1868年に江戸から明治へと時代が大きく変わり、それまで鎖国体制をとっていた日本は否応なく近代化された西欧文明と向き合わねばならなくなりました。
薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)はイギリスなど列強との幕末の戦争を通して西欧の軍事力の強さを実感しており、明治に入って政治の中心に座ると富国強兵のスローガンのもとに日本の近代化を進めていきます。
各地に新しい技術を取り入れて近代化を推し進めてきた歴史遺跡が残っています。刀を捨てて間もない人々がよくぞここまでという物もたくさんあり、先人の営みに頭が下がります。
新しい技術は外国から
旧幕時代から長崎では出島を通じてオランダ貿易が行われていましたが、幕末にスコットランドから来た21歳の青年トーマス・グラバーも茶や武器船舶などの貿易商社を作りました。
グラバーは陰で志士たちの援助もし伊藤博文の英国留学を助けたりしましたが、明治になると産業立国の方針のもと、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業を政府と協力して興していきました。
旧グラバー住宅はグラバーとその息子の住まいでした。湾を見下ろすロケーションはプッチーニの「マダム・バタフライ」を連想させるところで、園内にはこのオペラを得意とした三浦環の銅像もあります。