世界を旅していると、日本での価値観が当たり前ではないということを度々目の当たりにすることがあります。日本に住んでいるときの「当たり前」の価値観が物差しとなって、他の国の文化をありえないと否定したり、非難してしまうことがあるかもしれません。
けれど、その土地の人にとってはその文化や行動、考え方が「当たり前」になるのです。信じられない!と思うことも、まだまだこの世界には存在すると思います。
その国の習慣に共感するとまではいかなくても、「知ろうとする」ことが私たちには必要なことなのではないでしょうか。今回は、「死生観」について独特の文化を持っているインドネシアのトラジャ族の紹介をしたいと思います。
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伝統を重んじる「トラジャ族」
インドネシアのスラウェシ島の山間地域タナトラジャには、「トラジャ族」という民族が住んでいます。タナトラジャは要塞のような1,000m級の山々に囲まれているため、トラジャ族は外部と交流する機会が少なく、独特な文化が色濃く残されてきました。
そのためか、先代の文化や伝統を強く重んじており、17世紀頃には多くの地域でイスラム教が信仰されたインドネシアにありながらトラジャ族はアルクトドロ教(「先祖のやり方」の意)という独自の宗教を信仰しているのです。
トラジャ族は家族が亡くなった際、故人に特殊な処置を施してミイラにすることで「病人」と呼び、生活を共にしています。ミイラとなった故人が家族と共に食卓の前に座り、毎日着替えも行うのです。西洋医学的には亡くなっているミイラ化した家族は、彼らの中ではまだ「生きている者」として扱われるのです。
この習慣だけ聞くと、「えっ!」と驚いてしまうかもしれません。「死」の捉え方、故人や葬式の捉え方も日本とは全く異なっているのです。しかし、「死」と向き合うことで、「生」を尊いものだと感じることができると、トラジャ族は言います。
トラジャ族にとって重要な葬儀「ランブソロ」って?
トラジャ族は「ランブソロ」と呼ばれる葬儀を「人生で最も重要なイベント」と捉えています。トラジャ族の平均月収は1~2万円程度である中、ランブソロにかける金額は数千万円に及ぶこともあるのだとか。
トラジャ族には階級社会が根付き、「ランブソロ」には、故人に対しての強い感謝や尊敬の念の他、社会的な地位や家系のプライドが密接に結びついています。数日をかけて行われるランブソロには、親類縁者だけでなく、近隣の村人、隣村の助っ人までもが集まり、その数は何百人にも上ることもあるそうです。
訪れる人々は水牛や豚を持参し、受付では参列者が持参したものが綺麗に書き留められていきます。参列者の「ランブソロ」の際にきちんとお返しができるよう、水牛の体の大きさ、角の大きさ、尻尾の長さまで綺麗に測って記録されるのです。
ミイラとなった故人が「病人」から「死者」となるのは、葬儀が始まる初日に家の中から棺を下ろした瞬間です。しかしここでも、彼らにとっての「死」は終わりを意味するものではなく、あくまで天国という次のステージに行くための通過点だと考えられています。彼らの中には「死」が生きるものと死者を隔てる壁という認識はなく、長い時間の中にいる全ての人々が、様々な風習を通じて交信を取り続けているのです。
タナトラジャ地域では、水牛が故人をプヤ(天国)へ連れていくと考えられており、多くの水牛を生贄にすれば、それだけ天国への到着も早まるとされています。その為、数十頭~数百頭という水牛が式中に生贄として殺されますが、タナトラジャの水牛は世界で一番高価であり、一番神聖だとされるまだら牛には、一頭数千万円の値が付けられることもあるそうです。
式中は、故人が生前に行った良いことだけが歌われる「マバドン」という踊り、年長の女性たちが長い羽根飾りをつけた衣装を着て踊る「マカティア」という踊り、闘鶏や闘牛といった、極めてユニークで華やかな催し物が続きます。
また、「トミナ」と呼ばれる司祭が参列者に対し、故人に対して借りはなかったか、マイクを持って呼びかけ、参列者が故人から受けた恩を、熱い想いと共に述べていく時間もあり、賑やかに式が進行されます。しんみりと、そして厳かに行われる日本のお葬式とは真逆ですね。