幼い頃から、気が付けば本ばかり読んでいた。
毎晩布団に入ると必ず本を開き、活字の海を泳いでいた。
それが僕の旅の原風景だったと思う。
そんなの旅じゃないじゃん。
旅どころか、家の中からも出てないじゃん。
そう思う人もいるだろう。だけど幼い僕にとっては、本を開くだけでいつでも大冒険に出掛けられた。
登場人物たちと一緒に、物語の世界を旅して歩いた。
本棚に並ぶ愛読書たち(一部)
大学生になると演劇サークルに入り、物語の世界を作り、演じる側になった。
埃臭い稽古場や小さな劇場に籠っているだけなのに、僕は東京タワーをジャックしたり、戦国時代の山賊として暗躍したり、宇宙船を開発して遠い星に行ったりした。
読書と演劇。
物語を読み、演じる。
それだけで、無限に広がる世界を旅することができた。
旅行好きだと言う他の友人たちの誰よりも、僕が一番旅をしていると思っていた。
裏を返すと、僕は本当の旅に出ることに興味がなかった。
テレビやネットで海外の美しい風景なんかを見ても「いつかは見てみたいなぁ」とは思うが、「よし、実際に行こう!」となることはなかった。
架空の世界の旅で満足だった。
というより、それ以前の問題だった。
僕は昔から人見知りで、自己肯定感が低く、コミュニケーションが苦手だった。
新しい人間関係を築くのが億劫で、好きな人たちと好きなことだけやっていればそれでよかった。
わざわざ知らない場所に赴くなんてまっぴらだ。
だから、どこにも出掛けずに演劇の閉塞的な世界に没頭し、活動がない時には部屋で一人で読書をした。
そういう学生生活を過ごしていた。
好きなことばかりやってた結果、学業を疎かにして留年した。
就活にもまったく身が入らず、唯一貰った内定も「なんかちがう」と蹴って、そのまま卒業した。
そんな内向的で、怠惰で、非社交的で、社会不適合だった男が、なぜ突然一人で旅に出たのか。
そして今も尚、旅をやめられないのか。
インド、コルカタの街角。ヤギがゴミを漁っている
『深い河』に導かれて
僕が初めて一人旅に出たのは、インドとネパールだった。
大学卒業後、地元に帰り、バイトでお金を貯めてから、1ヶ月程放浪した。
前述のように内定のないまま卒業し、無職になった僕はとりあえず就活を続けるつもりだった。
そんな僕を見かねた父から、とある提案があった。
「このままダラダラ続けても、何も変わらないだろう。一度、インドへ旅にでも行ってみたらどうだ」
その言葉に僕は、「就活よりそっちの方がおもろいやん」と、旅に出ることを決めた。
突拍子もない話ではあったが、思い返してみれば納得がいく。父は若い頃は旅が好きで、特にインドとネパールがお気に入りだったのだ。
そして、いつか自分の子どものうちの誰か(うちは4人兄妹)に旅に行ってもらいたいと思っていたのだが、誰も興味がなさそうで半ば諦めていたらしい。
そんな折、僕が就活でうだうだやっているのを見て、このタイミングならありかも!と思って旅を勧めてみた、ということだった。
とはいえ、海外に興味のなかった僕がなぜその突然の勧めに乗り気になり、インドという未知の国に行く気になったのか。
ジャイプルのホテルに並ぶインドグッズ。父の部屋にもこういうのあった
大学最後の年、作家・遠藤周作の作品研究の授業を取った僕は、そこで『深い河』という作品に出会った。
内容は、
人生に“業”を背負った5人の日本人が、それぞれの想いを抱えてインドツアーに参加し、
ガンジス川の流れるバラナシに赴く。
という物語。
ガンジス川のほとりに立った5人。
人間の業をすべてを飲み込み流れてゆく深い河を見つめ、己の人生に想いを馳せるのだった……。
氏の作品は数冊読んだことがあったが、この『深い河』は初読だった。
僕はこの小説に深く感銘を受けた。
インドってなんだ……?一体どんな国なんだ……?
これまで本の中で旅をしてきた僕は、初めて本に描かれた世界を実際にこの目で見てみたいと思った。
そんな時に、偶然か必然か、父からのインド旅の提案が。
否、これは偶然ではない。きっと、ガンガーからの導きだ……。
そして僕は、旅に出ればきっと何かが変わるだろう。新しい自分に生まれ変わるだろう、と期待を抱き、バイトに励み、お金を貯め、インドへと旅立った。
遠藤周作『深い河』
旅の中で自分が嫌いになる
旅に出て半月。
デリーの日本人宿のベッドの上で、僕は読書に耽っていた。
階下の食堂から、日本人の旅人たちが集まって、楽しく談笑している声が聞こえてくる。
僕も前の晩にご飯を食べに食堂へ行ったが、誰とも話さず、黙々と日本食を食べていた。
一度、旅人の一人が声を掛けてくれたが、適当な返事と愛想笑いを返すばかりの僕に早々に見切りをつけて、自分たちの輪に戻っていった。
翌日、街を歩くこともせず、日がな一日ベッドの上に転がっていた。
腹が減れば食堂に降り、インド料理より日本食ばかり食べていた。
誰とも話さず、自分の世界に籠っていた。
そろそろインドを出てネパールに行こうかと思ったが、金が底を尽きかけていた。
一応ここまで来たし、カトマンズを少し見たら日本に帰ろうか…… 。
もうインドは疲れた……。
一人インドへ赴いた僕が、そこで見つめたもの。
それは自分の嫌いな部分がすべて剥き出しの、丸裸の自分そのものだった。
寝台列車で見かけた女性。何を見つめているのか
旅に出たら何かが変わる。
そんな期待も虚しく、僕は旅の中でどんどん自分が嫌いになった。
人と話すのが苦手で、おすすめの場所や行き方はスマホで調べてばかり。
そもそも英語が全然話せないから、簡単な単語だけで最低限の会話しかできない。それすら面倒な時はGoogle翻訳に頼りきり。
優柔不断で押しに弱いから、インド人にすぐにぼったくられる。これはぼったくりだってわかってるけど、断れない。
半月程度ですぐにお金が底を尽きかけてしまった無計画さ。
その後、ネパールに入ったタイミングで合流した友人(今の妻)がお金を貸してくれて旅を続けられたが、情けなかった。
……日本にいる時と変わらないじゃん。
性格も、語学力も、計画性も、管理能力も、何も変わっていない。
考えてみれば当たり前だ。
旅に出た瞬間に自分が変わる訳がない。
旅に出て、いろいろ経験して、学んでいくから変わっていくんだ。
演劇だってそうだ。
稽古して、ダメ出しをもらって、自分の悪いところを確認して、演技を磨いて、そして本番の舞台に立って…を繰り返していくから、成長していく。演劇を始めたその瞬間に変わる人なんていない。
これはすべてのことに当てはまるだろう。
その事実に気が付いた僕は、「よーし、じゃあここから自分を省みて成長していこう!」ではなく、「しんどいなぁ…」と思っていた。
旅ってこんなにも自分の嫌なところが剥き出しになるなんて、思いもしなかった。
特に僕みたいに自己肯定感が低い人間にとっては、それを突き付けられながら続ける旅は、苦行のように感じられた。
いや〜旅向いてないなぁ。そんなことを考えていた。
インド料理に飽きて食べたカツ丼。美味かった…。