余白のないあなたへ、今回は自分の心を取り戻す旅のプランをご紹介します。
自分らしい視点と感性をもって、ぜひあなただけの漂う旅に出発してみてください。
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はじめに
余白のないあなたへ
忙しい日々を送っていると、だんだん心の余裕がなくなっていきませんか?
日々やらなければいけないことに追われていると、いつのまにか自分が窮屈な世界でしか息をしていないように思えてきます。そんな毎日を過ごしていると、自分がいったい何を大事にして生きているのかすらも見失ってしまうような気がします。
自分の心で景色をみてみる
私もこの忙しさの沼にはまってしまい、いつからか自分の心が行方不明になってしまいました。日々が無色透明にしか感じられなくなり流石にヤバいと思ったので、行方不明になった自分の心を取り戻す旅に出ることにしました。
自分なりの漂い方を知る
自分の心を取り戻すためには、まず余白をつくること、そして「なんとなく好きかも」という自分の感性を働かせることが大事になのでは?とひらめきました。
そこで、背負っているいろんなものを手放すことを旅のテーマとしました。
手放してみると風景が変わる
散策するエリアだけ決めて、あとは行き先もやることも向かう方向も全てを手放してしまいます。ポツンと一人降り立ったその場所で、自分が何を感じ取り、何を考え、何をするのか。ひたすら自分の感性に身を委ねる旅をしてみることにします。
余白のない人(私)は、いろんなものを背負いすぎているのだと思います。だからこそ、詰め込んだものを一旦脇に置いてみる。すると何かが入ってくる隙間ができる。そこに飛び込んでくる何かを掴んでみようという試みが、今回の旅プランの全容です。
心の縁側をあけてみる
旅プランを紹介すると言っておきながら、プランそのものを手放しちゃいます。観光やツアーとは真逆の旅ですが、手放した世界での漂い方にこそ、見失ってしまった自分の心があらわれるような気がするのです。
漂う旅へ出る
「なんとなくにこそ本質がある」
「なんとなく」からみえるもの
「なんとなくこっちに行ってみよう」と好奇心の赴くままに歩いていきます。目的地に向かっていくのではなく、気のままに、なんとなくを頼りに道を選びます。次にどの場所に向かうのかも手放して、脇道に入ったり階段を登ったり路地をのぞいたりしてゆっくり進んでいきます。風を感じながら、耳を澄ませながら、一歩一歩踏みしめていきます。
板張りに揺れる緑の光も、玄関に置かれた2つの朝顔の鉢植えも、側溝に落ちた瓦の欠片の鮮やかな青も、「なんとなく」の先でしか出会えなかった景色である気がします。そしてこの景色こそ、自分が心から選んだ道の先にある、自分だけの景色である気がするのです。
落ちている色を拾う
この「なんとなく」にこそ、旅の本質、人生の本質があるのでは?と思えてきました。自分の心という実体のないものを探そうとすればするほど、見つからないしわからない。
それならば、「なんとなく」で生まれた余白に入ってくる、自分の感性や景色をこそ歓迎すべきな気がします。それこそが、忙しい日常の中で無意識に捨てられてしまったものを拾い上げることだと感じるからです。
自分の感性をもとに行き先を決める。自分自身であるために道を選ぶ。この感覚が日常の中に足りなかったんだなあと改めて感じました。外からの都合に合わせすぎていると、自分の気持ちが後回しになってしまいがちです。
自分の世界観の中にあるものを、ぜひ確認してみてください。
「人は物語の中を生きている」
目の前にある物語
気のままに漂いながら旅をしていると、だんだん自分の気持ちや感覚が「今この瞬間」に集中してきます。過去でも未来でもなく、今この瞬間にいる自分が何をみて何を感じているのかということこそが最も大切です。
それをまとめてみようということで、たまたま見つけた喫茶店のカウンターに座りながら、今自分がいるこの景色をメモしてみました。
サービスで出てきたエリーゼ。
ペットボトルからグラスへ注がれる自家製珈琲。
三毛猫を撫でる常連。
奥の席で静かに過ごす女性。
訛り口調で免許更新について話す3人組の年配客。
こうやって自分のいる景色をそのままメモしてみると、なんだか自分が物語の登場人物の一人になったような気がしてきます。この感覚こそ、余裕のない私が忘れてしまっていたものでした。
主人公であること
忙しない人は、誰かの物語を生きようとしすぎているのかもしれません。そんなあなたはぜひ、気ままに漂うことで自分だけの物語の中で息をしてみてください。
あなたの何気ない日常が、あなただけの物語として輝いてみえるかもしれません。
「未来のために今を犠牲にしない」
今この瞬間を生きる
あちこちをゆらゆら歩いている時、空が青さにびっくりしたことを覚えています。「空はこんなにも青かったのか!」と感じた自分の感性に気づいたのと同時に、この青さすらも感じることができないくらいのスピードで日々過ごしていたんだなあと考えさせられました。
今にある身体と、遠くにある心
忙しなく前に進んでいく日常を過ごしていると、いつの間にか今が犠牲になっていることがあります。私のように、目の前に広がる空の青さすらも感じられなくなってしまうこともあります。
未来のために頑張ることも大切ですが、自分の心がどこか遠くの未来へ行きっぱなしでは疲れてしまいます。今という確かにあるこの瞬間を捉え、自分の感性を働かせて漂ってみると、今までとは違った景色が見えてくるかもしれません。
漂う旅を終えて
今回は行き先や行動を決めず、そのとき浮かんでくる自分の感性をもとに漂ってみる旅プランをご紹介しました。(プランと言えるのかは謎ですが……)
いつでもどこでも人は旅に出ることができるし、自分の世界観の中で息をすることができます。
旅は処方箋である
旅は処方箋であると思うのです。
人はずっと泳ぎ続けることはできません。どこかのタイミングで息継ぎをしないとおぼれてしまいます。旅は人生においての息継ぎであり、また自分を満たしてくれる処方箋の役割を果たしてくれる気がします。
ぜひあなたなりの漂い方で、あなただけの旅をしてみてはいかがでしょうか。
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