瞑想をやる部屋があるんですけど、まずはじめにストリートファイターに出てきそうなインド人のじいちゃん先生(僕はヨーダって呼んでた)による英語での講義があり、それに従って瞑想をするカンジです。
座禅みたいに、油断してゆらっとしたら背中叩かれるとかそうゆうのはありません。ヴィパッサナー瞑想は、全くもってゆれ放題です。
ヴィパッサナー瞑想で得られること
僕が、この瞑想修行で得たものは大きいですよ。
日本人に生まれて普通に生きてたら、12日間一切人と話さず、ひたすら瞑想に励むなんて絶対にしない経験だと思うんですよ。
まず、この経験だけでおじいちゃんになっても孫に自慢できるレベルで特別だと思うんです。
結果、孫にドン引きはされると思うんですけどね。
「今」を生きることの大切さ。
瞑想をして「無」になろうとすると、前述の通り過去の後悔とか、未来への不安、渇望等が心に浮かんでくるわけです。でも、過去や未来のことを考えることに大した意味はないんですよ。終わってしまった過去のことを悔いても仕方ないし、誰も分からない未来に対して思考を巡らせることもそうです。
それより「今」を懸命に生きることが、ひいては明るい未来へと繋がり、更には過去の意味も変えていけるってヨーダがむっちゃ言ってました。あと、何気ない日常への感謝ですね。
いや、何回も書いてますけど、この修行中ガチで日常の娯楽全てを禁止されるんですよ。すると、自分が普段いかに幸せで楽しい毎日を過ごせているかということを実感するようになるんです。
人と笑い合えるとか、好きな音楽聞けるとかもう全部最高のことですし、まず街に戻って最初に食べたマクドナルドのチーズバーガーが美味すぎて死ぬかと思いましたからね。良い意味で、幸せへのハードルはガッツリ下がりましたね。
今回この修行をして、めちゃめちゃキツかったのでもう一生やりたくないし、瞑想を日常に取り入れようとも全く思わないですけど、また1つ違う世界が見れて、ものすごく良い勉強になりました。
まとめ
この「ヴィパッサナー瞑想」って、毎年たくさんの参加者がいるんですけど、皆かなりの覚悟を決めて参加しに来てるんですよ。
中にはマジで悟り開こうと思ってる人もいるし、とにかくむっちゃガチの人が多いんですよ。
興味本位で参加してしまう人も中にはいるみたいなんですけど、そういう人はそのガチさに途中でついていけなくなって、リタイアしてしまう人も少なくないそうなんですね。
でも僕、完全にその「興味本位で参加しに来た奴」だったんですよ。本当にこの修行ってキツくて、興味本位で参加していい代物なんかじゃありませんでした。ただ、キツいのを前提で参加してみると面白いと思います。
結果的にいうと、僕、「悟り」開きましたからね。
「ヴィパッサナー瞑想」は、発祥であるインドの各地で参加することができ、なんと日本でも、京都と千葉に修行できる施設があるそうです。そろそろ悟り開こうかなとお考えの方は、是非参加してみては如何でしょうか。
all photo by yusukemiyama