世界一周と言えば、自分でプランを考えて陸路や飛行機移動をするバックパッカーをイメージする人が多いと思いますが、それ以外に船旅と言う手段があります。
世界一周に出る理由は一人一人違っていて、それぞれに旅に出るまでの経緯があると思います。今回は、ピースボートに乗船したことがある20人に、バックパッカーではなくなぜ船に乗船しようと思ったのかを聞いてきました。ピースボートが気になる方はこちらをチェック!
RORO
大学の時に友達からもらった、高橋歩さんの「LOVE&FREE」という本を読んだのが、旅に出た最初のきっかけでした。就職活動が始まり、自分が行きたい第一志望の会社にあっさり落ちてしまい、途方に暮れていました。
そんな時に、以前居酒屋のトイレに貼ってあった「世界一周99万円」の資料請求ハガキを持って帰っていたのを思い出し、気分転換に資料請求をしました。
初めは怪しい団体だと思っていたので、少し警戒気味で説明会に行きましたが、説明しているスタッフがとても楽しそうに話をしていて「こんな世界もあるんだ」と、自分の中での選択肢が広がりました。
大学を卒業して就職をするという道以外ないと思っていた私には、新しい扉が開いた感覚でとてもワクワクしました。
高橋歩さんみたいに自由に生きて、いろんなところに行っていろんな人に出会って生活をしているスタイルに魅力を感じたこともあり、世界一周へ行くことを決めました。海外に行ったこともなく、一人旅には怖いイメージを持っていたので、みんなで行けるし全てルートも決まっているピースボートを選びました。
清水 章弘
5年半勤めた地元の工場で関わった人(主にアジア圏、南米圏)の国に興味を持ち始めたのと、地元でよく語る3人組のうちの一人が 「世界一周できる船あるの知ってる?」と会話の中で出てきた一言にてピースボートを知る。
悶々と、このまま工場勤務で一生を終えるのか…の自問に答えを出し、 ピースボート乗船を決断。船に乗る前にポスターを貼れば、減額できると聞き、名古屋へ2ヶ月。そこで出会った一緒に乗る仲間、そしてスタッフさんたちの空気にハマる。
この仲間たちと一緒に行きたい!バックパッカーという選択肢はまだその時自分の中にはなく、ピースボートが最初の海外ではなかったが、全国47都道府県の仲間も作りたいと思った。
仲榮眞 良
24歳の時に「来年には25歳になる。たぶん、25歳は自分にとって人生のターニングポイントになるのでこのままじゃいけない!何かしよう。」今となっては訳の分からない衝動に駆られ、まず初めに考えたのは、とりあえず100万円貯めてアメリカ横断しよう!そこからは色々調べたりしていました。
ある時商店街で、地球一周の旅のポスターを見掛け、「行く気は無いものの何か参考になることがあるかもしれない、聞いてみるだけ聞いてみよう」そんな感じで説明会に参加。説明会で一通り話を聞き、熱心なスタッフに「一緒に世界一周しませんか?キャンセルしても良いのでとりあえず申込みましょう!」と言われたが、丁寧にお断りして無事終了。
帰ろうとしたらスタッフが世界一周Tシャツを片付けていた様子を見て、もらいに行こうとしたら、「申込をした人にしかプレゼントしていません」 と言われたので、「じゃあ申込します!」 そんな流れで80回クルーズに申込をしました。
世界一周Tシャツが欲しいために申し込んで本当に世界一周したやつは初めて!って言われています。
ますぴー
当時バセドウ病が悪化し、4年間務めた会社を1年ほど休職して自宅療養をしていた。まだ20代前半で社会復帰のチャンスを探し始め、(ボランティア)とインターネットで検索したところピースボードを知った。
電車で1時間の高田馬場駅まで外出すること。それが最初の目的。
心身の体調に合わせて徐々に通えるペースが増したため、必然的に乗船する運びとなった。私は治療に放射線をしていたため、当時東北大震災が起こり遂に4月出航のこのクルーズに乗る決心がついた。しかし乗船直前にも手術をして体調が心配だった。
そんな気持ちで日本から逃げるように乗ったのが旅の始まり。
今野 亮
「船旅」にロマンを感じた。一般的に旅といえば、飛行機移動。でもピースボートは、船。360度大パノラマの大海原を突き進み、日の出・日の入には、真っ赤に燃え上がる空と海を拝み、真っ暗闇の夜には、数え切れないほどの満天の星空の下で、旅ができるのか。
そんな妄想をしながらお店に貼ってあるポスターを眺めていたら、ワクワクが止まらなくなってしまい、すぐさま資料請求をしていました。
坂東 智代
海外に興味はあったものの、初海外だった上に自分一人では不安だったため、なかなか腰が重かったのですが、ピースボートの存在を知った瞬間、これだ!と思ったので迷わず乗ることを決めました。
永須 由佳子
昔から世界一周は夢でした。
最初は26歳の時行こうと思って資料請求したのですが、お金がなくて諦めてました。
それから3年。29歳のある日、居酒屋で飲んでてトイレに行ったら「世界一周99万円」というピースボートのポスターを見掛けました。昔一度行こうとしたピースボートだ!と忘れかけていた夢を思い出し資料請求をしました。
