2019年はベルリンの壁が崩壊して30年目を迎えるメモリアルな年でした。ベルリンの壁が崩壊した後に生まれた若い旅人もたくさんいるでしょう。
そこで今回は、ベルリンの壁の概要と、ベルリンの壁を知るためのおすすめスポットを紹介します。
第二次世界大戦後、東西に分かれたドイツ
photo by Nitta Hiroshi
ベルリンの壁を知るには、第二次世界大戦以降のドイツ史を学ぶ必要があります。第二次世界大戦においてドイツはアメリカやソビエト連邦をはじめとする連合国に敗北しました。
ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の分割統治下に置かれます。同時に首都ベルリンも4カ国による分割統治となりました。
当初から永続的なドイツ分割が決まっていたわけではありません。しかしドイツ政策をめぐり、自由主義国のアメリカと共産主義国のソ連との対立が激化。
1949年、アメリカ、イギリス、フランス統治下の領土を持つドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連統治下の領土を持つドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国されました。ベルリンは自由主義圏の西ベルリンと共産主義圏の東ベルリンに分かれました。
東西ドイツ建国後も東西ベルリン間の行き来は比較的自由でした。そのため、統制が厳しい東ドイツを嫌って西ベルリン経由で西ドイツに逃れる人が続出。多くの労働者が去ったので、東ドイツは国家的危機を迎えました。
photo by Nitta Hiroshi
1961年、東ドイツ政府は西ベルリンを取り囲むような形で壁を築きました。これが「ベルリンの壁」です。ベルリンの壁の建設により東から西へ逃れる人は激減しましたが、壁を越えようとした136人が命を落としました。
永遠に存在し続けると思われたベルリンの壁はある勘違いで崩壊しました。1989年11月9日、東ドイツ当局は記者会見でうっかり「事実上の旅行自由化」を発表。
それを聞きつけた東ベルリン市民が壁にかけつけ、ベルリンの壁は崩壊しました。翌1990年、西ドイツが東ドイツを吸収する形でドイツ統一が成し遂げられました。
ベルリンの壁は単なる「壁」ではなかった?
photo by Nitta Hiroshi
ベルリンの壁の実態を知りたい場合は「ベルリンの壁ドキュメントセンター」がおすすめです。ここでは当時の姿に近い形で保存されています。ベルリンの壁を上から見ます。手前が西ベルリン側、奥が東ベルリン側です。
西ベルリン側の壁が高く、東ベルリン側の壁の方が低いです。東ベルリン側の壁の隙間からは高くたちはだかる壁が見え、逃亡を諦めさせる狙いがありました。
photo by Nitta Hiroshi
こちらは「DDR(東ドイツ)博物館」にあるベルリンの壁の模型です。壁と壁の間には立ち入り禁止エリアがあり、常に兵士や番犬が逃亡者を見張っていました。国境警備隊の監視は24時間体制で、逃亡者に対しては子どもや女性も関係なく射殺、もしくは逮捕しました。
また後に撤去されましたが、自動銃撃装置も設置されました。このように、西から東よりは東から西へ逃れる人々を徹底的に取り締まっていたことがわかります。
photo by Nitta Hiroshi
1961年~1989年の間に、ベルリンの壁の乗り越えに成功した人は約5000人です。一方、ベルリンの壁、その周辺で命を落とした者は136名でした。国境侵犯の罪状は初犯が懲役2年、再犯が懲役8年と言われています。釈放後も肩身の狭い生活を送らざるを得ない状況になったとか。ベルリンの壁で東ドイツは「安定」しましたが、多くの人々に苦痛をもたらしたのも事実です。
・名称:ベルリンの壁ドキュメントセンター(Berlin Wall Documentation Center)
・住所: Bernauer Str. 111, 13355 Berlin
・地図:
・アクセス:最寄駅はSバーン1号線「Nordbanhof」、Uバーン8号線「Bernauerstr.」
・営業時間:11:00~17:00(金曜日~日曜日)
・料金:無料
・所要時間:1時間
・公式サイトURL:https://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/en/berlin-wall-documentation-center-213.html