ライター

24歳でバックパッカーとして世界一周に挑戦。西回りで世界一周し、10か月で20か国訪問。思い出の旅は「スペイン巡礼」。遺跡、歴史、山が好き。

24歳の春、新卒で入社した会社を辞めて世界一周の旅に出た。

安定を捨てることは、怖かった。でも、世界を旅してみたい冒険心のほうが強かった。

仕事前後にパソコンを開き、同じく世界一周を夢見る仲間とともに、情報交換しながら旅の計画を立てる日々。

「世界一周」という壮大な計画に胸が高鳴った。

安定を捨てる不安も、安全面に関する不安も、旅の準備段階で味わったワクワクを前にしては陰を潜める。

「キャリア」や「安定」を捨て、「未知」でワクワクする方へ、人生の舵を切ってみた。

未知で、不安定で、危険を伴う選択肢。そんな選択肢を取った私にいま、残っている思いとは。

常識が崩れ、生きやすさを感じるようになった

カンボジアのマーケットで生肉が売られている様子
世界を旅していると、自分の常識がまったく通用しないことに気づく。

カンボジアのマーケットでは、肉が冷蔵されることなく、炎天下で剥き出しのまま売られていた。

エジプトのレストランでは、店員が自分の手を濡らし、素手で机を拭いていた。

目の前に広がる信じられない光景に目を疑うが、私のほかに誰も気にしている様子はない。

肉は冷蔵するものだ、机を拭くときはふきんを使うものだ、といった私のなかの「常識」は、どうやら「常識」ではないと知る。

世界一周するなかで、訪れた国の文化や常識を受容するために、何度も自分の信じて止まなかった常識を手放した。

ときには、自分のなかの「価値観」の再構築に迫られることも。

脳内にある情報のアップデートを繰り返していると、「当然」とか「正しさ」といったものが分からなくなってきた。

旅の中盤には、あまりの常識の通用しなさに、「正しさ」や「こうあるべき」みたいなものはそもそも存在しないのだと思うように。

「どれも正しくて、どれも間違い」

旅を通して、「正しさ」や「常識」と切り離して、自分の考えは自分の考えとして持ちつつ、他者の考えは他者の考えとして、受け止めるタフさが身についた。

私は、旅に出る前に「こうあるべき」という考えに納得できずに、苦しむことが多かった。

でも、旅を通して「正しさ」や「こうあるべき」といったものは、そもそも存在しないと思うようになったいま、誰かの「こうあるべき」という言葉に対し、「正しい」「間違い」の視点から切り離して、ひとつの意見、ひとつの考えとして受け止められるようになった。

常識が通用しない世界を旅したなかで誕生した「どれも正しくて、どれも間違い」という信念。

この考えのおかげで、ずいぶんと生きやすくなった。

一瞬一瞬の繋がりを意識するようになった


私の世界一周は、綿密に計画を立てることなく、そのときの気分で次の行動を決めることが多かった。

選択した行動の何かが少しでも違っていたら、すべてが変化して、私が経験した世界一周とはまた別のものになっていたはずである。

旅中に経験したこと、出会えた人は、一瞬一瞬の繋がりが導いてくれたもの。

世界一周のどの思い出も、偶然を重ねた先に辿り着いたものではあるけれど、とくに強くこのことを意識したのは、スペインにあるキリスト教の巡礼路「カミーノ・デ・サンティアゴ」を歩いていたときのこと。

カミーノ・デ・サンティアゴは、900㎞の徒歩の旅。

私は、この旅の最中に南京虫に噛まれてしまい、酷いアレルギーを発症した。

ドクターストップで7日間レオンという街で休養。その間に、同時期に歩いていた仲良くなった仲間たちはどんどん先へ行ってしまった。

ドクターストップが解除されてから、みんなと合流したくて、アレルギーでぼろぼろになった足を引きずりながら精一杯歩いて追いかけた。でも、7日間のブランクは大きく、結局最後まで誰とも合流することはなかった。

