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旅立ち ― “おかえり”のない日
アルバイト先での送別会
ワーキングホリデーでオーストラリアに行くと決めたとき、心はずっと高鳴っていた。
自由に生きてみたい。自分の力で旅をしてみたい。
そう思いながらも、出発の朝、玄関の前で母に「いってきます」と言った瞬間、胸の奥がきゅっとした。そのあとに続く“おかえり”が、しばらく聞けなくなることを、どこかでわかっていたからだ。
空港に着いても、嬉しさよりも少しの不安のほうが大きかった。
飛行機の窓の外に沈む夕陽を見ながら、「これから1年、本当にやっていけるかな」と心の中でつぶやいた。
パースでの日々 ― 新しい出会いの中で見つけた安心

最初に降り立った街はパースだった。
どこまでも続く広い空と、ゆったりとした時間の流れ。語学学校に通い始めると、同じように目標や希望を抱えてやってきた仲間たちと出会った。
国も言葉も違うのに、誰もが「今を大切にしたい」と思っている。
放課後にはビーチ沿いでバーベキューをし、週末にはマーケットをのんびり歩きながら笑い合った。その時間が楽しくて、ホームシックだった気持ちは少しずつ薄れていった。
“おかえり”を言ってくれる人はいなくても、
“また明日ね”と笑い合える人たちがいる。
それだけで、心は軽くなった。
語学学校放課後
孤独の季節 ― パースを離れた日

オーストラリアが肌寒くなる頃、私はパースを離れて、ゴールドコースト近郊のファームで働くことにした。生活費を賄うため、2年目の滞在が可能になるビザを取るため、そしてもう少し“オーストラリアらしい経験”をしてみたかった。
でも、その決断は思っていた以上に孤独だった。知り合いのいない田舎街。当たり前のことだが、仕事を終えても、誰も「おつかれ」とも「おかえり」とも言わない。
夜になると、エアポンプ式の簡易マットレスととスーツケースしかない殺風景な小さな部屋で、パースで過ごした友達との写真を何度も見返した。
環境に慣れてくるまでは、遠く離れてもメッセージを交わす友達とのやりとりがその頃の私にとっての唯一の心の癒しだった。
再会の日 ― 居場所を感じる“おかえり″

3ヶ月のファーム生活を終えて、また知らない土地で再スタートするか迷った挙句、結局再びパースに戻った。
空港に降り立つと、一番仲良くしていた友達が空港まで迎えに来てくれていたの加え、かつてホームステイを共にした子とも偶然再会した。
2人からの「おかえりー!」の声と共に、大きなハグをした。
ほかの友人らにも「戻ったよ」とメッセージを送ると、すぐに「待ってた!」と返事がきた。以前のようにバーやビーチで再会した瞬間、みんなが笑顔で言ってくれた。
「Welcome back!!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥があたたかい感情で溢れた。
異国の街の中で、私には帰る場所ができていた。ここにも、私を迎えてくれる人たちがいる。その事実が、たまらなく嬉しかった。
旅の終わり ― 安堵の“おかえり”

1年のワーホリを終えて日本に帰国した日。東京から地元の仙台へ新幹線で戻り、駅の駐車場では父と母が笑顔で立っていた。
「おかえり!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなって心の底からの安堵を感じた。
遠くの国で聞いた“Welcome back”も嬉しかった。でも、やっぱりこの“おかえり”には特別な重みがあった。旅のあいだずっと、私はこの言葉を心のどこかで待っていたのかもしれない。
旅するわたしの大切にしたいもの
スイスから日本に一時帰国した時のおかえりパーティー
旅は自由で、時に孤独。
けれど、その孤独を支えてくれるのは“おかえり”を聞かせてくれる人たちの存在だった。どれだけ遠く離れても、心のどこかで私を想ってくれる家族や友達。それは、なにも本当の家族や長年の中の友人だけのことではない。
滞在した宿のレセプション、昨日会ったばかりのバックパッカーの知り合い、そんな浅い関係であったっていい。
“おかえり”という言葉には、安心と愛情と、「あなたはここに帰ってきていいんだよ」という想いが込められている。
それは、旅を続ける私の心をあたためてくれるお守りのような言葉だ。
だから、誰かが旅に出るとき、帰ってくるとき、その人の背中をそっと包めるような存在でありたい。
旅はいつも終わりではなく、誰かとのつながりの続き。
“おかえり”を胸に、これからも出会いと別れをくり返しながら、また新しい旅をしていこうと思う。
All photos by Saeno