この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。
今回の主人公は、小山藍さん(当時 21歳)です。
「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。
\この記事は、書籍化もされています/
・小山藍(当時 21歳)/ 大学生 2012.2 〜 2012.11 / 281日間 /11ヵ国
・世界一周の旅ルート
アメリカ→ボリビア→ペルー→ボリビア→アルゼンチン→スペイン→トルコ→ヨルダン→イスラエル→香港→インド→バングラデシュ
「死ぬ場所くらい、選べよ」
電車に乗っていたら、人身事故が起きて、電車が止まる。いい歳をしたサラリーマンが舌打ちして、愚痴をこぼす。
「死ぬ場所くらい選べよ」
他人を配慮する余裕がなくなるくらいの義務や責任をスーツの背広に背負いたくないと思った。
これから先に控えている就活にも、矛盾を感じた。
せっかく社会に出ても、新卒の3割が3年以内に辞めるとか。
富と健康を享受しやすい国なのに、自殺する人がたくさんいて。誇りの持てない仕事に忙殺されて、大切なものを見失いたくないと思った。
そもそも私は、世界一周なんてキャラではなかった。
高校生の時、バセドウ病になった。
甲状腺が腫れ、ホルモンの異常から様々な症状を来す。
普通の高校生活を送って、無難な大学に入って、ある程度の会社に勤めて、結婚して。
そんな普通の暮らしすら、その時は望めなかった。
ただ、自分がしっかりと生きて、周りに大切な人がいれば幸せなんだということも、その病気のおかげで知れた。
幸い、私は健康を取り戻して、大学生になった。
だけど、大学の授業はサボってばかりだった。日本社会に希望も持てなかった。
(息苦しいな、おかしいな)
自分の居場所が、自分の国が、好きになれなかった。
「世界一周航空券を買えばいいじゃん」
(なら、環境を変えるのが手っ取り早いんじゃないか?)
海外で生活してみようと思った。
大学を休学して、インターン先を探すことに。両親から、100万円を借りた。
「大学生は、お金はないけれど時間はあります。でも、社会人になったら、お金はあるけど時間はありません。だから今の子どもの間に、無利子で投資してください」
そう頼んだら、OKだった。南米に絞って探した結果、ボリビアという国に決まった。
ただ、ボリビア行きの航空券が思ったよりも高かった。悩んでいると、母が一言。
「世界一周航空券を買えばいいじゃん」
(ああ、そうか)
自分でも驚くほどにすんなり腑に落ちた。40万円。ボリビアへの往復航空券と同じくらいの値段だった。
母の一言で、私はインターンの後に 地球をぐるっと回ってから帰国することになった。
私が憧れたまんまのボリビアの日々
ボリビアでホームステイをした日々。
朝、新しい一日を迎えるとキスやハグで挨拶をする。シエスタ(昼寝)やパーティーが当たり前にある日常。
昼になると皆、家に戻り、手作りのごはんを食べ、 仮眠をとり、また職場や学校へと戻っていく。
土曜の夜は少し派手な格好をして、友達とお酒を飲みに。
日曜日の昼は、庭で BBQ。お父さんが肉を豪快に焼いていく。
それは私が憧れていた、仕事もプライベートも人間関係も充実した生活だった。
だけど、暮らしたのは「分けられた街」
photo by archer10 (Dennis) (56M Views)
だけど、どうも腑に落ちなかった。
その優雅で守られた家から一歩出ると、まったく違った光景が私の目の前に広がっていたからだ。
例えば、住む区画が貧富で分けられている街。
北に行くと、プール付きの豪邸が並んでいる。
南に行くと、車が道でガタガタと揺れ、物価と治安が下がり、ゴミが溢れて悪臭が漂う。
目にしたのは、認められない現実
「危ないから南には絶対に行ってはダメ」
ホストファミリーから何度も忠告を受けた。
例えば、デモによる道路封鎖。
人の列が大通りを占拠する。時には警官とデモ隊が衝突して、家から出られなかった。
テレビに映る、見たことのある道路に催涙弾が飛んでいて、すれ違ったことがあるかもしれない誰かが、泣いている。
映画かと思った。
すぐそばで起こっている光景だと信じられなかった。
そのギャップを認めることができなかった。
思い出すのは、ホームステイ初日のこと。
アイスクリーム屋さんを出て車に乗ると、ホストブラザーが外にいた男の子に向かってコインを投げた。
お金を渡した理由を聞くと「車を見張ってくれたから」と言う。
「ここには、2種類の人間がいる」
私は、子どもが学校にも行かずに車の見張りをしてお金を稼いでいること、南に行ってはいけないこと、疑問に思ったことを立て続けに質問した。
彼は答えた。
「アイ、ここには生まれながらに2種類の人間がいるんだ」
常識のごとく言われ、腹立たしかった。
(なんて思慮のない人だ)
そう思った。
だけど、よくよく考えてみると、腹立たしく思うのは、格差の小さい日本で育ってきた私が 「格差=タブー」と捉えているからだと分かった。
私の質問は、恵まれている立場から放ったものだった。
日本にいた頃の自分を思い返した。
一時は病気になった私が、元気で、今の私でいられるのは、きっと環境が良かったのだろう。
安心して街を歩けて、質の良い教育を受けて、世界一と言われるパスポートを持って、世界を旅して。
どうやら私は、相当恵まれているらしい
(どうやら、私は相当恵まれているらしい。幸せらしい)
幸せな環境で、自分がずっと生きてきたことを思い知った。
そして、その環境こそ、多くの会社員が、スーツの背広にたくさんの責任を背負って働いてきてくれたからこそあったものだと知った。
私は、生まれた国に不満をこぼすのをやめた。認められなかった現実に腹を立てることもやめた。
そして、ボリビアから世界一周へ飛び出した。
ボリビアから、世界一周の旅へ
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最初の目的地はアルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。
初めてのバスの移動は、約48時間。
明日からは、職業も住所も何もかも不定の身分になって、 移動で身や時間を削りながら、旅人らしい日々を送る。
これから迎える自由が、怖くも嬉しくもあった。
ボリビアで見た貧と富。世界には光があれば影もある。
地球をぐるりと一周しながら、 その両方を見てみたいと思った。
世界中の光と影を見て回ろう
アルゼンチン、ブエノスアイレス。
南米のパリとも称される首都。 お洒落なブティックが並び、豪勢なカジノに人が集まる。
だけど、大きな通りを渡ると、そこは一面スラム街。目の色を失った人たちが、そこで生きていた。