こんにちは、世界遺産ライターのコージーです。
日本の世界遺産の魅力をレポートする「世界遺産検定マイスター・コージーの世界遺産探検記」。第2回は、2019年に登録された文化遺産『百舌鳥(もず)・古市古墳群』(大阪府)を紹介します。
百舌鳥・古市古墳群は、4世紀後半から6世紀前半にかけて造られた古墳群。当時のヤマト王権の権力の大きさを伝え、日本古代文化を物語る遺産です。
大阪府堺市の百舌鳥エリアと藤井寺市・羽曳野市の古市エリアにある計49基の古墳で構成されています。
古墳を見て回りながら「世界遺産とは何か」に考えを巡らせました。
8K空撮映像で古墳の立体感を味わう
『百舌鳥・古市古墳群』と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
最初に白状しておきたい。僕は正直、あまり詳しく知らない。
世界遺産検定マイスターなのに、世界遺産大好き芸人を自称しているにもかかわらず、だ。でもだからこそ、この遺産について知りたい、学びたいという気持ちは強く持っているつもりだ。
ということで、まずはJR百舌鳥駅近くの「百舌鳥古墳群ビジターセンター」へ。
2021年3月にオープンしたビジターセンターでは、世界遺産『百舌鳥・古市古墳群』の価値を学び、魅力を知ることができる。なかでもイチオシは、超高精細な8Kの空撮映像が楽しめるシアターだ。
壁だけでなく床まで使った迫力のある映像で、古墳の立体感を味わうことができる。10分間、貸し切り状態でプロジェクションマッピングを堪能した。
映像からは、百舌鳥や古市で暮らす人々と、古墳との距離感が垣間見えた。
古墳のすぐ近くに、工場や道路、住宅街が広がっているのだ。きっと市民にとって古墳とは、ごく身近な存在なのだろう。
古墳めぐりはレンタサイクルで
遺産の全体像をつかんだところで、古墳めぐりを始める。古墳は点在しているため、電車では観光しにくい。レンタサイクルで古墳を見学することにした。
ビジターセンターで自転車を借りて、まずは南東へ。
自転車をこぎ、10分。最初の古墳は、ニサンザイ古墳だ。
どどん!これが、日本が世界に誇るニサンザイ古墳!
と言ってはみたが、どうだろう。古墳というより、森といった感じ。どう反応していいか困っているのが、正直なところだ。
ヴェルサイユ宮殿やアンコール・ワットのように、見た瞬間に圧倒されるタイプの遺産ではない。
それらが”行くだけで楽しい世界遺産”なのだとすれば、百舌鳥・古市古墳群は”学ぶことで味わい深くなる世界遺産”だと思う。
改めて、ビジターセンターで仕入れた知識を整理する。
古墳とは、権力者を埋葬するために土を高く盛り上げた墳丘のある墓のこと。古墳の規模が、埋葬者の権力の大きさに比例しているとされ、古墳は権力の象徴でもある。
日本では3世紀後半から各地で古墳が築かれる古墳時代に突入。約400年続いた古墳時代に、東北から九州にかけて築かれた古墳は16万基以上にのぼったという。
日本各地にたくさんの古墳が存在するなかで、なぜ大阪の百舌鳥・古市エリアの古墳群が世界遺産に登録されたのか。
理由は大きく2つ。
鍵穴型の前方後円墳をはじめ、帆立貝の形をした帆立貝形墳、ドーム型の円墳、四角形の方墳と日本全国に見られる古墳の標準的な4つの形式すべてが存在している。
また、日本最大の仁徳天皇陵古墳が墳長486mを誇る一方で、20m台の古墳もあり、規模も多様なのだ。
この地に築かれた古墳は、世界各地に見られる墳墓とは一線を画す。埋葬施設の上に盛り土や積み石をしただけの単純な墳墓とは異なり、墳丘は葺石で覆われ、埴輪が並べられている。
飾り立てられた墳丘が葬送儀礼の舞台とされるのは、世界に例のない、日本の古墳ならではの特徴だ。
このような知識を踏まえて、古墳を見てみると、また違った感覚が残る。
古墳の周りは家、家、家……
2つ目の古墳は、御廟山(ごびょうやま)古墳。先ほどのニサンザイ古墳と、とてもよく似ている(笑)
古墳の周囲には、ごく普通の民家が立ち並ぶ。世界遺産になったとはいえ、市民にとっては昔から慣れ親しんできた日常の風景なのだ。
続いてやって来たのが、いたすけ古墳。
5世紀前半に造られた長さ146mの前方後円墳。デカすぎて(百舌鳥・古市古墳群の中では、それほど大きい方ではないのだが)、古墳全体を撮影できないのが惜しい。
1950年代には宅地開発計画が持ち上がり破壊の危機にさらされたが、市民の保存運動によって、破壊をまぬがれた。
