東京・竹芝からジェット船に揺られて約3時間。伊豆諸島に浮かぶ式根島は、人口約500人、周囲わずか約12kmの小さな島です。エメラルドグリーンの海、岩間から湧き出す天然温泉。手付かずの自然に包まれたこの島には、どこか懐かしい時間が流れています。

船から降りてゆっくりと歩き始めると、そこには自然に寄り添い、人とつながりながら暮らす、あたたかな島民との出会いが待っていました。
「おかえり」と聞こえてくるような、心ほどける旅が、ここから始まります。

見出し
旅人の「帰る」場所。島と人をつなぐゲストハウス「ひだぶん」・肥田光代さん

式根島の旅の拠点として訪れたのは、ゲストハウス「ひだぶん」。玄関を開けるとオーナーの肥田光代さんが、太陽のような笑顔で迎えてくれました。
肥田さんはご両親が開業した民宿を引き継ぎ、時代の変化にあわせて、素泊まりやドミトリーを取り入れながら、宿のかたちを少しずつ変えてきたのだそう。お客さんが「ただいま」とまた帰ってきてくれる瞬間が嬉しい、そう語る肥田さんに島への想いを伺いました。
有限会社肥田文 取締役
ゲストハウスひだぶんを経営。また、式根島エリアマネジメントにも参画しており、移住者誘致に向けて、ワーケーションプランや移住定住お試しプランを実施。実際に移住者も増えており、こういったロングステイプランはオフシーズンの集客にも繋がっている。また、式根島の特産物として、レモングラスを栽培し、レモングラスティーやバタフライピーをブレンドしたお茶を製作。その他、島焼酎とレモングラスのカクテルも提供している。夏季は素泊まり専門の宿として運営する一方、釣り好きのアルバイトが釣った新鮮で美味しい魚を提供し、地元の食材を使った自炊アシストメニューも展開している。自身のゲストハウスだけでなく、式根島の情報を広めようと、お客さんの協力を得て、「式根島ひだぶんMAGAZINE」のウェブサイトを開始。スタッフとお客さんで運営する、盛りだくさんのサイトです。
https://hidabun.jp/
ーー幼少期から式根島で過ごされている肥田さん。幼少期の思い出を教えてください。
保育園がなかったので、小学校に入るまでは野山で遊んでいました。木登りをしたり、海辺の岩を何個飛んで渡れるか競争したり、島全体が遊び場でしたね。
お店もないし、プライバシーもなくて、若いころは島が窮屈に感じることもありました。朝起きた出来事は、その日のうちに島中に広まってしまいますし(笑)。でも今は、その小ささが心地いいんです。みんなが私のことを知ってくれていて、ありのままを受け入れてくれる。一度は本土に行きましたが、23歳のときに民宿を継ぐため島に戻ってきました。
ーー式根島を離れていたときは、ご実家の民宿にはどのような想いを抱いていましたか。
「いつかは戻るのかな」という気持ちはありました。両親のはじめた民宿も、もともと観光客向けのビアガーデンから始まったんです。昔の島の人たちは、海や畑の作物で暮らす自給自足に近いような生活を送っていました。離島ブームで現金収入が入るようになり、自宅を民宿として貸し出す方も増えましたが、そのころ住んでいた家は古くて狭く、民宿にするのは難しかったんです。代わりに、広い庭を活かしてビアガーデンを作ったところ、大繁盛になったのよ…と親が自慢げに語っていました。
それから3年ほどビアガーデンを運営して資金を貯め、私が7歳のころに新築で民宿肥田文を開業できました。ですが、やっとできた民宿は私が高校生のときに火事で全焼してしまったんです。建ててから9年目でした。

