編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

 

4、片岡佳哉 / 青海(あおみ)

わずか7.5m(24フィート)のFRPのヨットで、船乗りにとって永遠の難所、ケープホーンに上陸、さらに南極大陸にも臨み、単独で世界一周を成し遂げた日本人青年の記録です。

1981年に宮城県松島港を小型のシングルハンドヨットで出港、そしてこの港に帰ってきたのはそれから8年の歳月が必要でした。太平洋横断では船酔いと嵐に翻弄され、最難関ホーン岬では恐怖に震えながら、確率数パーセントのホーン岬上陸を果たしました。

 

そして彼は南極大陸への挑戦を思いたったのです。南極は強烈なトラブルの連続、氷に閉ざされる恐怖も味わい、ついにはマストが折れる災難にも合いながら、アルゼンチンのマルデルプラタに寄港。上陸してからかなり長い間、航海から無縁の生活を続けました。

そこからさらに4年の歳月を経て、アフリカ、オーストラリアを経由して、松島港に帰港しました。計8年に及ぶ長い長い航海でした。それは現実なのですが、長い長い夢を見ているような感覚と彼は言っています。

 

5、斉藤実 / 酒呑童子Ⅱ(しゅてんどうじ・ツー)

全長15m、幅3.6m、排水量9トンの酒呑童子Ⅱが斉藤さんの愛艇です。1988年に53歳にして外洋ヨットレースの頂点にあるアラウンドアローンに参戦。1998年には同じレースで65歳で最高年齢完走記録を樹立。71歳で今度は単独無寄港世界一周の最高年齢記録を達成した超人の記録です。

斉藤さんのヨットマンとしてのスタートは38歳でした。それまでは登山にはまっていて海との係わり合いは一切なかったようです。それがふとしたことから友人に勧められ、江の島ヨットハーバーの会員制ヨットクラブに入会。ヨットに対する思い入れが日増しに強くなっていった。

年齢が50歳に近ずくにつれて、1人でのんびりと世界をセーリングして廻りたい、という気持が強くなり以来、何度もオーストラリアー日本間の太平洋横断レースに挑戦して上位の成績を残してきましたが、ついに世界で最も過酷な世界一周ヨットレースのアラウンドアローンに参戦することになりました。

 

この時、2艇目の愛艇「酒呑童子Ⅱ」を建造、建造先のシドニーから太平洋、パナマ運河を経て第3回アラウンドアローンのスタート地、アメリカニューポートに乗り込みました。

1990年、斉藤さんは56歳にしてこの過酷なレースに参戦、ニューポート、ケープタウン、シドニー、プンタデルエステを想像を超える苦難を乗り越えて成功させました。この時の成績はクラス3位で、一躍その名を世界に知らしめました。

 

まとめ

世界一周航海と言えば、堀江謙一さんとヨット「マーメイド号」が有名です。1937年の頃の話ですが、いまだに語り継がれている冒険紀行です。

堀江さんは1973年から2004年まで3度も世界一周単独航海を成功させた極めて挑戦的な海洋冒険家です。石原裕次郎主演映画「太平洋ひとりぼっち」は堀江さんの冒険記を映画にしたもので、当時は大きな話題を得た作品でした。

 

こうした華々しいニュースを耳にして多くの日本人がヨットで世界一周に挑戦しましたし、現在も挑戦を続けている人も居ます。過酷な世界一周航海に挑むには相当な覚悟が必要です。皆さん、本当にかっこいいですよね。

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