「人生で一度は見てみたい景色をひとつ答えてください」
と聞かれたら、あなたならなんと答えるだろうか。この質問をされたとき、私は迷わず口にできる答えがあった。
それは「ブロードウェイにある劇場で、舞台を見ること。」
大袈裟に聞こえるかもしれないがこれは私にとってなんとしてでも叶えたい”人生の夢”だった。そしてついに今年のはじめ、アメリカ東海岸で光り輝く舞台をこの目で見る日がやってきたのだ。
少し肌寒さが残る今年4月のはじめ、私はひとりニューヨークに向かった。
見出し
夢との出会い、舞台の魅力
私は幼い頃から祖母とその兄にあたる大叔父に連れられて、幸せなことにたくさんの演劇の舞台やコンサートに足を運んできた。そして年齢を重ねるに連れ、この世界にたまらなく惹かれるようになった。
今日もきっと、世界のどこかで誰かが陽に当たり見守られることもなく作品と向き合い、まっさらな世界に何かが生まれている。この瞬間を重ねて創り出され、スポットライトという名の陽の目を浴びる。
その瞬間の連続に立ち会うことができた時、私は幸せと同時に感動を覚える。込められた意味を探りながら、瞬きも惜しくなるほど輝く世界に、いつの日からか私は虜になってしまった。
普段着ることのない洒落た服に袖を通し、背筋を伸ばして向かう自分もたまに好きになれる。

日本は舞台芸術の盛んな国であり観客動員数や公演数はアジアでもトップクラスを誇る。ミュージカル、オペラ、歌劇、バレエ、2.5次元など多様なジャンルの舞台が共存し有名な歌劇団やカンパニーも多く存在している。
舞台の世界を教えてくれた大叔父は、若い頃から世界を飛び回る人だった。亡くなったあとに見た航空会社のマイページには「総飛行距離・世界13周分」の文字が。

そんな彼の最後の旅先は、私とふたりで行った宝塚歌劇団の本拠地だった。車椅子を押しながら旅した1泊2日の中で、彼のこれまでや私のこれから、そして私たちの愛する舞台の話をたくさんした。
憧れの世界の話を改めて聞いたこの日、「私も同じ世界を見てみたい、いつか必ずブロードウェイへ行くんだ」と心に誓った。
世界最高峰のミュージカルが集まる地
ブロードウェイとは
アメリカ・ニューヨーク市マンハッタン区には南北に走る「ブロードウェイ通り」という道がある。

本来「ブロードウェイ」とはこの通りのことを指していたのだが、現在では一般的に41丁目タイムズスクエアから北の53丁目あたりに集まる約40から成る”劇場街”のことを指すようになった。
演劇都市としての歴史
19世紀半ば、劇場事業家によってこの地に多くの劇場が建てられたことをきっかけに多くの名作ミュージカルが誕生。
現代ミュージカルの先駆けとも言われたたくさんの作品は、老若男女に受け入れられ次第にエンターテイメントの地として世界に名が知られるようになった。

20世紀に入り世界中の企業がニューヨークに進出し始め、やがて巨大広告塔の地としても有名な一大観光地となった。
よくSNSやテレビで目にしていたこの場所は、どこを見渡しても巨大なネオンサインが光る異空間が広がっており、情報量が多く忙しい場所だと感じた。
多くのホームレスの居住地となり犯罪件数が増加した時期や9.11同時多発テロ事件など複数の危機を経て再開発計画を繰り返し、現在(2024年時点)では年間約6,400万人もの観光客が訪れる都市へと発展している。
こうしてアメリカ・ニューヨークは観光地としてだけでなく、イギリス・ウエストエンドと並び演劇都市としても知られる世界最高峰のミュージカルが集まる地となったのだ。
知られざる興行の仕組み
そもそも、ブロードウェイの公演は劇場の客席数、労働条件、広告料などのさまざまな基準により「ブロードウェイ」「オフ・ブロードウェイ」「オフ・オフ・ブロードウェイ」というジャンルに分けられる。

複数の作品が常に同時に興行され、新作・ロングラン・短期興行など作品の寿命とも言われる公演期間はそれぞれ大きく異なる。
公演期間の仕組みのひとつに、初日に千秋楽となる日を決めず利益が出る限りは公演を続けるというシステムがある。舞台上のセットや衣装だけでなく、キャストの給与、スタッフの人件費などひとつの作品には巨額の資金がかかるため短期間の興行ではこれらの資金は回収できないのだ。
ロングランかつ連日大盛況にならなければ、出資した投資家たちが利益を得ることは難しいとされる非常に厳しい世界。

そんな中、初演はなんと1975年。1996年に再びブロードウェイに登場し2025年現在も多くの人に親しまれている作品がある。