今でも、一緒に歩いた仲間と同じタイミングでゴールできたらどれほど良かったかと思う。

でも、同時に7日間のブランクがあって良かったかもしれないとも思うことも。

それは、カミーノ・デ・サンティアゴを歩いている終盤に、2カ月前に連絡したもののずっと音沙汰がなかった会いたかった人から返信がきたからだ。

まだ予定が定まっていないタイミングで連絡がきたおかげで、巡礼が終わってからドイツに住む会いたかった人のもとへ駆けつけることができた。

もし、南京虫に噛まれることなく順調に巡礼を終えていたら、頭の中で思い描いていたプラン通り、南米行きのフライトをすでに予約していて、ドイツに行くことは厳しかったかもしれない。

結果的に、ドイツで会いたかった人に会えたこのときが、私の305日間の世界一周のなかで1番幸せな時間となった。

この瞬間に導いてくれたすべての偶然には感謝している。

カミーノ・デ・サンティアゴの経験から、いまこの瞬間にある幸せや喜びを感じられるのは、思い通りにいかなかった瞬間含め、歩んできた一瞬一瞬の繋がりがあったからであると心の底から思えるようになった。

人生には思い通りにならないこともあるけれど、それはきっといつか味わうであろう幸せな瞬間に繋がってくれている。

いまでは、心の底からこう思える。

自分の気持ちを大切にできるようになった


毎日が自由な世界一周の日々。

今日は何をしたいのか、次はどうしたいのか、いまどんなことを思っているのか、私は旅の間、頻繁に自分の心に問いかけていた。

そして、危険が伴う世界一周は、どんなことがあっても自己責任。

危機的な状況に陥っても、頼りになって信頼できるのは自分だけ。

怖いと感じたこと、危ないと感じたこと、嫌な予感がすること、自分の心に湧き上がる感情を丁寧にキャッチするようにしていた。

自分の心の声を聴きながら過ごす日々。

自分の気持ちを大切にしながら旅をしていると、いつしか私は、これまでないがしろにしがちだった自分の気持ちに優しく寄り添えるようになっていた。

日本で暮らす日々は忙しなく、自分の気持ちに構っている時間はなかった。

疲れていても休むわけにはいかないと思っていたし、悲しいという気持ちをキャッチしても気づかないふりをして日常生活を送っていた。

心の発するSOSを何年も無視した結果、心が爆発したことも。

それほど自分の気持ちを優先できていなかった私だったが、旅を通して心の声を重視する必要に迫られてから、自分の気持ちを素直に受け止め、大切に扱えるようになった。

自分の感情を大切にするようになり、無理なく気楽に自分のペースにあった生活を送れるようになった気がする。

世界一周を終えたいま、心に残っている思い


未知で、不安定な世界一周していると、何度も自分や社会と向き合う機会があった。

あらゆることに対して思考を巡らし、自分の心の声に耳を傾けた。

世界一周の経験を通して、自分なりに考えて辿り着いた私なりの「答え」や「気づき」。

きっと「正しさ」なんて存在しないこの世界で、自分の気持ちを大切にしながら生きていけば、一瞬一瞬が繋がりいつか味わうであろう幸せな瞬間に巡り合える。

安定した生活を捨て「世界一周」した先で辿り着いた信念。

この信念のおかげで、世界に生きやすさを感じられるようになった。

★ここに一言ほしいです!
※世界一周を通した気持ちの変化によって、今後を見据えたようなイメージの一言
「これからは〜〜」なんて始まりでもなくてもよいので、この記事を読んだ「誰か」が最後に顔をあげられるような一言だとなおGood!

All photos by ゆいかな

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24歳でバックパッカーとして世界一周に挑戦。西回りで世界一周し、10か月で20か国訪問。思い出の旅は「スペイン巡礼」。遺跡、歴史、山が好き。

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