留学・世界旅コミュニティTerminalを運営する池嶋さんにお話を伺いました。大阪を世界一ワクワクする面白い街にするために活動を続ける池嶋さん。人並み外れた行動力の源泉を知るインタビューです。
世界に出たキッカケは?
学生時代にコンサート運営の会社でアルバイトをしていて、「エンターテインメントに関わる仕事がしたい」と思っていました。ただ、ある日ふと「エンターテインメントで何をしたいの?」という疑問にぶつかりました。
自分にはエンターテインメントという“手段”を使って、成し遂げたい“目標”がないことに気が付いたんです。それから周りのたくさんの人と話し、自分と向き合ってるうちに「大阪を世界一ワクワクする面白い街にしたい」という夢に出逢いました。
そして、世界でエンターテインメントで元気になっている街はどこかと考えた結果、NYに留学することを決めました。
現地ではどんな生活を?
語学学校に通いながら、マンハッタンにあるイベント関係の会社でインターンさせてもらってました。
インターン先はどうやって見つけたの?
いえ、学校に頼むとお金がかかったし、自分で探しました。今考えると恥ずかしいような内容の履歴書を持って、新聞に載っているイベントに片っ端から出向いては、主催者に「タダで働かせて!」と頼んでまわっていました。
最終的に、パワフルな女社長がやっているストリートフェスの企画会社にご縁があり、インターンとして雇ってもらいました。
NYではどんなイベントに関わっていたのですか?
インターン先が主催する日本の飲食物を扱ったストリートフェスや、現地の貧しい地域の子供達のアフタースクールのボランティアで日本文化の体験会のスタッフもしました。
他には現地のNPOが主催しているJapan Art Matsuriという日本の“祭り”をテーマにしました。北米最大級の屋内エンターテインメントのイベントにもスタッフとして携わらせて頂きました。
そのイベントの主催者は本当に子供みたいな素敵な笑顔のおっちゃんで、今でも僕のイベントの師匠です。笑
NYのイベントは日本のイベントと何か違いましたか?
基本的に日系団体以外のイベントは企画も当日の運営もテキトーなことが多かったですね。ただどのイベントもなぜかスタッフも参加者もみんな楽しそうで、主催者はとても情熱的な方が多かったのが印象的でした。
やっぱりイベントはスタッフも楽しむことが大切と教えてくれたのはNYです。
帰国してからは何をしていましたか?
実は帰国が東北の震災の前日だったんです。だから、日本に帰ってきて「さぁこれからいろんなことに挑戦するぞ!」と思っていたら、急に震災がきて日本中がパニックになり、正義や価値観がぐちゃぐちゃになっていました。
たぶんその頃の僕にはまだ軸がなかったのか、その社会の混乱に飲み込まれて、やりたいことまで見失ってダラダラ1年過ごしてしまいました。
そんな時にひょんなご縁から出会ったのがTABIPPOのルイスさんです。TABIPPOのお話を聞かせてもらって「世界一周が大学の卒業単位か流行語大賞になったら俺らは解散するんだ。それが目標でね。」の言葉に完全に雷が落ちました。「か、かっこよすぎる。。。」って。笑
で、自分も何かしたいと思い、NY時代につけていた日記を引っ張り出して、帰国したらやりたいことリストの「海外に行ったことのある面白い人を集めてイベントをする」という項目を見て、Terminalを立ち上げました。
Terminalでは何をしているの?
参加してくれた人が世界に目を向けるキッカケとなる、また世界を経験した人たちが世界を思い出せるような世界を感じるイベントを企画し、最終的にはTerminalが“世界を知る者の集うプラットフォーム“になれば最高だと思っています。
本当は“大阪を元気にする団体”とかするつもりだったんですが、参加者から「大阪に限らず開催してほしい!」と言ってもらえ、今はTerminalで学んだことをいつか大阪に還元できたらいいな、くらいのスタンスでいろんな場所でイベントを開催してます。