ライター

栃木県出身、2002年生まれの大学生。高校時代にアフリカの多様な文化を知ったことがきっかけで、大学でザンビアに留学。夏休みにはアフリカ7ヵ国をバックパッカーとして旅をしたりと本格的に旅にハマり始めたところ。旅で得た知識や発見をTABIPPO CARAVAN編集部で発信中。

人類発祥の地とされるアフリカ

誰とも切り離すことができない皆のルーツ

現在アフリカ大陸には50余の国と地域が存在し、14億人とも言われる人々が生活をしている。2050年には世界の4人に1人がアフリカ人という時代がやってくるとされ「地球最後のフロンティア」として、 世界の注目を集めている。

その一方で、日本とアフリカには未だに大きな距離があるように思う。

近年になって経済や外交の側面でアフリカのポテンシャルや影響力が注目されるようになってきているものの、アフリカといえば「紛争」「貧困」「汚職」などといったキーワードの中で語られる事が多く、その印象もあってか「アフリカに近づくべからず」といった考えをもつ人も少なくないかもしれない。

何を隠そう私自身も高校生の頃、ジャーナリズムに興味があったこともあり、アフリカを舞台に貧困や内戦をテーマにしたドキュメンタリーを通して,アフリカを「闇に包まれた暗い過去が立ち込める大陸」という画一的なイメージで見ていた。

それから早4年。大学生活の1年間を南部アフリカの内陸国ザンビアで過ごし,帰国後もなおアフリカのもつ多様性、可能性、そこに住む人々に魅了され続けている自分がいる。私にとってアフリカへの旅はまだ始まったばかり。

本記事では私がアフリカを学び、そしてアフリカで学ぶことを決めるにいたったきっかけについて紹介したいと思う。

ヴィクトリアの滝ザンビア-ジンバブエ国境に跨る世界遺産,ヴィクトリアの滝(12月撮影)

アフリカって広すぎる

アフリカは「アフリカ」という1つの主語で語るには大きすぎるということ。これを知るところからアフリカに対する興味が芽生えた。

この記事の中でアフリカという言葉を幾度となく使っていることもあり「お前が言うな」という声が聞こえてくるが、そうしないと数多の注釈を入れないといけない事になってしまうのでご理解願いたい。
 
私に今に繋がる気付きを与えてくれた本がある。

ハンス・ロスリング『FUCTFULNESS(ファクトフルネス)』(日経BP)だ。

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FACTFULNESS帰宅途中で立ち読みするのが日課だった高校時代を思い出す
人間が陥ってしまうバイアスについて、様々な世界の現状と言説を比較しながら問いを与えてくれる本である。そして、本の中でアフリカが1つの主語として語られること危うさとそれが与える様々な誤解についても指摘されている。

ソマリアや中央アフリカ共和国と南アフリカやエジプトではその暮らしぶりは全く異なるし、また30年前のアフリカと今のアフリカの姿は大きく変わっている。だけれど人々にそのことは正しく認識されていない。

私にとってその指摘はまさに衝撃的で、図星としか言いようがなかった。

アフリカはアフリカとして語るには広すぎる。

「もっと解像度高くアフリカを学び知っていかなければ」と思った。

コロナ禍の大学生活

コロナ禍の大学生活は、まだ日本の外に飛び出していく勇気はなかった私にとって、オンラインという手段を通してアフリカに触れることができた貴重な時間だった。

アフリカについて学びたい仲間とオンラインで勉強会をしたり、アフリカ現地に滞在する日本人の方によるオンラインスタディツアーに参加したり、アフリカの方々とのオンライン交流会を開催したり。

自分にできる形で、少しずつアフリカ大陸が様々な色をもつ国の集まりとして自分の目に映ってきたような気がした。

そんな時間を過ごすにつれて、アフリカへの渡航欲というものが高まっていった。

インド洋(モザンビーク)モザンビークの海辺にて,なんともノスタルジックな雰囲気だった

やらなかった後悔よりやった後悔

時は進み大学2年生も後半に差し掛かった頃、留学について考える時期がやってきた。

大学に進学したら、留学は経験したいと思っていたけれど行き先についてはそれまであまり深く考えてこなかった。

私が通っている大学はアフリカの大学との協定を複数持っており、交換留学生として派遣留学を行うことが可能である。

アフリカへの留学生を増やす取り組みも学内で様々な形で行われている事もあって魅力的な選択肢であった。

しかし、じつは私の専攻はアフリカではない。

私の専攻分野を深めるための留学をとるべきか、はたまたアフリカ留学に舵を切っていくべきか。

色々な方とお話しする中で、アフリカ留学が自分にとって輝きを放つ選択肢であるという思いが膨らんでいった。

見たこともない、知り合いもいない土地で1年間生きていくということに対して一抹の不安もなかったと言えば嘘になるが「やらなかった後悔よりやった後悔」を取りにいくことにした。

そして環境系の分野に興味があったため、協定校の中でその分野の学部が存在するザンビア大学に留学することに決めた。

またザンビアは銅の産地であり、銅鉱石の採掘に伴う環境汚染が問題となっていることや「アフリカで最も平和な国の1つ」とされ、穏やかな国民性があるということを聞いていたこともザンビア留学を後押した。

こうして私はとうとうアフリカの地を踏むことになる。

カメレオン
庭にカメレオンがいることもある。くれぐれも踏まないように

今日も「旅」の途中 

この記事は私がアフリカに興味を持ってから渡航するまでのいわば助走期間について書いたものである。私の「アフリカ旅」はこの助走期間なしには語れないものであると思っている。

どのようにして世界のどこかに興味を持ち、広げそして旅に出るのか、人それぞれ期間や視点に色が出るところであろう。「旅」は出発から帰宅までではなくて、もっと大きな時間軸の中に位置付けられるものなのではないだろうか。

さあ、今日も「旅」を続けよう。

All photos by Moto Kitano

ライター

栃木県出身、2002年生まれの大学生。高校時代にアフリカの多様な文化を知ったことがきっかけで、大学でザンビアに留学。夏休みにはアフリカ7ヵ国をバックパッカーとして旅をしたりと本格的に旅にハマり始めたところ。旅で得た知識や発見をTABIPPO CARAVAN編集部で発信中。

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