編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

奥さんとその妹の通訳で、たくさんの質問を受けました。人気のある職業、年収の話、車の話や家族のこと。学校の話、日々の生活のこと…。「日本ではどうなの?」と遠く離れた日本の暮らしに興味津々。逆に私たちも、イスラム家庭の生活を実際に体験し、姉妹にはイスラム教の女性の立場から、自分がムスリムであることをどう思っているのか、学生生活、恋愛や結婚のことなどを教えてもらいました。

 

「あなたは、私たちの息子よ」

最後の夜は、家族みんなで温かいスープやごはんを持って、ピクニックに出かけました。

車に荷物を積んで、走ること 30 分。小高い丘の上に着くと、そこは小さな小さな遊園地のようなところで、他にもいくつかの家族がピクニックをしていました。

駐車場の片隅にみんなで協力してシートを広げて、ごはんを並べて、寒かったので、みんなで寄り添うように小さな輪になって家族団らんのひと時を過ごしました。

 

「あなたは私たちの息子よ。たくさん食べなさい」お母さんは主人にごはんを大盛りよそってくれました。

そして、私たち夫婦に向かって言ってくれました。

「日本に帰ったら仕事をして、子どもをもうけて、0からスタートすればいい。大丈夫」

 

私たちを勇気づけてくれた家族

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photo by Ben Cremin

「私たち夫婦だって、家もお金も何もないところから0からスタートしたの。今は仕事もあるし、かわいい娘が二人もいる。だから、あなたたちも大丈夫」

私たち夫婦のことも家族の一員として受け入れ、家族の大事な時間に招き入れ、世界一周後の私たちの暮らしを勇気づけてくれたのです。バスの中の小さな会話から始まった出会いは、3年経った今でも、繋がっています。東日本大震災の時も、娘を授かった時も生まれた時も、遠く離れたイランで祈ってくれたのです。

 

実は最後の夜、私はひどい頭痛がしていて、ピクニックに行くことを断ろうと思っていたのです。だけど、少し無理して行って、お母さんの作った温かいスープとごはんを食べて、主人に大盛りごはんをよそい、喜ぶお母さんの笑顔を見て、本当の家族のように過ごした夜のピクニックを終えると、不思議と頭痛がなくなっていました。

 

「イランよかったよ」「人がよかったよ」 旅人みんなが口を揃えて言うから、何となく行ってみたイラン。まさかこんなにも自分の価値観を変える出来事が 待っていたとは、想像すらしていませんでした。

 

戦争もテロも、そんなの誰も望んでいない

イランは、確かに地域によってはテロがあったり、危険な場所もあるけれど、それは、宗教と宗教が衝突し合っている一部の地域の問題であって、イランの人たちみんなが望んでいることではない。

世界で戦争やテロの犠牲になっている国民の多くは、むしろそんなもの、望んでなんかない。そんな当たり前のことすら、日本にいた頃の自分は分かっていなかったのです。

 

テレビという小さな箱、インターネットという誰かに編集された情報を通して見たものだけで決めつけていたことが、いかに偏ったモノの見方だったかということに気づかされました。

 

娘に話してあげたい、二人の482日間

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photo by pixta.jp

娘に話してあげたいことはたくさんあります。

 

3ヵ月、オーストラリアで、主人はスイカとメロンを収穫し、私はホテルのハウスキーピングをして旅の資金を稼いだこと。ガラパゴス諸島でたくさんの動物に触れ合えたこと。ここは将来、娘を絶対に連れて行ってあげたい。南米大陸がとても大きくて、見所がたくさんあって、ちょっと遠いけれど、とてもおもしろいということ。

アメリカで、昔主人がお義母さんと二人で暮らした町に 滞在し、主人が通った小学校を訪問したこと。 あなたの誕生を喜び、見守ってくれる人たちがいること。

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。内戦を経験した国、町中の至る所に銃弾の痕があったこと。でも、そこで生活するのは普通の若者、親子、お年寄り。活気に溢れ、オープンテラスのカフェが並んでいたこと。それは、東京とまるで変わらない日常だったこと。「危ない国で暮らす人々=危険な人たち」そんな偏見を持っていたことに後悔したこと。

 

娘が大きくなった頃にはきっとなくなってしまっている、「情報ノート」という、旅人が自分が行った場所の情報を手書きで記したノートが 世界中の日本人宿にあったということ。

スペースシャトルの打ち上げを見たこと。

 

「子どもが生まれたらまたここに来たいね」そう主人と二人思えた場所が、世界中にたくさんあることを何より幸せに思っています。

 

世界一周は、人生の中の一瞬の出来事

帰国日。成田まで主人のお父さんが迎えに来てくれて、ハグしながら「おかえり」と言ってくれました。とにかくホッとしました。そして、482日間、元気に旅を続けてこれた 丈夫な身体をくれた自分の両親に感謝しました。(あぁ、ここまで旅を続けてこられたのは、こうして日本で待っていてくれる人たちがいたからだ)感謝の気持ちが溢れました。

 

世界一周。迷っているなら絶対行った方がいいと思います。というのも、良い意味で大したことなかったなって。

1年以上も日本を離れるなんて、行く前は、帰ってきたらどうなるんだろうと心の隅で思っていました。でも、今は帰ってきて仕事もしているし、新しい命が生まれ、子育てもしているし、普通に日常を送っている。もちろん、無事に帰ってこれたからってこともあるけれど。世界一周に行ったから、その後の人生がダメな方に行くんじゃないかとか、考えるだけ無駄だったなって今は思います。

 

だって、これから何年生きるか分からないけれど、何十年かのうちの1年4ヵ月、本当に人生の一部というか一瞬の出来事なのですから。この、針の先のような短い時間を過ごすだけで、人生にどれだけ大きなものをもたらしてくれるかって 考えたら、絶対に行った方がいいと思います。

 

娘のどんな選択も、私は信じてあげたい

旅を終えた時、本当はすっごくすっごく心配で 心の中では反対していたであろう母が、何も言わずに送り出してくれたことに感謝しました。

 

今、娘が生まれて、母がどんな気持ちで送り出したか、どれだけ心配したかを実感しています。正直ちょっと胸が痛むし、娘が世界一周に行くと考えると心配で心配でたまりません。

だけど、母が自分を信頼して送り出してくれたように私も娘を信じて、この先のいろいろな場面での娘の選択をできる限り応援してあげたいと思っています。今、そう思えることも、世界一周に出たからこそのことなのだと思います。

 

世界一周に出たい!でも勇気が出せない。そんなあなたへ

いかがでしたか?

今回の世界一周ストーリーを掲載している書籍では、15名の感動ストーリーだけではなく、一緒に本を作成した世界一周者50名のお土産話やアンケート、世界の瞬間PHOTOなど世界一周経験者の想いが詰めこまれています。

「世界一周して人生が変わる?」

これは、あなたが本当に実感できるかどうか分からないかもしれません。ただ、少なからず私たち50名の人生は、世界一周がきっかけで変わりました。

この想いをあなたにも感じて欲しい。そしてこの本をきっかけに、旅に出てくれたらもっと嬉しいです。

 

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