「私は子どもも居るから1人で旅することは出来ないけれど、あなたの旅を応援しているからね!」と通訳の男性を通して伝えられて胸が熱くなってしまいました。
そうしているうちに男性はバスの時間になりその場を離れてしまい、再びその場は親子と私きりに。
すると、まだまだ彼女は鞄をごそごそし始め、おもむろにトイレットペーパーを取り出しました。
なんだろう?と疑問に思っていると、彼女がそのトイレットペーパーにメモを取り始めて説明し始めたのです。
トイレに入るにもお金がかかる国。貴重な紙を使って伝えようとしてくれたことに愛を感じました。
少女のキラキラ光線が私を見つめる
この頃には少年少女は私にも懐いていました。
言葉は通じないけれど、じゃれあい、表情で伝え合います。ひざの辺りに一緒に座って、少女は私のつけていたピアスを左右キラキラした目で見つめていました。
もうすぐバスの時間かなと言う頃、少女は母のほうへと戻り、何かを話しています。そして私を見つめながら、耳を指していました。
なんとなく、このピアス少女にあげたいな。と思った私は耳から外して差し出しました。あなたにあげるという素振りを加えて。
すると飛び跳ねるように喜んで、私にハグとありがとうを伝えてくれました。それまでつけていたピアスをお母さんにはずして貰い、すぐに耳に付け替えて、にこやかに見せてくれました。
楽しい時間も束の間、別れのとき
言葉が全く通じず理解も出来ずで、最初はどうなることかと思っていたこの出会い。
でも今、さっきまで私が耳につけていたピアスをつけている少女を見ていると、なんだかしみじみとした気持ちに。
地球上の日本で生まれ育った私と、その反対側に位置するペルーという国で育った1人の少女。言葉は通じないけど、そんなこと関係ないような、温かい気持ち。
…心が通い合うって、こういうことなのかな。
なんて考えているうちに、少女が私に巾着を差し出してきました。ピンク色の、ペルーの文字が書かれたものです。
きっとお土産に母から買ってもらったであろう大事なもの。
貰っても良いのかなと思いつつも、私はスペイン語が話せないし、少女がキラキラ輝く瞳で私に出してきてくれたのだから、断るほかありません。
ありがたく頂くことにして受け取りました。大事なお守りとして私と共に世界を巡り、日本の我が家へ辿り着きました。
言葉を超えて、通じ合うということ
photo by peco
同じ国に育っても、全く同じ人間なんて居ないことはすぐに分かります。もし言葉が通じても、分かち合えないなんて状況も日本ではよくあること。
ただ、あの時の私たちはそんなこと気にせずに、お互いが歩み寄り、1つでも良いからお互いのことを知りたい!という純粋な気持ちがこの結果に繋がったのではないかと思います。
言葉の壁を通じて、心が通じ合えるということ。その喜びを、初めて心から実感できた出来事でした。
彼女らはSNSのアカウントを持っている様子も無く、どこに住んでいるかも分からない状況で別れてしまったので、残ったのは私が少女に貰った巾着と携帯で撮影した写真だけ。
また再会するのが難しい状況ではありますが、あの日の思い出は一生消えることはありません。