保存運動の中心を担っていたのは、地元の教員や生徒たちだったという。文化や自然を守る一番の主体者は、地域住民なのだ。
さて、ここから南西方向へと自転車を走らせる。
4つ目の古墳・履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)の拝所に到着。
左右を住宅に囲まれている。やはり、古墳と市民の距離が近い。
拝所の奥に見えるのが、履中天皇陵古墳。第17代履中天皇が埋葬されているため、宮内庁が管理している。
長さは365mに及び、日本で3番目に大きい古墳だ。
ふと思った。ここまで4つの古墳を見学してきたが、自分以外の観光客を1人も見ていない。
古墳の周りで何人かとすれ違ったが、おそらく全員が地元住民。犬を散歩させていたり、買い物から帰ってきたりといった様子だった。
確かに、観光スポットとしてはマイナー感が否めない。宮内庁が管理する陵墓は非公開とされており、墳丘に登れる古墳も少ない。全体像を見ることも難しく、遠くから眺めて、写真を1枚撮って終わり、というケースがほとんどだ。
でも、それは百舌鳥・古市古墳群が魅力的ではない……ということではない。
世界三大墳墓!巨大すぎる仁徳天皇陵古墳
誰ひとりとして観光客に出会わないのは、寂しい。
もし世界遺産に登録されていなかったら、おそらく自分も訪れることはなかったと思う。だから偉そうなことは言えない。
もちろん、観光客が多ければいいわけではない。遺産の性質や住宅街の近くにあることを考えると、京都の社寺や厳島神社のように多くの観光客が来ることが必ずしも正解ではないのかもしれない。
だが、もう少し注目されていいのではないか。
そんなことを考えて自転車を漕いでいたら、仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の拝所に到着した。
拝所の後ろにあるのが、日本最大の古墳・仁徳天皇陵古墳。もはや”デカイ”のか何なのか分からないが、古代エジプトのクフ王のピラミッド、中国の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓のひとつだ。
宮内庁によると、第16代仁徳天皇の陵墓とされ「仁徳天皇陵古墳」と名付けられているが、考古学的には誰が埋葬されているかは確定しておらず、墳丘が未完成の可能性も指摘されるなど謎も多い。
ただ、権力のシンボルとして興味深いことは確かだ。仁徳天皇陵古墳の築造は、当時の最新の土木技術と多数の労働力を費やした国家プロジェクト。工期は15年8ヶ月で、のべ680万人あまりが築造に従事したらしい。
古墳の立地も重要なポイントだ。
大阪湾を行き来する船から巨大古墳がよく見えるように、当時の海岸線の近くに造られているのだ(現在は埋め立てが進み、海岸との距離は離れている)。
これは当時交易していた朝鮮半島や中国大陸の国々に対して”これだけ多くの労働力と高い技術を駆使できる強い国だ”と、王権の力を示す意味があったのだ。
仁徳天皇陵古墳は1周2,815m。一周するのに徒歩だと50分もかかる。
これだけ巨大な古墳を5世紀に造ったのは、シンプルにすごい。ヤマト王権、恐るべし。
学ぶと面白い世界遺産
古墳めぐりをしながら常に考えていた。”世界遺産って何だろう?”と。
百舌鳥・古市古墳群は、モン・サン・ミシェルやマチュ・ピチュとは違うタイプの遺産だ。一目で感動……とはいかなかった。
でも、古墳が造られた背景や、世界的にどのような点で価値があるのかを知ると、古墳を見る僕のまなざしは変わった。
古墳を見ることで当時、東アジア諸国から舐められないように巨大な古墳を見せつけるように造ったヤマト王権の戦略や、国家的プロジェクトの一端を担い、土木工事に従事した人々の気持ちを想像することができる。
生まれた時から古墳が身近な存在である、現代を生きる百舌鳥・古市の市民のことも。
2022年7月現在、世界には全部で1,154件の世界遺産がある。
モン・サン・ミシェルやマチュ・ピチュのように、一目見るだけで美しく、観光客が殺到する遺産は少数派だ。
むしろ百舌鳥・古市古墳群のように、すぐには価値が伝わらず、注目度もあまり高くない遺産こそ、人類共通の宝である「世界遺産」に登録する意義があるのではないか。
世界には、そして日本にも、まだまだ魅力を知らない遺産がたくさんある。
今後の世界遺産探検がますます楽しみになった。
All photos by Koji Okamura