自分の選択が正しいのかどうか、不安になることがある。
特に、周りの人とはちがう道を選ぶ時、その不安はより大きくなって、自信を失いそうになる。
そんな時にいつも思い出すのが、彼の言葉だった。
23歳の春、人生に迷っていた頃。
学生時代を過ごした関西を離れて北海道の実家へ帰る途中、僕は彼に出会った。
それは旅と呼べないような小さな道のりだったけど、僕にとっては決して忘れられない旅のひとつだ。
ギターを背負って船の旅
関西の大学を5年かけて卒業した僕は、いろいろあって、内定を蹴って地元の北海道へ帰ることにした。
地元に帰ったらアルバイトをしてお金を貯め、インドとネパールへ一人旅をしようと考えていた。
(この辺の経緯の詳細は前回の記事「活字の海を越えて、旅に出る。」にて)
インドとネパールへの一人旅は、留年した挙句の果てに、就活でもグダグダしていた結果、無職になってしまった僕が自分を変えるために選んだ大きな決断だった。
5月初旬、荷物を実家に送り、部屋を引き払い、いよいよ出発。
いつもは飛行機だが、今回はフェリーで帰省することにした。
理由は、その頃友人が貸してくれたばかりのギターに夢中で、ミュージシャンのようにギターを背負って旅(実際はただの帰省だが)をしてみたかった、というしょうもないものだった。
飛行機に預けると追加料金が高くついてしまう。諦めて郵送するのも悔しい。そこで思いついたのがフェリーだった。
右のアコギが背負っていった「相棒」
フェリーなら楽器を持ち込むことができる。
調べると京都・舞鶴から北海道・小樽を繋ぐ便があり、値段も飛行機より安かった。時間はかかるが、当時の僕には急ぐ理由もなかった。それに「船旅」というのは、どこか心躍る響きがある。
こうして僕はギター1本のためにフェリーを選び、数日かけて北を目指すことにした。
海の上での逡巡
神戸からバスに乗り、京都の最北端へ。
到着したのは22時過ぎ。誰もいない舞鶴の商店街を歩いてフェリー乗り場に向かう。夜の港町というのはどこか旅情がある。
夜の商店街。誰もいない…。
23時半、いよいよ出航。
ギターを背負い、小さなスーツケースを片手にフェリーに乗り込む。気分はすっかり旅人だった。
乗船直後は船内をうろついたり、自販機で買ったハンバーガーを食べたり、風呂に入って揺れるお湯を楽しんだりと、船旅を満喫していた。
自販機ハンバーガー。パサパサだったけどこういうのが楽しい
早朝に目が覚めると、携帯に電波が入らず、LINEもSNSも見れない状況だった。
航海は20時間以上。到着は夜。
まだまだ時間がある。
閉塞的な船の中に長時間いると、だんだんと気力が削がれてくる。
昨晩のワクワクはどこへやら。
船内の散策をする気にもなれず、持ってきた本を読む気にもなれず、かといって携帯も使えない。
何をしていいかわからないまま、僕はとりあえず甲板に出た。
空はどんより曇っていて、荒波が飛沫を上げていた。
当時喫煙者だった僕は、甲板のベンチに座り、煙草に火をつけた。
5月の海の上は寒かったが、そこで何時間過ごしていただろう。
僕は荒れた海を見つめ、煙草を吸いながら、ただひたすら自問を繰り返していた。
……ただでさえ留年してるというのに、さらに一年遅れてしまっていいのだろうか。
大学の友達は皆、今頃一生懸命働いているというのに。
どうして自分は他の人と同じようにできないのだろうか。
どうしてもっと頑張れなかったのだろうか。
インドなんか行っていていいのだろうか。
そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
電波の届かない海の上で、誰にもこの思いを吐露できず、僕は強い孤独を感じていた。
甲板から見つめた荒波と曇り空
偶然の出会い
夜、ようやく小樽に到着。
地元へ向かうバスはもう出ていなかったので、その日は札幌のゲストハウスで一泊することに。
そこで僕は二人組の青年と出会った。
「なぜギターを背負っているの?」
「帰省なのになぜゲストハウスに?」
「学生?仕事?今何してるの?」
次々と聞かれる質問に少し面倒くささを感じながら、僕はこれまでの経緯とこれからのことを彼らに話した。
どんなふうに思われるかドキドキしたが、そのうちの一人が目を輝かせて「すごいなぁ」と言ってくれた。
暗闇に聳えるさっぽろテレビ塔
その後、部屋に戻って荷物の整理などをしてから再びリビングに出ると、先程の彼が声をかけてきた。
「ちょっと話しませんか?いろいろ聞いてみたくて」
彼はブンタくんという名前で、あだ名をブンちゃんといった。関東の大学に通っている、僕と同い年の男の子だった。
一緒に来ていたもう一人は大学の先輩で、大腸菌の研究をしている団体に所属しているとのこと。
その先輩が明日、北海道の苫小牧で研究の発表があるというので、自分は無関係だが、面白そうなのでついてきたということだった。
彼は「ギターを背負って帰省している、これからインドに行く男」という一見訳のわからない僕に興味を持ってくれたらしい。
僕もまた、面白そうというだけで先輩の学会についていくような彼が興味深かった。何より、僕と話してみたいと言ってくれたことが嬉しかった。
そうして僕とブンちゃんは、同い年ということもあってすぐに意気投合し、話に花を咲かせた。
途中、宿のオーナーがやってきて、「消灯時間なので電気は消しますけど、小声でならここで話しててもいいですよ」と言ってくれた。
お言葉に甘えて、僕らは暗闇のリビングで夜通し喋り続けた。
趣味や好きなこと、学生時代の話、恋バナ……。
ブンちゃんの話はとても面白くて、たくさん笑わせてもらった。また、彼は聞き上手でもあり、僕の話を頷きながら真剣に聞いてくれた。
僕はフェリーの甲板で抱いた気持ちを、彼に話してみた。インドに行くと決めたものの、少し気持ちが揺らいでいるんだ、と。
すると彼は、「いや、絶対大丈夫だよ!インドに行くって思うことがもうすげーよ!内定蹴って旅に出るなんてかっこいいじゃん!絶対大丈夫!」と、小声だけど、熱い声援を送ってくれた。
その後、ちがう話をしている時でも彼は、
「それにしてもインド行くなんてすげーよなぁ」
「絶対大丈夫だよ」
と何度も言ってくれた。
僕の決断をこんなにも肯定して、励ましてくれる人がいるなんて……。
僕は彼の言葉が本当に嬉しかった。
そして自分はきっと大丈夫だ、という気持ちが湧いてきた。
また絶対に会おうと約束し、お互いのFacebookを交換して、僕らは解散した。
遅くまで話していたので寝不足だったが、翌朝、札幌の街をゆく僕の足取りは、活力に満ちていた。