猫の手
ライター

旅人になってからの約10年間で23カ国を巡った薬剤師です。会社員をしながら、1週間で地球一周を達成しました。医療機関・営業・キャリア支援・編集・ライターと多彩な経験を持ち、熊本と東京を行き来する二拠点生活中。日常にあふれている幸せや、人の心と体によりそう物語作りが得意です。

生きているものには、いつか必ず“死”が訪れる。それは普遍的で、絶対に覆ることがない事象だけど。

慌ただしい毎日のなかで、意識することもなければ、むしろ月曜がきたら、「早く金曜にならないかな」なんて生き急ぐことも多い。

ただ、そのなかで”節目”というものがあり、とくに「誰かの死」というのは生きる意味を強く感じるきっかけのひとつではないだろうか。読者のなかには、大切な誰かを亡くした人もいるかもしれないし、たとえ生きていたとしても、もう会えない人がいるかもしれない。

それは人間だけではなく、動物の死であっても同じはず。だからこそ、私たちはいつかくる”終わり”に向かって、一日一日を大切に生きようと思える。

私の場合は、2年半前――2023年の5月に亡くなったモカ(猫)だ。

世界一周を達成したあと、まるで私の帰りを待っていたかのように息を引き取った。私にとって、彼女は“ただの猫”ではなかった。きっと、ペットを飼っている人なら誰もがそう感じるだろう。

モカは、私が小学生のときに生まれた猫だった。あれから20年。いろんなことがあって、たくさんのときを一緒に過ごしてきた。大きな病気もしなかったので、これからもずっと、同じ時間を生きていけると思っていた。

だが、もちろんそんなことはない。ニュートンの法則のように、地球上では、上に投げたボールはどれだけ高く投げようとも必ず下に落ちる。命も同じだ。

それでも今、モカは私のそばにいる。2年前、腕に抱えるくらいあった彼女は、今は手のひらサイズの猫のマスコットになった。メモリアルグッズとして形を変え、新しい“旅の相棒”になったのだ。そして今、私と世界中を旅している。

序章:プロローグ

私の世界一周が終わる……はずだった

いつかの空港
空港は夢の入り口であり、現実の出口。photo by Risa Yamada
私が世界一周をしたのは、2023年5月のGW。

コロナも少しずつ落ち着き、ずっと押さえてきた旅への欲求がついに爆発したときだった。行き先はハワイ、ロサンゼルス、ニューヨーク、そして最後にロンドン。会社員だった私は、休みをかき集めて、1週間で世界一周、いや、地球一周をするという少し無謀な旅に出た。

その旅が終わり、無事に羽田空港に到着した私は、達成感と高揚感に包まれていた。疲労はあったけれど、それ以上に「やりきった」という気持ちが勝っていた。「世界一周最高!自分最高!」そんな誇らしさと自信に満ち溢れていた。

これで私の世界一周の旅が完結した……はずだった。「姉ちゃん、帰国した?今、電話できる?」という弟からのLINEを見るまでは。電話の向こうから聞こえた言葉で、さっきまでの雑踏が、すっと消えていた。

第1章:ロサンゼルス編

Day1|ロサンゼルスに降り立つ——君が亡くなる10日前

ロス1’
まるで主演女優になった気分 ハリウッドにて photo by Risa Yamada
5月1日。私はロサンゼルスにいた。

ショッピングモールから見えるハリウッドの看板。星型プレートにはマイケル・ジャクソンやマリリン・モンロー、トム・クルーズなど、そうそうたるメンバーの名前が刻まれている。

実際の映画で使われていたこともあり、まるで「自分が主演女優になった」みたいだと思わせる街だった。ここでは誰もが主人公で、どんな日常も“大ヒット作品”に変えられる気がする。

私は、二階建てツアーバスの一番前に乗り込み、サングラスをかけ、コーヒーを片手に街を一周した。

ロサンゼルス 2
ツアーバスに乗って、ロスの街を一周 photo by Risa Yamada
街を駆け抜けるバス。イヤホンから流れてくるガイドを日本語に設定し、建物や場所にまつわるエピソードを聞きながら、そのスピードと爽快感を堪能する。日常で抱えていたストレスもどこ吹く風。そんなものはすべて青空の向こうに飛んでいくようだった。ツアーバスは、気になる通りや観光スポットで自由に乗り降りができる。

もう名前も忘れてしまったけれど、華やかな街角で降りて、街の鼓動を体全体で感じた。カリフォルニアの陽気な人々から、活気とエネルギーをもらう。みんなそれぞれ好きな服を着て、カフェでおしゃべりに花を咲かせている。私も久しぶりに、呼吸ができる感覚があった。

