しい経験や出会いが大好きな人間なので、たいていの旅先でそう感じるのだが、これまでに一度だけ忘れたくないというより「忘れてはいけない」と感じた旅があった。
それは、2年前の夏に訪れた、岡山県沿岸に浮かぶ島「長島」に訪れた時のことである。
長島ってどんなところ?
長島は岡山県にある数ある島のうちの一つで、本州とは185mの短い橋で繋がっている小さな島である。
山と島に囲まれた入江には、牡蠣の養殖用の網がポツポツと浮かんでいるが、季節ではないからなのか少し寂しい雰囲気がある。
本州と長島を結ぶ、邑久長島大橋。
長島は、1930年に国内で初めてハンセン病患者のための国立療養所が設置されたことで知られた島でもある。
ハンセン病は、1400年も前から日本にあった感染症で、現在は早期発見・治療で後遺症なく治癒することができるのだが、1世紀前までは手足の先や顔、耳などのわかりやすい部分に症状が出るため、感染力がある他の病よりも強い偏見や差別の対象になっていた。
私は、そのハンセン病の歴史とその継承について卒論を書くための文献調査で長島へ行くことにしたのである。
苦労して足を運ぶことの価値
8月の夏の朝。
岡山駅から電車で30分の邑久駅(おくえき)に降り立った。
小さなバスターミナルとコンビニがあるだけの木造の駅で、部活に向かう学生と地域のおばあちゃんに挟まれながら長島に向かうバスを待った。
なんとこのバスは、行きが3本・帰りが2本という必要最低限の本数でしか運行しておらず、駅から終点の長島まで50分かかるローカル路線だ。
旅の中でうまく乗り継ぎがいかずに不便な思いをすることはあるが、日本国内でこれほど行きづらい場所に行ったのはこれが初めてだった。
バスから見える景色。ひたすら田園風景が広がる
バスの中で、私は数十年前に同じようなルートで長島へ向かったであろう人のことをぼんやりと想っていた。
・自分の故郷から半ば強制的に離されて、何があるかもわからない島へ向かった人たちは、何を考えていたのだろうか。
・人が人として生きる権利:人権が、ひとつの病や見た目、自分と他人との違いを理由に制限されて、剥奪されて、いいのだろうか。
そんな、まとまらない想いを胸に、過ぎる景色を眺めていた。
グルッと、遠心力に負けそうになりながら最後のカーブを抜けると、青い瀬戸内海が広がった。
太陽が水面に反射して、眩しいくらいに白くキラキラと輝いていた。
90年のときを超えて、新たなハブとなる喫茶店
喫茶さざなみハウス
長島では、じつは今も元患者の方達が数名暮らしている。
彼らは、断種手術や隔離の影響で子孫のいない人がほとんどであるため、平均年齢が85歳を超えた。そのため、この場所と歴史を継承する人がいないことがひとつの問題になっている。
そんな背景もあって、長島にある長島愛生園と邑久光明園は、世界遺産への登録を目指して活動している。
今は歴史資料館として当時使われていたものや文章が展示されている。
ひとりバス停に降り立った私は、目の前にある白い建物に入ってみた。すると、窓口にいた職員の方が優しく話しかけてくれた。彼は、終始大きく頷きながら話を聞いて、「東京からわざわざ来たのなら」と島全体のことを丁寧に教えてくれた。
親元を離れて長島にいた子どもの中にはその後一度も親と再会できずに島の中で生涯を過ごした人もいたこと、最近は地元の学生が見学に来ることもあり、その学習の場所として今後も残していきたいと思っていることなど、熱い想いを聞かせてくれた。
居住地区と歴史館のある地区の間にあるのが私の入った管理棟で、その一階にはオーシャンビューの「喫茶さざなみハウス」と呼ばれるカフェがあるらしい。
地元の食材がふんだんに使われている。
2019年にオープンして以来、地元の野菜を使った定食が人気で、SNSをきっかけに訪れる人も増えているのだそう。岡山の地域の人々と長島で暮らす入居者と、長島の歴史をつなぐ、ハブとなる場所だと感じて、心が熱くなった。
窓際の席で、1番人気のメニューを待ちながら「1つのテーマに深く入り込む今回みたいな旅のスタイルも悪くないな」と思っていた。
もちろん、綺麗な場所や有名なところ、会いたい友達がいる場所に行くのも好きだ。だけど、自分の興味に身を任せて足を動かす旅では、もっと予想外な、だけど出会うべくして出会ったのだと思えるような瞬間に立ち会える。
もちろん、この旅は卒業論文の執筆という名目で訪れたので、他の旅と感じが違うのは当たり前なのかもしれないけれど、聞くもの見るもの出会う人の全てが、私を色々な感情にさせてくれた。
世界が二分されている今だからこそ、触れてほしい島
少しだけ、暑さが和らいだ頃合いに邑久駅行きの最終バスがきた。
来た時と同じ運転手さんだったようで「お疲れ様」と声をかけてもらった。
日が傾いて、今度は水面を黄金色に染めていた。
その美しすぎる景色は、長島で生涯を過ごした人たちにとっては、隔離されているという現実を突きつける凶器であったのかもしれないけれど、今は歴史館や喫茶さざなみハウスで活動している人たちに勇気を与える光になるだろうと感じた。
海の向こうでは、いまだにイスラエルとパレスチナや、ロシアとウクライナのように、罪のない多くの人の命失われている。
悲惨なニュースが続く中で、気晴らし・娯楽の旅の合間に、あえて人権という大きなテーマと向き合う1日があってもいいのではないか。
私にとって、長島で感じたことも学んだことも
「忘れてはいけない」旅の1ページ。
All photos by Mari Takeda