アンボワーズ城の歴史を振り返る
photo by Satomin
アンボワーズ城の歴史は古く、城としての役割を持ったのは11世紀でした。もともと同じ場所に砦が築かれていましたが、砦が築かれたのは帝政ローマ時代、フランスがガリアと呼ばれていた時代でした。
・名称:Château Royal d’Amboise
・住所:Montée de l’Emir Abd el Kader, 37400 Amboise
・地図:
・アクセス:Gare d’Amboise(アンボワーズ駅)から徒歩15分くらい
・営業時間:月により異なる
・定休日:月により異なる
・料金:大人13.10€
・公式サイトURL:https://www.chateau-amboise.com/en/
英仏百年戦争(1337年〜1453年)では、1429年にフランスのオルレアンがイングランド軍に包囲され九死に一生を得ている状況で、シャルル7世(1403年〜1461年)がジャンヌ・ダルクにオルレアンを救うよう命じました。
このシャルル7世がアンボワーズ城の大改修を行い、イタリアから建築家を招いてフランスの建築では初めてルネサンスの装飾を施しました。
また庭もイタリア風のレイアウトにし、これがのちに幾何学的構成のフランス式庭園様式(ヴェルサイユ宮殿の庭など)に発展していきます。
photo by shutterstock
アンボワーズ城の栄華は、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いたフランソワ1世の時代に頂点を迎えます。
後のスコットランド女王で、イングランドのエリザベス一世と覇権争いをしたメアリー・スチュアートも、幼少期はこのアンボワーズ城でアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスに育てられました。(カトリーヌ・ド・メディシスはイタリアのメディチ家出身です)
しかし1562年から正式に始まったユグノー戦争(フランスのカトリックとプロテスタントによる宗教戦争。ユグノーはカトリックからのプロテスタント・カルヴァン派の総称)の序章となる事件がアンボワーズで起こります。
photo by shutterstock
アンリ2世から王位を継いだフランソワ2世は若く病気がちで、妻のメアリー・スチュアートの母方の親族のギーズ公に実権を握られていました。
この状況に不満を抱いたプロテスタント系貴族たちが、1560年にフランソワ2世を誘拐し、カトリック強硬派のギーズ公を引きずりおろそうとと陰謀を企てました。しかし結局計画が実行される前に露見してしまいます。
この計画に関わった人の裁判がアンボワーズ城で開かれ、約1200人のユグノー達が絞首刑に処せられ、アンボワーズ城の城壁などとにかく死体をかけることができる場所で見せしめにされました。
photo by Satomin
この処刑方法があまりに酷い!と、ユグノー達は同年にカトリック教会の聖像を破壊する行動に出始め、その動きが各地に広がり始めます。
王太后であるカトリーヌ・ド・メディシスはカトリックとプロテスタントの融和を図りますが、親族であるギーズ公が完全に異端撲滅派で失敗に終わります。やがてこのアンボワーズで起きた事件が、30年近く続くユグノー戦争の幕開けとなったのです。
アンボワーズ城はやがて王城の役割を終え、刑務所などにも使われました。現在はフランスの公爵家であるオルレアン家が管理をしています。
フランス王からの最上級のリスペクト
photo by Satomin
1516年にフランソワ1世は、イタリアのミラノで活躍していたレオナルドを客人としてアンボワーズへ招きます。そしてアンボワーズ城近くのクロ・リュセ城が住まいとして与えられ、亡くなるまでの3年間をこの土地で過ごします。
最晩年とも言われるときですが、レオナルドの才能は衰えず、フランソワ1世の居城の一つであるシャンボール城の設計にも携わりました。シャンボール城内の二重のらせん階段はレオナルドの設計と言われています。
レオナルドはアンボワーズの地で弟子や友人と過ごし、1519年5月2日に亡くなりました。フランソワ1世とは親密な関係を築いており、後にフランソワ1世の腕の中で亡くなるレオナルドの姿が描かれたのです。
photo by Satomin
現在レオナルドは、アンボワーズ城内のサン・ユベール教会堂に埋葬されています。
もともと城内のサン・フロランタン教会堂に埋葬されていましたが、フランス革命期に荒れた状態となった挙句、ナポレオンの時代に保存価値なしとされ解体されてしまいました。
約60年後にサン・フロランタンの跡地が発掘されると、骸骨一体とレオナルドの名前が刻まれた石が見つかり、現在の場所に埋葬されています。
photo by Satomin
フランソワ1世は後に、レオナルドのことを
と語っています。
二人の友情に思いを馳せて
photo by Satomin
年が離れていながらも、友情を築き上げた時のフランス王と天才芸術家。レオナルドの傑作、「モナリザ」は彼の死後、弟子が受け継ぎますが、後にフランソワ1世が買い上げます。
レオナルドが死の直前まで手元に置いて加筆し続けた、「美しい貴婦人」をフランソワ1世は大切に保護しました。
やがてルーブル美術館の、フランスの、そして「人類の至宝」となり、もう(おそらく)二度とルーブルから出ることはないでしょう。
アンボワーズで大切にされた二人の友情に、『モナ・リザ』を通して思いを馳せてみましょう。