こんにちは、旅する美容師のKOH(@Luck81O)です。
突然ですが、みなさんは「セブ島」と聞いて、どのような風景を思い浮かべますか?透き通った海でマリンスポーツ、贅沢なビーチリゾートでチルタイム、それとも夜な夜な街に繰り出てナイトスポット巡りでしょうか?
筆者は4回目となるセブ旅で、みなさんが持つセブ島の概念を崩壊させるような体験をしてきました。本記事では旅行会社のパンフレットやガイドブックにも載っていない、そんなセブ島のアナザースカイをお届けします。
漂海民バジャウ族
筆者がやってきたのは、セブ市南部マンバリンという地域にあるバジャウ族の村。
村と言えども、道が空いてれば空港からタクシーで30分ほどで着き、近くにはアジア最大級のショッピングモール、SMシーサイドモールがあるなど誰でも容易にアクセスが可能です。
そもそもバジャウ族とは一体何者なのか?まずは予備知識として、そちらからご説明しましょう。
バジャウ族とは?
筆者が訪れたのはセブ島にあるバジャウ族の村ですが、元々はフィリピン南部のミンダナオ島サンバンガにいた一人の男性が、セブ島のマンダリンに集落を開拓したのが現在のセブ島におけるバジャウ族の村が出来たきっかけ。その開拓者となる男性が現在の村長です。
バジャウ族自体は数百年前からフィリピンを始めとしたマレーシア、インドネシア周辺の海域で生活していました。モンゴルの陸の遊牧民族のように、バジャウ族は海の遊牧民族として主に漁で生計を立て生活していました。
そんな彼らに国籍はありません。古来から国境の概念は無く、彼らにとって海は「ただの海」でしかないのです。
よって戸籍も存在しないので、自分の年齢を知らない人も多く、年齢を尋ねると20歳〜23歳と言うようにおおよその幅で答えてくれます。
海の上で生を授かり海の上で生の終わりを迎えるバジャウ族ですが、近年はその独特な生活環境が大きく変化してるようです。
近代化するバジャウ族
時代の流れと共に近代化が進むフィリピン、セブ島は観光特区となり、バジャウ族も例に漏れずその煽りを受けています。船を住居とし漂海しながら生活するバジャウ族の姿は、今やほとんど見ることはないでしょう。
セブ島のバジャウ族は前述した南部のマンバリン海岸沿いに高床式の家屋を建設し、村を成して生活をしています。
近隣の都市開発によって、バジャウ族の村がある近隣海域は透き通った海の姿から一変して、ゴミやヘドロにまみれた海の姿へ。その影響もあり、バジャウ族が古来から生業としていた漁業から撤退する者も多く、陸に働きに出る者もいます。
しかし、社会のルールに拘束されずに独自の文化を築いてきた彼らの習慣からすると、陸に働きに出ることは大変難しいこと。今もなお大部分の村民に仕事が無いのが現状です。
ビサヤ人からの差別
フィリピンでの公用語はフィリピン語と英語の二種類ですが、7100以上の島々からなるこの国では地域は民族によって172にも及ぶ母語が存在します。
フィリピン中部に位置し、ビサヤ諸島に含まれるセブ島での主な母語は、ビサヤ語とセブ語(セブアノ)。バジャウ族の主な母語はバジャウ語で、ビサヤ地域に住むバジャウ族はビサヤ語も話せます。
フィリピンは16世紀スペイン植民地時代にローマ・カトリックが伝えられたため、現在も多くのフィリピン人はローマ・カトリックの信者。ビサヤ人もローマ・カトリックの信者ですが、その一方で、イスラム教徒の多いマレーシアやインドネシア海域を出身とするバジャウ族はイスラム教の信者。
このように言語も違えば宗教観が違い、外国人の筆者から見ても分からないのですが、容姿にも違いがあるそうです。
そんな理由からバジャウ族はビサヤ人からの差別が耐えることがなく、何の悪行を犯していなくともビサヤ人に野蛮扱いされたり、「臭い」「汚い」など、偏見に満ち溢れた扱いをされます。
バジャウ族はビサヤ人と仲良くしたいのに、ビサヤ人はバジャウ族を睨む。そんな状況は日常的な光景だとか。
そんなバジャウ族の歴史や暮らしを筆者に教えてくれた、一人の男がいます。
松田大夢(マツダヒロム)という男
松田大夢(以下ヒロム)21歳。新潟県佐渡島で育った彼は何を思い立ったか、高校の卒業式の3日前に島の高校を中退して地球を放浪し始めました。
セブ島を訪れた際に立ち寄ったダウンタウンのコロン。そこで物乞いをしていた子ども達と仲良くなったヒロムは、「バジャウ族」「村に住んでいる」というワードに惹きつけられ、面白そうだと思い子ども達について行きました。
野生の勘、もしくは「旅人の勘」というほどの予想は的中し、バジャウ族の村はヒロムにとって飛び抜けて面白かったようで、彼は定期的にバジャウ族の村へ通うようになりました。定期的に通う中で、気がつけばバジャウ族の村に自分の一軒家を建てていたとか。
その一軒家こそが、上の画像の背景にもなっている家屋です。入り口のドア周りの文字は、ネット番組出演時に用意されたフリップを収録後に頂いたそうです。
