クサントス-レトーン
トルコ南部にあるクサントスとレトーンは、どちらも海洋民族リュキア人の古代都市遺跡です。地中海に面している両都市は商業において発展しましたが、ペルシャ、マケドニア、ギリシャに侵略され、最後のローマによる攻撃で壊滅しました。
ローマ時代の遺構も残されており、劇場や教会、神殿などを見ることができます。1988年に世界文化遺産に登録されました。
ハットゥシャ :ヒッタイトの首都
紀元前17世紀から紀元前13世紀にかけて栄えたヒッタイト王国の首都であったハットゥシャ。ヒッタイト民族は中央アジアから移住してきた騎馬民族で、軍事的な技術に非常に長けていたと言われています。
8キロにも及ぶ城壁に囲まれた遺跡には、王宮や神殿が残されており、当時の繁栄ぶりを今に伝えています。1986年に世界文化遺産に登録されました。
トロイの古代遺跡
ずっと神話上の都市だと思われていたイリアスは、ハインリッヒ・シュリーマンによって1870年より3年の年月をかけて発掘された遺跡により、実在したことが証明されました。
この都は「トロイの木馬」の計略により、一夜にして壊滅した伝説の都市です。現在、遺跡には神話を元に復元された木馬が建てられています。1998年に世界文化遺産に登録されました。
チャタルヒュユクの新石器時代の遺跡
20メートルほどの高さの小さな二つの丘に新石器時代の遺跡が発見されました。東の丘では紀元前7400年から紀元前6200年頃の遺構が発掘され、日常生活や宗教儀礼などを描いた壁画やレリーフなどが見つかり、西の丘では紀元前6200年から紀元前5200年頃に描かれた写実的な女性像が多く発見されています。2012年に世界文化遺産に登録されました。
ブルサとジュマルクズク:オスマン誕生の地
オスマン帝国最初の首都であったブルサには歴史的建造物が数多く残されています。また、ジュマルクズクは700年もの歴史を持つ古い町で、オスマン帝国時代の生活の様子が伺える住宅などが残されています。
農村生活のコミュニティやかつての商業文化を今に伝えている二つの都市が、共に2014年に世界文化遺産に登録されました。
ペルガモンとその多層文化の景観
バクルチャイ平原の高台の高台にあるイズミルのペルガモン遺跡。古代ペルガモン王国の首都であったアクロポリスには、現在も神殿をはじめ、劇場、ギムナジウム、祭壇、柱廊、図書館などが残されています。
周辺の丘には石彫りのキベレの聖域と呼ばれる遺跡もあります。全てまとめて、2014年に世界文化遺産に登録されました。
ディヤルバクルの城塞とへヴセル庭園の文化的景観
ディヤルバクルの城塞とへヴセル庭園の文化的景観が位置するのは、肥沃な三日月地帯として知られるティグリス川上流盆地。長い間、中心地として発展してきた様子が表れています。
長さ5.8kmの城塞は、中国の万里の長城に次いで2番目の長さだと言われています。
エフェソス
イズミル県のセルチュク近郊に位置するトルコの古代都市。有名なアルテミス神殿は、紀元前356年の放火によって焼尽。市民は、放火したとされる者の名前を記録から消そうとしましたが、失敗してヘロストラトスという名前が残っています。
その後神殿は再建され、遺構は「世界の7不思議」とされています。
アニの考古遺跡
961年から1045年まで、バグラトゥニ朝アルメニアの首都として栄えたアニ。1236年のモンゴル人による侵略や地震によって、衰退の一途を辿りました。
キリスト教とイスラム教の影響を受けたアニには、文化が融合した建築が多く残されています。
photo by Panegyrics of Granovetter
アフロディシアス
トルコ西部カラジャスに位置する都市。女神アフロディテを祀る神殿で知られるアフロディシアスは、紀元前2世紀から西暦6世紀ごろまで栄えていました。
近くに大理石の採石場があったことから、芸術文化が盛んだったとのこと。
photo by Ana Raquel S. Hernandes
まとめ
いかがだったでしょうか。日本からイスタンブール(トルコ)へは直行便は運行されています。また、ヨーロッパやアジアの各都市を経由でも、様々な航路があります。ぜひ、東西の魅力が交わるトルコへ旅してみてはいかがでしょうか。