そんな民宿を、両親がまた一から再建していく姿を見ていたので「いつかは帰らないと」という気持ちは、心のどこかにありました。
ーー式根島に戻ることを決めたきっかけは何だったのでしょう。
結婚相手が式根島をとても気に入ってくれて「島で暮らそう」と言ってくれたんです。東京の生活は楽しかったですし、未練もありましたが「この機を逃したら、もう島に帰ることはないかもしれない…」そう思って、島に戻ることを決めました。
最初は「仕事だから」という気持ちもありましたが、今はお客さんが「楽しかったよ」と笑顔で帰っていく姿を見るのが嬉しいんです。常連さんが「ただいま」と戻ってきてくれたり、アルバイトで働いていた子が自分の家族を連れて遊びに来てくれたり。世代を超えてつながる感じがして。大変なことも多いですが、やってて良かったと思う瞬間です。

ーー家族連れや団体に限らず、一人旅のお客さんも積極的に受け入れられていますよね。
ある時期から、一人旅の方がすごく増えたんです。でも、小さな民宿が多い式根島では、一人のお客さんはどうしても断られがちで。電話口で「もう7軒目なんです……」と話す声を聞いていると、なんとかしてあげたいと思って、一人でも気軽に泊まれるドミトリーを作ろうと思ったのが始まりでした。

一人旅のお客さんは旅慣れた方が多いので、なにかと教えてもらうことも多いですね。たとえば、お客さん同士の共有スペースの壁をなくしたのも、旅慣れたお客さんからのアドバイスなんですよ。壁がないことでコミュニケーションが取りやすいですし、ここで一緒に飲んだり、話したりするなかで、お客さんとの距離がぐっと縮まりました。
ーー人とのつながりを大切にされているんですね。今後、式根島で挑戦したいことはありますか?
島の人口が減っているので、移住者を増やしたいと思っています。長期滞在で島を知ってもらうために、ロングステイのプランを低価格で提供したり、季節アルバイトで働きにきたスタッフの子に、仕事のかたわら楽しんでもらえるように考えたり。実際に、移住した方や、島の人と結婚して5人のママとして商店を切り盛りしていたり、夫婦で新たに宿を開業していたりする方もいます。
挑戦というほどではないですが、これからも来島者が式根島を好きになってくれて、住みたくなるような環境を作っていきたいです。
・名称:式根島 ゲストハウスひだぶん
・住所:東京都新島村式根島9番地
・地図:
・電話受付時間:8:00~21:00
・定休日:なし
・電話番号:04992-7-0072
・公式サイトURL:http://hidabun.com
兄弟で暮らしとつながりを支える。島暮らしの拠り所。「ファミリーストアみやとら」宮川央行さん・純さん

続いて向かったのは「ファミリーストアみやとら」。食料品から日用品まで幅広く取り扱う、島の暮らしを支えるお店です。このお店を営むのは、兄の宮川央行さんと、弟の宮川純さん。
ひっきりなしに訪れる島民や旅人が次々手に取るお弁当は、弟の純さんの手作り。コンパクトな店内にぎゅっと詰まった島の日常が、どこか懐かしく、心を和ませてくれます。
ファミリーストアみやとら・惣菜弁当部 調理長一般社団法人式根島観光協会代表副理事式根島青年団しきね想島会(そうとうかい)団長
2015に青年団を立ち上げ「できることを、できるときに、できるひとで!」を仲間と共有し、月1浜清掃、地域イベントへの参加、オリジナルイベント開催など様々な活動を通し、まず「自分たちが楽しむ」を大切にし、式根島の魅力やコミュニティの再発見、再認識に取り組んでいる。
ファミリーストアみやとら 店主一般社団法人式根島エリアマネジメント 代表理事新島村教育委員会 教育委員
商いを通じて島で生きていけることに感謝し、式根島エリアマネジメントの活動を支え、その副産物を活用し、「汗をかいた人」が、ただ疲弊しない島づくりを実践している。また、教育委員を続ける中で、式根島の中心には「学校」があることを認識し、式根島の教育と経済がともに発展することで「明るい島おこし」が出来ると信じている。
ーーなぜご兄弟でお店を営まれるようになったのでしょうか。
純さん:もともとは私が先に島に戻ってきていました。1年ほど経ったら東京に戻るつもりが、その頃に子どもを授かったことがわかり、みやとらを続けることにしたんです。両親から本格的に運営を引き継ぐとなったときに、私の専門が調理だったこともあり、経営部分のことを助けてもらいたくて兄に声をかけたのがきっかけです。

