松尾芭蕉が「奥の細道」の中で「三代の栄耀一睡の中にして」と述べている奥州平泉は世界文化遺産に登録されています。中尊寺をはじめとする寺院とその遺跡群は現世の極楽浄土をめざし藤原氏三代が作り上げたものです。
戦いに明け暮れ肉親を多数失った藤原清衡は非戦の誓いを掲げ浄土思想に基づいた阿弥陀堂、浄土庭園を本拠地平泉に作っていきます。
当時奥州では膨大な量の金を産出し、その経済力を背景に京の都の文化を「みちのく」(道の奥)とよばれた平泉に再現しました。
五月雨の降のこしてや光堂・中尊寺金色堂
中尊寺の金色堂は光堂とも呼ばれ、外側も内側も皆金色の光輝く阿弥陀堂です。鞘堂というひとまわり大きなお堂にすっぽりと包まれていますが、中に入ると黄金の輝きに圧倒されます。
藤原清衡に建てられた金色堂は4本の巻柱、須弥壇、長押にいたるまで、夜光貝の螺鈿、透かし彫りの金具、漆の蒔絵など平安時代後期の工芸技術の粋がほどこされていて、藤原三代の栄華がしのばれます。
中尊寺には他にも美しい堂宇があります
中尊寺の境内には釈迦堂をはじめたくさんの堂宇が点在し建立された当時の壮大さがわかります。
浄土庭園の粋・毛越寺
毛越寺は2代目藤原基衡によって造営が始められ、秀衡の時に完成しました。奥州藤原氏が滅んだあと堂宇はことごと焼けてなくなりましたが、浄土庭園はじめ遺構がほぼ完全な状態で保存されています。
大泉が池にそそぎこむ遣水
繊細な美意識で自然を模した遣水は平安貴族の庭の象徴です。