バジャウ族の村は刺激に溢れている
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本編です。仕切り直しにもう一回ジャンプしてみました。
バジャウ族の村に無数にある刺激的な光景。人はそれを衝撃とも言い、人はそれをカルチャーショックとも言い、ある人は腹を抱え笑い、ある人は脚がすくんでしまうでしょう。
筆者は今まで旅した中でもトップクラスに楽しい経験を、ここバジャウ族の村で体験しました。カルチャーショックが大好きです。
これがバジャウ族の村の通路
コッッワァァァァーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
どうでしょう、これがバジャウ族の村の通路です。下からの高さはおよそ2m。近隣の都市開発の影響から流れ着いたゴミや、汚染された海水によって埋め尽くされた下層部に落ちたら、なかなか体から臭いが落ちないそうです。
この下層部はトイレにもなっていて、満潮になると少しゴミや排泄物が大海原へと流れていきます。
まだここの足場はマシな方ですが、上級者コースともなると竹製の足場であるため足裏との接地面が丸みを帯びていたり、激細だったり大きくしなったり…写真を撮っている場合ではないので、そこの写真はありません。バジャウ族の人も稀に足を踏み外して落ちることがあるとか。
ここでジャンプしていた筆者のライター根性を、どうか評価して頂きたいものです。そりゃ1記事に2回も貼りますわ!!
このような独特な通路ですが、小さな子どもも子犬もひょいひょいと歩いていきます。
コンクリート部分だからと言って油断していると痛い目をみます。
バジャウ族の結婚式
筆者が訪れた日は、ちょうど結婚式が行われていました。どうやら村長のお孫さんが結婚されたのだとか。
フィリピンの結婚式は家族や親族を始め、近隣の住人から友達の友達の友達まで誰でも参加できるのが特徴的。バジャウ族の結婚式では男性がお酒を飲みながらマイクを持って歌を歌い、女性はその歌に合わせて踊りを踊ります。
2〜4日続く結婚式は朝から晩までとめどなく行われ、朝日が昇る直前まで爆音カラオケタイムは続いていました。そして早朝には爆音のカラオケで目が覚めるのです。
そんな四六時中行われる結婚式が、訪問時の2月中旬にして「今月4〜5回目」だそう。バジャウ族の村に静寂が訪れる日は来るのでしょうか…
結婚式の日は、村長の家の前で食事が振る舞われます。
筆者も頂きましたが、名称不明のおかずを米に合わせて食べるのが最高に美味しかったです!
ヒロムが肩を抱き寄せる隣の美女は、妻であるシャイマ。なんとヒロムは21歳にして、18歳の美人妻がいるのです。
松田大夢・結婚物語
Photo by 松田大夢のクソバカ地球滞在記
2016年10月、いつものことながらバジャウ族の村では盛大に結婚式が催されていました。大音量で村中に轟く歌、妖美に舞う女性たち。そんな結婚式に参加していたヒロムは、ある一人の女性に目が留まりました。彼はバジャウ族の友人に「君の名あの子の名前は?」
—— —「シャイマだよ」
その瞬間から「ヒロムがシャイマに気がある」と村中に広まり、近所のおばさんが「好きな子が出来たらその子の家に会いに行くのがバジャウ族の伝統だよ」と、半ば強制的にシャイマの家族にアポを取ったそうです。
シャイマの家を訪ねざるを得なくなったヒロムは、恥ずかしさに包まれつつもあいさつへ。ヒロムがシャイマと、そしてシャイマの家族と初めて話した日でした。
ヒロムは家族にも受け入れられ、シャイマと2ヶ月の交際を経てプロポーズ。電撃結婚へと至ったのです。プロポーズの決め手は「直感」だそうです。
そして2016年12月。個人ブログ松田大夢のクソバカ地球滞在記にて結婚資金のカンパ、ご祝儀を募ったところ3日で40万円が集まり、無事に4日間に渡る盛大な結婚式が執り行われました。
バジャウ族ツアーに参加してきました
新婚ほやほやのヒロム、愛する妻を迎え、仕事にもより一層身が入ることでしょう。
そんな彼が生業とするのは「バジャウ族ツアー」。漂海民族バジャウ族の船で1泊2日無人島ツアーをすると言った内容で、参加するまで詳細は分かりませんし、おそらく本人の中でも固まった内容はないのでしょう。
そんなドキドキワクワクのバジャウ族ツアーをルポします。
同じ日のツアー参加者である大阪在住の中年男性、森さんはそこらへんで鶏を買ってきました。お弁当だそうです。名づけ親は筆者。その名を「ケンタ」としました。
上級者コースの通路を経て船着き場まで。
船着き場近辺は子ども達の遊び場となっています。
まるで運河のごとく物を運ぶ男性。この先のゴミの堆積している辺りからお金になりそうな物を集めてきたのでしょう。
それはお金になるのでしょうか?