央行さん:親には「店は継がなくてもいいから帰ってこい」と言われていたので、島に戻ることはもともと意識していました。戻るなら、島のほかの場所で働くより、家族と一緒に「みやとら」をやりたいという気持ちがあって。だからこそ弟から声をかけられた時、島に戻る決心がつきました。当初は意見がぶつかることもありましたが、今では「経営は私」「調理は弟」と役割を分担する形に落ち着きましたね。

ーー純さんが作るお弁当は、島の皆さんに大人気だそうですね。
純さん:ありがたいことに、神津島など近隣の島からも注文をいただきます。 看板商品は、両親の代から続く「島のり弁」です。中に入っている明日葉は、うちの母が畑で育てたものを使っているんですよ。
お客さんの意見も積極的に聞くようにしていて、ときには「なんかうまい弁当作って」なんて無茶なリクエストをいただくこともあります(笑)。でも「おいしかったよ」という一言で、がんばれますね。

ーー純さんは青年団でも活動をされていると伺いました。どのようなことをされているのでしょうか。
純さん:浜清掃をしたり、島の先生が長年集めてきた標本を展示する「ミニ博物館」を開いたりしています。青年団は両親の世代で一度なくなってしまったものを復活させたのが始まりです。最初は行政のアドバイザーに相談したのですが、アドバイザーから言われるがままに活動することに違和感を覚えてしまって。誰かに言われたことではなく、自分たちが心から「やりたい」と思う活動をしたい。そう考えて自分たちの手でゼロから始めたんです。
ーー青年団で活動を続けるうえで、気をつけていることはありますか。
純さん:「できることを、できる時に、できる人で」を大切にしています。「団長が言うから」「あの人が行くから」という理由で活動に参加するのはやめようね、と最初に決めました。行きたい人が、行ける時に行けばいい。そうしないと、続かないですから。
青年団を立ち上げるとき、島の先輩方に相談役をお願いしたら、「俺たちが入ったら、お前たちは『違う』と言えなくなるだろ。何かあったら助けるから、好きにやりなよ」と言ってくれて。だから今も、自分たちらしく活動を続けられています。

ーー信頼されているんですね。お二人が感じる“式根島ならでは”の魅力とは何でしょうか。
央行さん:人があたたかいところですね。 僕は島で催し物があった後に、みんなで後片付けをする光景が大好きなんです。誰かが指示するわけでもないのに、イスを運び、テントを畳む。その光景に島の一体感、人のあたたかさを感じて、「また来年も頑張ろう」と思えます。
純さん:自分からグイグイは行かないけど、話してみるとみんな優しいです。子どものころから漠然と「いつかこの島に帰ってくるんだろうな」と思っていました。この先も、この島で育った子どもたちが同じように、帰ってこられるような場所を守っていきたいですね。
・名称:ファミリーストアみやとら
・住所:東京都新島村式根島283-2
・地図:
・営業時間:8:00~19:00
・定休日:日曜日※連休中の日曜日は営業
・電話番号:04992-7-0304
・公式サイトURL:https://www.miyatora.com/
白岩から望む紺碧の海に圧倒される。火口跡「唐人津城」

純さんのお弁当でお腹が満たされたら、島の西側へ。ここからは歩いて「唐人津城(とうじんづしろ)」を目指します。森に一歩足を踏み入れると、そこはまるで秘密の場所へと続く探索路のよう。少し湿り気を帯びた柔らかな落ち葉が、足音を優しく吸い込んでくれます。

木々の隙間から時折差し込む光が、道の先を照らしては消え、「この先に何があるんだろう」と期待に胸を膨らませながら進むと、視界がひらけました。目の前に広がるのは、広大な白岩の砂漠。日差しを照り返すその白さに、一瞬目がくらむほどの衝撃を受けます。

