船はドックに、乗組員はこちらに
船が修理のため造船所に入っている間は乗組員は近くの宿舎に泊まります。旧三菱第2ドックハウスと呼ばれる建物は、ドックの近くにあったものをグラバー園に移築して保存しています。
形からソロバンドックの異名がある小菅修船場跡
トーマス・グラバー、小松清廉(帯刀)、五代友厚(才助)達の尽力によって1868年に完成した日本で最初の西洋式ドックです。翌年政府が買い取り、後に三菱の所有になり、現在の三菱重工業長崎造船所のもとになりました。
近代化は製鉄から、エネルギーは石炭でした
重工業を発展させるために必要な鉄、特に鋼鉄を生産するために、政府は日清戦争で得た賠償金を使って八幡製鉄所を1901年に建設し、燃料の石炭を調達するために高島炭鉱をはじめ、三池炭鉱、端島炭鉱(軍艦島)を開発しました。
明治時代を牽引した萩の人々
明治維新を成し遂げた薩長土肥各藩の中でも、維新後の政府の中枢には初代総理大臣伊藤博文をはじめ長州藩出身者が目立ちます。彼らを育てた萩の町を訪ねると、精神的支柱であった吉田松陰の松下村塾、伊藤博文の屋敷などが大切に保存されています。
幕府の代官も危機感を持っていました
photo by Masaharu Fujikawa (藤川正治)
photo by Masaharu Fujikawa (藤川正治)
静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉は、幕末期に江戸幕府によって築造が始まりました。アヘン戦争に列強の脅威を感じた韮山代官江川英龍は大砲鋳造のための反射炉の建設を幕府に建議し、息子の手によって完成、稼働しました。
まとめ
アジアの国々が欧米列強の植民地になっている時代に、列強に対等な存在になろうと富国強兵を推し進めてきた日本の産業革命の跡です。
先人達のおかげで日本は植民地化を免れましたが、同時に、後の太平洋戦争につながる列強とのしのぎあいの歴史に足を踏み込んだともいえるでしょう。
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