ロス2
会話に花が咲くロスのカフェ photo by Risa Yamada

Day2|ドラマのようなことが起こる不思議

旅に出ると、普段は起きないドラマのようなことが起こる。

たとえば、Uberタクシーにて。私はギャンブルはしないが、カジノは見てみたいと思った。それに「だいたいカジノがあるところが街の中心だろう」と安易に考えていたからだ。行き先を告げ、降ろされたのは、日本でいうパチンコ屋のような場所だった。運転手が「ニューヨークより、ロスがいいよ!Have a nice day!」と明るく声をかけてくれたが、そのときばかりは、全然ナイスじゃなかった。

深夜の機内
深夜便の飛行機 photo by Unsplash
そんなロサンゼルスの旅を終え、次の目的地・ニューヨークへ向かう深夜の機内。眠っていたら、突然「バターン!」という音とともに、前方の座席の男性が倒れた。客室の明かりがぱっと点き、天井を照らす。「このなかに、医療従事者の方はいませんか?」という英語のアナウンスに、機内がざわめいた。

偶然にも、私の前の席の夫婦が医師だった。薬剤師である私も、息を呑んでその光景を見つめながら「助かってほしい」と祈る。幸い、男性は意識を取り戻した。旅は非日常だが、生と死はどんな場所にも同じようにある。午前3時。緑の非常灯が、薄暗い機内をぼんやりと照らしていた。

第2章:ニューヨーク編

Day3|煌びやかな世界一の街角で——君が亡くなる7日前

ニューヨーク2
夢と希望に溢れるニューヨークの街中 タイムズスクエアにて photo by Risa Yamada

5月3日。ついに憧れの地・ニューヨークへ。

眠れなかったせいか、空港の朝日がやけに眩しく感じる。街への移動手段は地下鉄を選んだ。後ろから押される転落事故が多いと聞いていたので、私は壁にぴったりと背中をくっつけた。アコーディオンを弾くおじさんの音色が、暗い構内に響く。少し危機感を感じながらも地下鉄に乗り、都心へと向かった。

地上に出ると、巨大なビルがそびえ立っている。ニューヨークの街は、それはそれは煌びやかだった。カウントダウンで有名なタイムズスクエアへ向かう道。マンホールから噴き出すガスの匂いと、合法化されたマリファナの香りが混ざり合い、漂っていた。大道芸をする人、写真を撮り合う若者たちの笑顔。街全体が夢と希望で輝いていた。

ロサンゼルスと同じく、二階建てのツアーバスに乗り込む。窓の外には、行き交うイエローキャブやウォール・ストリートのビル群が見えた。メトロポリタン美術館ではメットガラのイベントが開催されていて、華やかな空気に包まれている。憧れていた映画『プラダを着た悪魔』や『オーシャンズ8』の世界そのものだと感じた。

ニューヨークの街中
洗練されたおしゃれな街:ニューヨーク photo by Risa Yamada
すべてが夢のようで、私はiPhoneのカメラを起動したまま、街を歩く。

ときどきLINE通話で母に、街の風景を見せてあげる。一人旅のときは、母に電話をかけることも多い。よく母が「お母さんの夢も一緒に乗せてね」と話していたからだ。

私「みてみて!ニューヨークすごいやろ!」
母「大都会やね!お母さんも行きたいわ」。

そんな会話をしているとき、たまたまカメラの端に、モカの後ろ姿が映った。

私「ところで、モカちゃんは元気?」
母「うん、元気だよ……」

そんなやりとりをしていたが、ときどき頬をなでるような冷たい風が吹いた。もう5月だというのに、カナダが近いせいか、どこか肌寒い。私は雨の降るセントラルパークを抜け、5番街を歩いた。高級ブティックの前には工事用の屋根が続いていて、雨を避けながら、その下を通り抜けていく。

Day4|憧れと胸騒ぎのあいだで

雨が降るニューヨーク2
雨が降るセントラルパークにて photo by Risa Yamada
ふとタクシー運転手の「ニューヨークより、ロスがいいよ」という言葉を思い出した。たしかにこの街には、キラキラとした憧れが詰まっている。だが、ロサンゼルスに比べると、どこか無機質で、人々の表情にも時折冷たさを感じたのだ。

私はなぜか今住んでいる東京を思い出す。憧れて上京した街。これが本当に、自分が生きたかった人生なのだろうか……。いやいや、考えるのはやめよう。田舎者の私が、今夢のような生活や旅をしている。「私はずっとこの街に恋焦がれていた。だから、夢は叶ったんだ」そう自分に言い聞かせた。だけど胸の奥に、かすかなざわつきを感じる。その嫌な予感が、まさか的中することになるとは——このときはまだ知る由もなかった。

その後、私はロンドンへと降り立つ。その旅も無事に終え、日本へと帰国する。君が亡くなる、わずか3日前のことだった。

ライター

旅人になってからの約10年間で23カ国を巡った薬剤師です。会社員をしながら、1週間で地球一周を達成しました。医療機関・営業・キャリア支援・編集・ライターと多彩な経験を持ち、熊本と東京を行き来する二拠点生活中。日常にあふれている幸せや、人の心と体によりそう物語作りが得意です。

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