森の柔らかな土とは違う、じゃりじゃりと乾いた砂の感触を確かめながら、小高い丘を越えると、どこまでも続く紺碧の海が目に飛び込んできました。
もうひと頑張り、神引展望台へと続く階段を上ります。たどり着いた頂上で待っていたのは、島の複雑な海岸線と伊豆諸島の島々を見渡せる、息をのむような風景。吹き抜ける風が優しく体を冷ましてくれました。

・名称:唐人津城
・住所:東京都新島村式根島
・地図:
地球のエネルギーに触れる場所。地鉈温泉

次に目指すのは「地鉈温泉(じなたおんせん)」。地面を鉈で割ったような地形からその名がついたこの名湯は、神経痛や冷え症などに効能があり、別名「内科の湯」とも呼ばれています。
ゴツゴツとした石の階段を一段ずつ下りていくと、徐々に強くなる潮の香り。天を突くようにそそり立つ巨大な岩肌を見ていると、この先に本当に温泉があるのだろうか、と圧倒されます。

岩壁の間を抜けると、磯の香りに混じって、ほのかに硫黄の匂いが鼻をかすめました。視線の先、海岸の岩場から、もくもくと湯気が立ち上っています。打ち寄せる波が、源泉と混じり合い、白い湯気を立てる。荒々しくも神々しい光景に、見ているだけでエネルギーを得られる場所です。
・名称:地鉈温泉
・住所:東京都新島村式根島1006
・地図:
海と森で遊んだ後は「サンバレー」「NINZ COFFEE&真鯛バル」で島を楽しむ
サンバレー:観光協会様ご提供写真
海や森で思いきり遊んだ後、お腹を満たしてくれるのは、島の人々に愛される温かいごはんです。
お昼どきに訪れたいのは、石白川海岸のすぐ近くにある「サンバレー」。店内は、厨房から漂うおいしい匂いと、島の人たちの気さくな会話で満たされています。名物のネギトリラーメンは、ピリ辛のスープが食欲をそそる一品。式根島の銘菓、牛乳せんべいはお土産にもぴったりです。
サンバレー:観光協会様ご提供写真
夏に島の夕食を楽しむなら「NINZ COFFEE&真鯛バル」。透き通るように美しい「真鯛のカルパッチョ」や、のりの香りを楽しめる「島のり入りだし巻きオムレツ」はどこか懐かしく、心がほっとする味わい。ラジオの音と扇風機の風が心地よい店内で、この旅の思い出を振り返ります。

旅人たちの「ただいま」を受け止めるために宿を守り続ける肥田さん。お店で日々の暮らしを支えながら、青年団の活動で島の未来をつなぐ宮川さんご兄弟。そこには島で生まれ育ち、一度離れても島へ戻る気持ちを心のどこかに持ちながら過ごしていた人々の、島への深い愛があります。島の人たちが紡いできた温もりが、この島の何よりの魅力なのだ。そう感じながら夜がふけていきました。
・名称:サンバレー
・住所:東京都新島村式根島4
・地図:
・営業時間:10:00〜14:00
・定休日:水曜日
・電話番号:04992-7-0846
・公式サイトURL:https://shikinejima.tokyo/gourmet/chinese/368/
・名称:NINZ COFFEE&真鯛バル
・住所:東京都新島村式根島47
・地図:
・営業時間:カフェ・ランチタイム10:00〜15:00(LO14:00)/ディナータイム(予約制)18:30〜21:30
・営業期間:ゴールデンウィーク期間/7月〜9月まで
・電話番号:04992-7-0121
・公式サイトURL:https://www.ninz.jp/ninz-coffee/
周囲わずか約12kmの小さな島、式根島。この小さい島は、海、温泉、人との出会い——どこを切り取っても、心がほどけていくような暖かさと優しさに包まれていました。
ここには島での暮らしがあり、旅人を自然に受け入れてくれる温もりがあります。忙しない日常から少し離れて、深呼吸をしに、またふらりと帰ってきたくなる。そんな式根島にあなたも「帰って」みませんか。

Photos by しふぉん