その後説明会に行き、楽しそう、行くしかない!とその場で即決。帰り道、いつもの景色がキラキラ輝いてワクワクが止まりませんでした。
人生一度きり。新しい世界に興味があったし、父から「後悔はするな。自由に生きろ」と言われていたので迷いなく世界一周へ行くことを決めました。英語が話せなく一人旅には自信がなかったので、皆で行けて安全だと思うピースボートを選びました。
キャプテン
ピースボートを知ったのが高校2年生から3年生になる頃で、まだまだ世界が狭かった。高校の友達はみんな大学に進学すると決めている中、部活も勉強も諦めていた時にピースボートセンターおおさかに行って、自分もここで頑張りたいと思った。
世界一周するということや、ポスター貼りで全額クリアすることなど新しい目標ができたのでとても嬉しかったのを覚えている。
江尻 美幸(しら子)
4年間続けた保育士の仕事を辞めて、就活をしていた時、ピースボートに勤務していた友人(ピグ)に「ピースボートのベビーシッターが決まっていた方が急にダメになって新しい人を探している。一緒に乗ってくれないか?」と誘われたことがきっかけ。
ピースボートの存在はその時初めて知った。海外旅行は好きだったが、英語も喋れず、あまり思い切って自分から行くことは考えていなかったが、日本人ばかり、しかも大好きな子どもたちと過ごせることに魅力を感じた。
中田 智子(ほっけ)
どの選択肢よりも、世界が広がりそうだったから。
当時何年も「挑戦」「冒険」せず「情熱」を感じず、それなりに生きていた。夢があまりない自分にとっての久々にできた夢。冒険してみたくなったのが地球一周。
会社員として働いてみるも、やりがいを感じられず、どんどん自分を見失っていった。情熱を感じて生きないと心身ともに死ぬ!と感じて、退職を決意。今までの人生で情熱を感じて生きていた頃を思い返し、海外へ行った経験(中学2年の時のホームステイ)を思い出す。
ちなみに背中を押してくれた3つのできごと。
・ちょうど海外を意識し始めた頃、一緒にホームステイしてた仲間の一人が、海外航空会社のCAに受かり、海外を旅する生活をしている情報がどんどん入ってきて、自分とその仲間の違いを感じる。自分も冒険したいと気付き、やっぱ海外へ行こうと決める。
・退職しようと心に決めつつあった頃、やりたいこと探しの旅に出て、岡本太郎の「君はもっと激しく生きたいんだよ」という言葉に出会い背中を押される。
・「ちちんぷいぷい」という番組の特集で、西靖というアナウンサーが世界一周する企画をちょうどやっていた。西さんが、世界一周するにつれて日焼けしてたくましくなっていく様子に、「世界一周ってやっぱかっこよくなれるのかな」と確信。
他の手段とも比べたが、留学やワーホリだと、行ったことない国に決める目的もなかったのでパス。バックパッカーは旅初心者すぎるのと、会社員生活で体力消耗していたため、バックパックを持てる気がせずパスしました。
彼女は今ピースボートのスタッフとして働いています。人生を変えてくれるピースボートに乗船してみたくなった方はこちらもチェックしてみてください!
高木 美希(みっきー)
大学生の頃、当時読んでいた漫画の影響で「世界を周ってみたい」と話していたところ、後輩に「ピースボートですか?」と言われたことでピースボートを知りました。
その時は、軽い気持ちで話していたので、ピースボートのことも特に気にとめていなかったのですが、卒業後ふとした時に思い出し、インターネットで調べ、世界一周が出来ることを知り、乗船を決めました。
それまでは、気軽に世界一周ができることを知らず、ましてやバックパッカーという世界があることを知りませんでした。なので、バックパッカーという選択肢が全くなく、ピースボートで世界一周をしました。
SAM
学生の頃にいつかは世界一周という夢がありました。
石の上にも3年。それが6年経ち、ストレスで退職をしようとした時にピースボートに出会いました。バックパッカーで無かった理由はカメラが趣味で、機材を運びながら一周する事に不安を感じたからです。
松森 あゆみ
きっかけは大学生の頃にポスターを見て一度行きたくなったことがあったから。当時もピーセンに通ったけど結局断念。卒業して就職したものの挫折してフリーターに。何かしたいって思った時に浮かんだのがピースボート。
もう後悔したくない気持ちが強くて乗ることを決意。バックパッカーでなかったのは、海外に一人で行くのはハードルが高すぎたから。
黒田 由希子
当時大学2年生で、なんとなく大学生活を退屈に感じていた。
このまま終わらせるのはもったいない、何か思い切ったことをしてみたいと思った時に「してみたい!世界一周」という本を手に取ったらその中にピースボートのことが載っていた。これなら私でも世界一周できると思い申し込んだ。
前田 哲都(てっちゃん)
大学生からストレートで社会人になることに疑問を感じていた。教員を目指していたこともあり、様々な国や文化、人と関わって、自分自身の視野を広げてから、子どもたちに教育をしたかった。
狭い世界や価値観の中で生きるのでなく、様々な価値観や関係を持って、人として自分を成長させたかった。